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むらさき川伝説

 近所にある北九州瀬板の森を歩くと、少し冷たくなった風に吹かれて黄色く色づいた木の葉が重なり合うように落ちてくる。暑い夏はついこの間まであったのに、今はもうすっかり秋の気配に包まれている。本格的な秋はもうすぐそこにある。
道端にひっそりクサギの紫色に光る実が揺れていた。赤いガクとの組み合わせが独特だ。このクサギの実のことを調べていくうちに、ある伝説の中に出てくる実のことを思い出した。もしかしたらそれはこの実のことかもしれないと思うようになった。

 その伝説に登場する北九州市最大の街小倉の中心部を流れる紫川は、東部の福智山一帯を水源とし、いくつもの支流が合流して響灘へと注いでいる。以前記事に書いた菅生の滝伝説を生んだ同じ水源から流れ出た川である。この水の流れは姿を変えて、また別の美しい伝説を生み出している。


 むらさき川伝説

 むかし、むかし。
 小倉の町を流れるきく川が海辺にわたる一帯に、浅茅野という漁師の村があった。やまとの船や外国の船が出入りして、かなりの村じゃったが、ある夜、強い風とともに襲ってきた玄海の男たちに村は焼かれ、女たちはかすめ取られ、あとには老人や病人だけが生き残っておった。

 いや一人だけエビスという若者が生き残っての、何とか浅茅野の村を建て直したいものじゃと考えておったわ。
それでの、たった一人できく川をのぼっていき、木部の奥に住むマハギの息子キクヒコを訪ねて、きくの里の木や食べ物をイカダに積んで流してもらうよう頼んでみることにしたのじゃ。

 ところがの、きくの里では他国者はいっさい入れないという掟もあり、ずいぶんとたくさんの他国者が木部峠で殺されて、このきく川の水を血で染めたという話しもたくさん残っとるのじゃ。
まあそれでも若者のエビスは心配する村の老人どもを後にして、浅茅野を出ていったのじゃ。


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 険しい山路を、一山、二山、きく川の流れをたよりにのぼっていくと、どうやらきくの里の柵部が見えてきおったわ。里の煙も何やら心豊かに思えての、恐ろしさも忘れて急ごうとすると道でばったり一人の女と出おうた。
思いがけない、それはキクヒコの妹のムラサキだったのじゃ。エビスはキクヒコの妹とわかると、何度も、何度も、浅茅野のことを思うて頼んでみた。

 「わしはこのきく川の下の里、浅茅野に住むエビスという者。この冬、玄海の海賊どもに里を焼かれ、女はかすめ取られ、残るは年寄りと病人ばかり。今では誰一人として漁に出ることもできん。それでこのきくの里には船によい木があると聞き、この里のキクヒコを訪ねて登ってきた。どうかこのわしをキクヒコに会わせてくれ。」

 「わかりました。でも今、兄に会えばあなたは山の掟で殺されます。それまで私の小屋で隠れて待っていてください。」

 ムラサキの勧めで、三日、四日とエビスは隠れておったが、何とも音沙汰がない。一方ムラサキも、キクヒコにあれこれ頼んではみるが、いっこうに頼みを聞き入れるそぶりは見せん。可愛い妹でも山の掟を破ってまでエビスの願いを聞き届けるわけにはいかんというのじゃ。

 けんどムラサキも負けず熱心に頼んでおった。それでの、とうとう命までかけて頼む妹の心に負けて、キクヒコは一つ条件を出してきおった。

 「それではお前の頼みをきこう。だが一つ条件がある。よいか、このひと月の間に、鯛の百匹を持参すれば、そのエビスという男の願いを聞いてやろう。」

 その夜ムラサキはエビスに事の次第を話し、念をおしておった。

 「エビスさま、手はずは私が整えておきました。この山の南の下に、いかだを作らせ、川岸につないでおります。
さっ、早く、お支度を。
 私も明日からは毎日むらさきに染める藍染の実をこの川から流します。このきく川が紫色に染まっている間は、私がエビスさまのご首尾をお祈りしていると思ってください。」

 ムラサキの情けに気を強くもったエビスは、きくの里からいかだに乗って、浅茅野の里に帰ってきた。


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 浅茅野の村の者は、エビスが死んでしまったものと諦めておったので、いかだの上に元気なエビスを見ると、みんな気も狂わんばかりに喜びあったわ。
さあそこで、次の日から村の年よりたちも元気を出し、エビスとともに、いかだを操り、毎日海に出ては鯛を求めて汗を流しておった。そしてきく川の流れも紫色に染まり、浅茅野の者たちを元気づけておった。

