花束みたいな恋をした

『花束みたいな恋をした』をNetflixで観ました。タイトルが甘ったるすぎてあまり観る気がしなかったのですが、『怪物』がとても良かったので、坂元裕二さんの脚本ということで観てみました。

モノローグの使い方

まず思ったのは、最初に二人が再会したところから始まって、物語全体を回想にする手法が取られているおかげでモノローグを自然と受け入れられる構成が巧みだということです。

普通は回想もモノローグもNGなんですよ。どちらも物語を説明するために使われる便利な手法だから、下手に使うと安易な道に逃げたように見えてしまいます。というより実際、安易に逃げるために使われるんです。ところがこの作品では、モノローグに意味を持たせることによって、逃げの手法ではなく必要な手法になっています。

ではその意味とは何なのかというと、ひとつは、“同じ現象なのに人によって見え方が違う”ということを、モノローグを使ってうまく表現しています。これは『怪物』につながるテーマで、ここでは同じものを見たり体験したりしても、二人の主人公である麦と絹とで感じ方や捉え方が異なることによって、二人の心が離れてしまっていることを表現しています。

もうひとつは、二人の心が徐々にすれ違っていくさまを、モノローグによって少しずつ少しずつ描いています。

このように①単なる心情の説明、②同じ現象も人によって捉え方が違うというものの味方やリテラシーの問題、③麦と絹の心が少しずつ離れていくのを示す、というように、モノローグに二重、三重の意味を持たせ、この作品はモノローグなしでは成立しないように作られています。

ただ登場人物の心の中を見せるために、安易にモノローグを使ったわけではないということがよくわかりました。とても勉強になりました。

坂元裕二さんの脚本を線で見る

しかしそうは言っても、モノローグはとても便利なので、少し安易な方法を取った感があるのは否めません。だからというわけではないでしょうが、カンヌで脚本賞を受賞した『怪物』ではモノローグを使わずに、②の同じ現象でも人によって捉え方が違うというテーマを描いています。

このように二つの作品を点ではなく線で捉えることができるのは面白いですね。ぜひこの二つの作品を見比べてみてください。

タイトルの是非

さて、最初に『花束みたいな恋をした』というタイトルは甘ったるくて観る気がしなかったと書きました。その気持ちは作品を観ても解消されませんでした。とても綺麗なタイトルなんですが、「この作品のタイトルはこれしかない」とは思えないんですよね。なんで花束でなければならないのかくらいは感じさせてほしかったです。

もうひとつ何かあれば

それともうひとつ何かこの作品にしかない輝きを見せてほしかったです。テーマもエピソードも割とありがちなんですよ。普遍的なテーマは必要なんですけど、何かしらのオリジナリティがあればな~と思いました。この作品は公開時、話題になりましたけど、そのあたりがもうひとつ突き抜けなかった原因だと思います。

制作データ

制作年:2021年
上映時間:124分
制作国:日本
配給:東京テアトル、リトルモア

スタッフ

監督 土井裕泰
脚本 坂元裕二
プロデューサー 有賀高俊、土井智生

キャスト

山音麦 菅田将暉
八谷絹 有村架純
羽田凜 清原果耶
水埜亘 細田佳央太
押井守(本人役) 押井守
Awesome City Club PORIN
Awesome City Club atagi
Awesome City Club モリシー
加持航平 オダギリジョー
八谷早智子 戸田恵子
八谷芳明 岩松了
山音広太郎 小林薫


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