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『さがす』佐藤二朗が素晴らしい俳優だった件。

いや〜、すごい映画を見てしまった。
片山慎三監督『さがす』・・・「平成〜令和の邦画」の文脈とは全く別の場所から唐突に出てきた、むしろポン・ジュノとか韓国映画とかの流れを感じさせる作風なんですよね。でも真似てるとかそういうんじゃなく、これ・・・ポン・ジュノ監督の先をいってるんじゃないかと思うんですよ。邦画の新世代の登場を感じさせます。

傑出しているのは人物描写。

邦画にありがちな「キャラ」に焦点を合わせた描写ではなく、人間同士の「関係性の不安定さ」を描写してゆくことで、人間の本質や日本という社会が浮き上がってくるという・・・クリント・イーストウッド監督の最新作『クライ・マッチョ』なんかもそういう描写でアメリカや世界を描いてましたが・・・つまりそういう世界の最前線に普通に取り組んでる映画です。

そう、そもそも今回このブログは『クライ・マッチョ』の芝居ついて書こうと思ってたんですよ。でも『さがす』の予告編を見てヤベエ!と居ても立ってもいられなくなって観に行って、いや〜もう映画の最初から最後までドキドキさせられまくりで、そして佐藤二朗さんが素晴らしかった!・・・なので今回は予定を変更して『さがす』の芝居の面白さについて書くことにしましたw。(今回ネタバレ気味です!)

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俳優:佐藤二朗。

いや〜『さがす』の佐藤二朗さんの芝居には心揺さぶられまくりました。

今回「二朗さんってシリアスな演技もできるんですね!」みたいな感じで評判になってるみたいですが、コメディやってる時もシリアスやってる時も、佐藤二朗さんの芝居って演技の構造的にはまったく同じだとボクは今回『さがす』を見て思いました。

コメディ作品に出ると俳優って、ついついカメラに向かって、もしくはカメラの向こうの視聴者に向かってボケたり、おどけたり、誇張した芝居をやって見せちゃうもんなんですよね、サービス精神で。

ところが佐藤二朗さんってどんなに大袈裟な演技をしている時でも、意外にも実はカメラに向かっては演じてないんですよ。二朗さんはあくまで目の前の相手役に向かってボケたりおどけたりしているんです。例えば『勇者ヨシヒコ』で二朗さんが演じている仏・・・すごくすごく大袈裟な演技をしていますが、仏はあくまでヨシヒコやその仲間たちを困らせたり笑わせようとしてるだけで、カメラや観客に向かっては一切おどけてないんです。

日常生活の中で我々も大袈裟な声を出したり、身振り手振りを大きくして喋る時があるじゃないですか。大袈裟な振る舞いをする。あれを仏もやっている・・・というのが佐藤二朗さんのコメディ演技の基本構造だと思うのです。

つまりそれは佐藤二朗さんが大袈裟な演技をしているのではなくて、仏が大袈裟な振る舞いをしているのです。

だから仏がひとり取り残されちゃうシーンとか、すごい孤独感が溢れるんですが(笑)、ひとりでブツブツ喋ってますよね。それは佐藤二朗さんが仏の心の声を視聴者に向かって説明する演技をしているのではなく、ようするにただ仏が寂しい中年の独り言を喋ってるだけなんですよ。だからコメディなのに孤独感に溢れてるんです(笑)。

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コメディと同じ演技法のまま心をえぐってくる。

『さがす』でも佐藤二朗さん演じる父は娘との会話の中でボケ倒してます。チュッチュチュッチュしたり(笑)、変な喋り方で喋ったり、娘の厳しいツッコミに対してキツめにスネて見せたり・・・でもこれはあくまで娘にウケよう・楽しませようとしてるだけで、観客にウケよう・笑わせようとしてるわけではない。

そして映画後半、二朗さん演じる父はボケたりおどけたりする余裕がない状況に追い込まれてゆきます。仏の時と同じ演技法のままシームレスにシリアスな芝居に呑み込まれてゆきます。

