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笑いと涙とその奥にあるもの

 
 自分と向き合う21日間

 笑うこと、泣くこと、それは人にしかできない感情表現だ。この感情のエネルギーはいったいどこから生まれるのか。このことを探求していくとやがて人間の内奥の神秘に辿り着くことができる。

 若い頃インドのアシュラムと呼ばれていた施設にのべ2年ほど滞在していた。既存宗教や新興宗教の信仰から修行をするのではなく、純粋に人間そのものを探求する場である。主にヨーロッパ諸国から千人を超える人が常時滞在し、様々な瞑想、セラピー、ヒーリングワークなどの探求が熱心に行われていた。日本人も数十人はいたと思う。

 私は後にこの施設でボディワークを学ぶことになるのだが、訪れてから最初の数か月間は、いくつかのグループセラピーに参加した。

 中でも最も強烈な体験となったのは、笑いと涙と瞑想の3つのステージを探求する21日間のグループセラピーである。一緒に50人ほどの西洋人と数人の日本人が参加していた。グループの名前はミスティックローズ(神秘の薔薇)と呼ばれていた。

 そのグループセラピーでは、最初の7日間はまず毎日3時間笑い続ける。次の7日間は毎日3時間泣き続ける。そして最後の7日間は毎日3時間ただ静かに座り、自分の呼吸を見守るという内容だ。
このグループの間、人との会話は一切禁止というルールが科せられる。このルールは1日24時間、21日間完全に厳守されなければならなかった。
胸に《IN SILENCE》と書かれたバッチをつけ、施設内にいる周囲の人がバッチをつけた人に話しかけることも禁じている。どうしても必要な場合には、手書きのメモで筆談をする。勿論テレビやラジオもない生活。パソコンもケータイもない時代である。
午前中のこのワークの他に朝6時からのカタルシスを含む瞑想1時間と夕方4時からの瞑想、そして夜7時からの瞑想のプログラムが組まれている。
言葉を一言も発せず、ただ笑うこと泣くことだけが許される、ひたすら自分自身と向き合い続ける21日間だ。


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 笑う、笑う、ひたすら笑う7日間

 笑うこと泣くことは人間の基本的な感情表現だが、私たち現代人はこの感情を抑圧して生きてきた。この抑圧の蓋を解放するのがこのワークのテーマだ。

 1日目の最初からそれは想像以上に困難なワークだと悟った。初めは過去の笑える状況を思い出して笑うことができる。幼少のころからの思い出せる記憶をすべて頭の中でじっくり再現して笑う。おかしい思い出はすぐに笑える。なるべく思い出さないように避けてきた悲しい辛い記憶も、だんだんと笑いと共に思い出せるようになった。

 他の参加者が腹を抱えて笑っているおかしな顔を見て、つられて笑う。反対に笑えないで苦しんでいる悲愴的な姿を見ても笑える。自分も笑えずに苦しんでいる状況を客観視して笑う。とにかく与えられた3時間を埋めるために、理由を何とかあちこちからかき集めて笑い続けなければならなかった。

 参加者はみな同じような状況だった。見ず知らずの西洋人と眼と眼が合い、お互いの状況を察しながら指をさして笑い転げる場面もあった。しかしそうした努力もせいぜい1,2時間が限度だ。じきに記憶に依存したネタは尽きる。

 この笑えないのに笑わなくてはならないという苦行が3日間ほど続いた。3日目がピークだった。笑えずに涙が出てきそうなくらい辛くなった。
しかしこの状態は後で思い返せば重要なプロセスだったということが分かる。過去の記憶の中に眠っている抑圧された笑いを解放していたのだ。それは脳の「記憶」と体に抑え込まれていた「笑いのエネルギー」という分離されていたものが出会ったことによる解放だ。

 4日目になって変化が起き始めた。理由もなしに笑いがふつふつと起こるようになった。その笑いは記憶や外側の状況を見て反応するという笑いではなく、自然に腹の底から湧き出てくるものだった。頭から腹へと笑いの出発点がシフトしたような感覚だ。

 5、6日目には笑いが出てくることが自然に起こった。それは笑いの源泉に直接触れたような感覚だった。外から見たら、こいつは気がふれたと間違いなく思われるような状態だっただろう。ただただ笑いが込み上げてくる。自分にもその理由がわからない。いや笑うことに意味などいらないということがわかる。腹の底に笑いの源泉があって、そこからただ溢れてくるのに身を任せているだけなのだ。