 さあ約束の日が近づいてきたある日のこと、エビスたちは荒れ狂う沖へ向かって、一匹の鯛も逃しはせんと、いかだを乗り出していったわ。しかしのう、その日とうとうエビスたちは帰ってこんじゃった。

 浅茅野の者はたいそう嘆き悲しんだものじゃが、それ以上に悲しいことはの、川上のムラサキがエビスの死んだのも知らんで、毎日、毎日、きく川を紫に染め続けてたことじゃ。
それでの、浅茅野の村の者はエビスとムラサキのことを思うての、きく川の流れをむらさき川と呼ぶようになったのじゃ。


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 不思議なことに、この民話の中には肝心な点がどこにも書かれていない。しかし、そのことがこの物語の美しさをより一層引き立てることになる。
抜け落ちているのは、ムラサキがエビスに恋焦がれたという場面だ。

けんどムラサキも負けず、熱心に頼んでおった。それでの、とうとう命までかけて頼む妹の心に負けて、キクヒコは一つ条件を出してきおった。


 ムラサキが命をかけてまでエビスの願いを兄のキクヒコに乞うのは、明らかにムラサキがエビスのことを強く想ってのこと。しかしながら、この物語の中には何故ムラサキはエビスのことをそんなにも強く恋焦がれたのか、その理由を暗示するような部分もまた意図的にか伏されている。
 

エビスはキクヒコの妹とわかると、何度も、何度も、浅茅野のことを思うて頼んでみた。


 初めての出会いの時の二人の様子は、ここから想像するしかない。
エビスは必死に懇願し続けた。木や食料をくれと。

「わかりました。でも今、兄に会えばあなたは山の掟で殺されます。それまで私の小屋で隠れて待っていてください。」


 この時、里に残る老人や病人たちを救おうと必死に懇願するエビスの熱意にムラサキはぐっと心惹かれた。何とか里を建て直そうとするエビスのその真剣な眼差しに惚れたのではないだろうか。


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私も明日からは毎日むらさきに染める藍染の実をこの川から流します。
このきく川が紫色に染まっている間は、私がエビスさまのご首尾をお祈りしていると思ってください。


 流れてゆく藍染の実とは祈りの印である。藍染の実をどれほど多く流したとしても、それが川を紫に染めることはあり得ない。藍染に使うのは藍の葉を発酵させた染料か、生葉をすり潰した染液を使う。クサギの実はそのまま染料になるが、藍色ではなく空色に染め上がる。

 ムラサキが川に流したのはこのクサギの実だったのではないか。赤いガクと紫色の実が川面に浮いていればよりいっそう目立ったかもしれない。

 ムラサキの祈りが込められたその藍染の実が、川の流れに乗って、エビスの住む浅茅野の里まで辿り着く。川の流れがムラサキとエビスを結ぶ物語となる。

 話の終わりに近づいて、ムラサキが一途な女性であったことが語られる。

それ以上に悲しいことはの、川上のムラサキがエビスの死んだのも知らんで、毎日、毎日、きく川を紫に染め続けてたことじゃ。


 再び会えるその日を待ち侘びながら、藍染の実を川面に浮かべ、ムラサキは手を合わせていた。

 浅茅野の村の者はエビスとムラサキのことを思うての、きく川の流れをむらさき川と呼ぶようになったのじゃ。


 最後の最後になって、ようやく二人の相思相愛という事実を村の者の気持ちから知ることになる。エビスもその約束の日が来ることを心待ちにし、再びムラサキに会えることを祈りながら漁に励んでいた。
毎日毎日、エビスは村の者にムラサキとの間にあった想いを熱く語っていたはずだ。初めて会ったその時、ムラサキはエビスの話を目を輝かせながら聞き入っていた。そしてエビスもまたそのムラサキの美しい眼差しを見て惚れたに違いない。

「このきく川が紫色に染まっている間は、私がエビスさまのご首尾をお祈りしていると思ってください。」


 しかも二人は自らの心の内を明かすことなく、最後は見つめ合っただけで別れることになる。それ以上の言葉がムラサキの口から出てきたとは思えない。それは愛とか恋とかの次元を超えた心の奥から滲み出た表白の言葉だ。祈り以上に深い想いは人間には存在しないということをムラサキは教えてくれている。

 後にはただ、むらさき川という言葉の響きの中に二人の叶わぬ愛と祈りの余韻だけが残る。この伝説は水の流れと祈りの流れという二つのモチーフを一つに重ね、その永遠なる美を描こうとした比喩の物語ではないかと思う。



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参考文献
「福岡のむかし話」
福岡県民話研究会編 ㈱日本標準刊

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