奥さんの介護のシーンも仏と同じ芝居のままで観客の心をえぐってゆきます。思いつめてゆく奥さんに向かって二朗さんがずーっと薄くおどけてるんですよ。それがどうしようもなく泣けるんです。
そしてクライマックス、自分の腹をナイフで刺すシーンとかでも、二朗さんは「あのダメなお父さん」なりの真剣さで、仏ひとりのシーンとまったく同じ演技法で孤独に小さく独り言を言いながら演じています。そして蘇ってしまったムクドリに「ダメダメそれはダメ」とか独り言チックに話しかけているんです。

あれきっと、もしも仏が父と同じような状況に追い込まれたら、まったく同じ振る舞いをするんだと思いますね。そう、佐藤二朗さんは父と仏を全く同じリアルな演技法で演じています。
そして『さがす』の父は、なぜ娘や奥さんに対してそんなにおどけるのか・・・それは愛ですよね。そこに心打たれるのです。

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伊東蒼、圧倒的な瑞々しさ。

そしてその娘、伊東蒼さん演じる楓が超絶可愛らしかった!ずっと見ていたかったくらい。

リアクションのディテールの量がハンパなかったんですよねー。あまりにディテールが豊かなので、それが演技であることがふと信じられなくなるくらい。表情や動作が複雑なニュアンスに溢れていて、父親とのことや恋愛のことなど、女子中学生の複雑な心理がノンバーバルな(言語以外の)表現で瑞々しく可視化されていました。

そして行動のスピード感、速い!
演技って俳優がいちいち頭で考えながら演じちゃうと遅くなるんですよね。リアルな人間の2倍〜10倍くらい遅くなっちゃう。それが彼女はリアルと同じくらい速いんですよ。

これは頭で考えて演じてるわけでなく、役の人物としての自然な反応が身体から出ちゃってる感じなんですよね。伊東さんは役作りについてインタビューでこう言ってます。

「撮影が始まるまで毎晩台本を読んで、読むたびに「こういう気持ちもあるのではないか」と違う視点で考えたりしました。」

「楓は卓球をやっていて、優勝するぐらい上手という設定なので、ラリーの練習に卓球場へ通い、素振りを毎晩やったり、自分の携帯のホーム画面を卓球にしてみたり、卓球のルールを調べたり。楓の情報を増やせないかな、と考えていろいろ試してみました。」

役作りのために脚本を読み込むだけでなく、リサーチを詳細に行っているんですよね。そしてそれを自分の身体に落とすためのエクササイズを自分で考えて毎日やっている。いや、俳優の鑑ですよ(笑)

その結果、自分の感覚でなんとなく演じるのではなく、しっかり自分とは赤の他人である「役の人物として」行動できるところまで、しっかり準備できてるわけですからねー。いや〜伊東蒼さんの今後が楽しみすぎます。

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邦画の新世代、片山慎三監督。

最後に片山慎三監督についてもちょっとだけ書かせてください。
すっごく意地悪に観客の心を掴んで揺り動かす監督ですよねw。その点で濱口竜介監督とかと並んで、邦画の新しい世代の代表的監督の一人と言えると思います。

片山監督の前作『岬の兄妹』も心を揺さぶられすぎて、正直見ていられないシーンが幾つもありました。いや、どのシーンも素晴らしい演技だし、素晴らしい撮影だし、申し分ないんですが、でも見ていて「あ〜!もうこれ以上心を揺さぶらないでくれ!」と言いたくなるくらい心を揺さぶってくる。何度席を立とうと思ったことか。

邦画にもついに新世代が来た、と感じます。片山監督はポン・ジュノの助監督をやっていたらしいですが、この点においては正直ポン・ジュノを超えているのではないでしょうか。少なくともボクは『パラサイト』よりも『さがす』の方がドキドキしたし、人物たちの関係性がリアルに感じられました。

冒頭でも書きましたが、人物たちの「関係性の不安定さ」を描くことによって、人間の本質が描かれ、その人たちが暮らしている社会の矛盾などが浮き彫りになる・・・これは『さがす』だけではなく『岬の兄妹』も、そして濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』や『偶然と想像』などもそうでした。この新世代の表現って一体何なのかについてはココには書ききれないので、またの機会にまとめて書かせてください。

しかし濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』が米アカデミー賞に4部門もノミネートされましたね。 『さがす』も来年の今頃はアカデミーに行ってたりしたらいいですよねー。
いや〜彼らから目が離せません。

小林でび <でびノート☆彡>


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