 そして最後の7日目にはとめどもなく笑いがあふれるようになった。爆発的に狂ったように笑いころげた。もはやおかしさを外側の世界に探さなくてもいい。笑いを通じて自分自身のエネルギーの源泉に直接意識がタッチしたような感触だった。3時間があっという間に過ぎていった。

 この笑いの源泉そのものは腹の中に常にある。臍の少し下辺りだ。しかし世間にいるときは、この笑いは外に現れないように蓋をする。赤子はいつでも自然に大声で笑うことができるが、大人になってからいつも楽しそうに笑っていたら、間違いなく変人奇人扱いされてしまうだろう。幼児期を過ぎてまもなく、親や学校の教師から静かにしろと言われ続け、段々とこの喜びのエネルギーは蓋をするようになっていく。だからせいぜいクスクス笑いか、一瞬だけ笑って終わってしまう。

 笑うことが心身の健康にいいということが最近随分と周知されてきた。インドのムンバイの海岸では、毎朝地域の住民が集まって海に向かって大声で笑うという日課を続けているグループがいた。そのメンバーたちは皆薬に頼らず健康を維持していた。
それは笑うことで生命力の源泉が活性化されるという単純な理由からだと思う。笑うことで意識は腹の中の生命力に近づいていく。そして生命力に点火のスイッチが入る。生命力は食べ物と酸素が結びついて小腸の中で生み出される。まさに臍の辺りだ。食べ物から生命エネルギーへと小腸の中で変容のプロセスが起こる。笑うことはそのプロセスを活性化させ、エネルギーをより多く生み出すことに繋がる。



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 涙と共にある7日間

 笑いの7日間のステージが終わって安堵したのも束の間、次の日から始まった涙のステージもまた難行だった。幼少のころからの過去の体験を思い出して泣くことは、最初かなり長い時間続いた。笑うことよりも悲しい体験が多かったからなのか。いや悲しいことばかりではない。あまりにも嬉しかったことを思い出しても喜びが溢れて涙が出てくる。

 他の参加者が本当に悲しそうに泣き叫んでいる姿を見ても泣けた。普段は陽気な西洋人たちもみんなこんなにも涙を溜めていたんだと改めて驚く。泣けずに苦しんでいる人を見てもまた泣いた。過去に出会った一人一人を小さい頃にまで遡って順番に思い出しては泣き、別れた人に泣き、仕事や人間社会に泣き、人間存在の深い悲しみに泣き、そして悲惨だった人類の歴史を想像して泣いた。
がしかし3日が過ぎた頃には、だんだんと涙も枯渇してくる。4日目になると、ただ虚ろにぼんやりと悲しみに耽るくらいしかできなくなった。

 しかし5日目になると、今度は涙の源泉に触れるような感触が起こった。涙が自然と溢れてくるのだ。それは悲しみの泉のようなものに触れるような感覚だった。笑いよりももっと深い暗闇にその泉はある。それがはっきりと自分の深みにあるということが分かる。臍の下のその奥だ。ここでもまた頭から腹の底へと、涙の出所がシフトしたのだ。理由なしに涙が流れてくる。

 6,7日目はその泉からとめどもなく涙が溢れ止まらなくなった。トータルでは7日間で洗面器一杯ほどの涙を流したのではないか。ティッシュボックスはいったい何箱使ったか忘れる位の数を空にした。

 笑いと同じように、涙もまた日常の生活では抑圧されている。誰もが小さい頃から泣くのは止めろと言われ続け、自分でも押さえつけようとしてきた。意識を今の自分から将来の自分へと振り向けることで、過去の悲しみに気づかなくて済むようにもなる。
涙をふけ。前を向け。夢を見ろ。歯を食いしばれ。プラス思考だ。願望実現だ。成功しろ。未来に向かって走り続けろ、と。そうやって涙は大人になってからもずっと抑圧され続けている。

 人格、鎧、条件付け、緊張、それらは抑圧している感情が溢れないように蓋をし、社会生活の中で自分をコントロールするために必要とされる。それらが外れると、抑圧されていた感情のエネルギーが解放されてしまう。
酒を飲むと笑いや涙があふれる人がいる。音楽や映画、文学などに接することでも涙の泉にタッチすることは起こる。悲しみだけではなく、喜びや感動、そして愛が溢れる時にも涙は溢れる。それは美しい涙だ。そういう涙は存在の奥から溢れる喜びの涙だ。
過去の記憶と結びついたたくさんの感情を解放することができた時、涙の泉はいつも腹の底に眠っているということを知ることができる。


