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親父への最後のヒーリング

 親父は数年前、93歳のときに病院のベッドで亡くなった。1か月前に会った時には人工呼吸器がつけられ話すことはできなくなっていたが、病室のベッドの横に立つとすぐに私だと気づいて手を差し出してきた。私も手を伸ばして握った。
暖かい分厚い手のひらだった。手を握ったのは実に私がまだ幼児だった時以来ではないか。

入院している人を見舞いに行って、手を差し出されたことはそれまでにも何回もある。
そういう時の握手は何故か力が入る。私が力を入れるのではなく、向こうが力を入れてくる。入院生活でさぞ体力が落ちているだろうと思うのだが、思いのほか皆握力が強い。こちらも思わず手に力が入る。

まだこんなにも力が入るんだぞ、俺は。

そうだね、ほんと、すごい力だよ。まだまだ元気だね。

そういう無言の会話がその握手の中に込められていたような気がする。
握手をした人は、いつもその数日後に亡くなった。だからそういう時は、最後の別れの挨拶になるかもしれないという覚悟で握る。
親父の握力もかなりだった。数十秒間じっと握った。

いろいろありがとう。

いいえこちらこそお世話になりました。ありがとう。

短い無言の会話となった。

その後見舞いに行った時には、瞼がうっすら開いてはいたが、眼はもう何も見ていなかった。人工呼吸器をつけた顔が苦しそうに歪んでいた。呼吸も荒く、リズムも乱れていた。

以前私はボディワークの仕事をしていたことがあり、親父にも家で何回か施術したことがあった。
親父はそういう得体の知れない施術は好きではなく、病院の治療と処方された薬が大好きだった。
だからあまり進んで施術することはなかった。ベッドの横に立った時はもう意識が朦朧としていたので、了解を得ないまま、できるだけのことはやろうと思い、親父の足先に立ち、両足の甲に触れた。

エネルギーの流れをチェックするが、とても弱々しかった。それでもわずかな反応を手掛かりに、流れが少しでもスムーズにするワークを始めた。
そのままの状態で30~40分くらいやったと思う。幾分流れがよくなり、脳脊髄液の流れも戻ってきた。身体の調子を整えるために脳脊髄液の水圧を利用することはとても効果のあるツールの一つだ。
幾分顔色も赤みが戻ってきた。呼吸もだいぶ穏やかになり、静かなリズムが戻ってきた。

足を持ったワークはそれ以上できないと思い、ベッドの横で何か他にできることはないかと考えた。手が届かないので、あとは体に触れることなく、エネルギー身体の調整だけをすることにした。
20~30分間行い、それを終えた。

体全体のエネルギーが大きな丸い風船のようになっていた。さっきまで、でこぼこしたエネルギー身体だったのが、すっかり滑らかになった。そして7つあるチャクラをチェックすると、ハートのチャクラだけエネルギーが活性化して、あとは空っぽだった。

それから2日後に親父は亡くなった。穏やかに安置所に横たわっていた。体はすでに体温を失い、固くなっていた。
しかし驚いたことに、ハートのチャクラだけは何故かエネルギーがしっかりと残っていたのだ。
そのエネルギーは3日間ハートに残り続け、4日目の火葬の前になってようやく消えていた。

親父は生前、ずっと頑固で無口で暗い人だった。酒とたばこなしでは生きていけないような心の弱い人だと思っていた。しかし最後まで残ったハートのエネルギーを感じた時、親父はとても傷つきやすい純粋なハートの持ち主で、それを一生懸命自分自身で支え守ろうとしていたのではないかと思った。
もう少し早くそのことに気づいていたら、もっと話ができたかもしれない。
死んでから分かることって、結構多いことなのかもしれないなとも思う。

 

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