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 内なる静寂との出会い

 グループの最後の1週間は、1日3時間ただ座って呼吸を見守り続ける。
普段は30分もすれば頭の中の思考でぐるぐるになった瞑想が、その時ばかりは3時間がまったく苦ではなくなった。笑いと涙の解放が起こった後、そこにはただただ深い静寂だけが内側に横たわっていることを知った。

 鼻の先に満ちている空気が、鼻の穴から静かに入ってくる。喉を通り、気管支に入って肺へとたどり着く。胸が膨らみ、お腹が膨らみ、からだじゅうが膨らんでゆき、エネルギーが満ちてゆく。
体じゅうの細胞がきらきらと輝くようだ。無重力のような体の軽さに包まれる。時間が過ぎているはずなのに時間が止まっているかのようだ。存在しているのはただ「今」という瞬間の連続なのだ。

 興奮と感動とは真逆の静寂のエクスタシーがここにはある。興奮と感動もまた生きる喜びを与えてくれる動的なエクスタシーだ。しかし静寂のエクスタシーは人間存在のベースにある。それは常に自分の中に横たわっている。どんな時にも意識をそこに向けると静寂は常に内側に存在しているということが分かるようになる。瞑想はそれを達成するためのものではなく、いつも自分の内側に存在している静寂と出会い、共にあるひとときなのだ。
 
 瞑想は、外側が静かな時だけに起こることではない。外側の世界がどれだけ騒がしくとも、ベースに横たわる静寂に気づけば、いつでも瞑想が起こる。
このアシュラムでは、そのことを理解するために、わざわざ賑やかな食堂近くの部屋を選んで瞑想するワークがある。或いはまた呼吸を見守りながら人混みの中をただ歩くという瞑想をするワークもある。

 グループの参加者50人もみな深い静寂のスペースにいた。
思考や感情のさざ波が消えた後の静寂は、共鳴し増幅していくような感覚だった。
このアシュラムでは毎晩夜7時から、一日の探求活動を終えた千人を超える人々が大きなホールに集まって共に瞑想するひとときがあった。それだけの人が呼吸の音も聞こえないほどの完全なる沈黙のスペースを共有すると、静寂の深みは一人で瞑想するときの静寂よりも、驚くほどに深く美しく神秘なものとなる。


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 自分自身の内なる宝物探し

 しかし静寂を実現することが探求のゴールではない。瞑想はその奥にある人間の実存に到達するための入り口ではないかと思う。

 以前、瞑想指導を受けたポーランド人の禅マスター、アジズ氏から、
『あなたがあなた自身を手放せば手放すほど、あなたは自分自身の真の姿を見ることになる。』という内容の手書きのメッセージを頂いたことがある。
おそらく、そうしてエゴの虚構をさらに手放すことができ、その静寂の奥に横たわる未知の神秘と深みへと落ちてゆくことができれば、仏陀が言う「色即是空」の「空」という人間の本性を知ることができるはずだ。

 笑うこと、泣くこと、それを可能な限り時間と場所を踏まえて蓋をしないことは自分自身の本性を知るためにはとても役に立つ。
AIが人類を超えるシンギュラリティがやってきたとしても、その人間の本質的な内なる神秘と美は変わらずに一人一人の中に残り続けるのだと思う。
それこそが人間の愛の源なのだから。



 瞑想とは、マインドを使ってマインドを超えていく技法だ。私の意味するところは、人間の意識は、その生まれ持った知性を使って、メンタルな領域よりさらに深いビーイングの体験へと到達することができるということだ。
究極的に、瞑想はドゥーイング(すること)の状態ではなく、ビーイング(在ること)の状態だ。

 この世界はまったく固定的などではない。それは、沈黙とエネルギーと知性の織り成すダイナミックなダンスなのだ。瞑想の修行にあたり、人はきっちりと焦点を合わせ、非常に繊細である必要がある。
 瞑想とは、無知を超えて私たちを連れていってくれる芸術様式なのだ。それは生のエッセンスだ。この道に入った者は誰であろうと、初めて本当に生に入るのだ。

アジズ・クリストフ/フーマン・エマミ共著 
『エンライトメント 伝統を超えて』 アルテ刊


 たとえあなたが嘆き悲しんでいるときでも、その涙は笑いの質を持っていなければならないし、それは歌い踊りながらやって来なければならない。
 それは悲しみや惨めさの涙であってはならない。それは溢れ出る陽気さ、至福の涙であるべきだ。

OSHO講和集 『英知の辞典』 めるまーる刊


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