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【和訳】パク・チャヌク インタビュー: 過去と未来を組み合わせる

2023年11月にMUBI Notebookで公開されたHans Ulrich Obristによるインタビュー「Combining the Past and the Future: A Conversation with Park Chan-wook」を日本語に訳してみました。

韓国の監督パク・チャヌクの映画制作の原点から、ノワール・ロマンスである最新作『別れる決心』まで幅広い話題について語った。


現在進行中であるインタビュープロジェクトのために、パク・チャヌクと話せたことは大変嬉しく光栄なことであった。ビジュアルアーティスト、建築家、詩人、映画監督、作家との4000にも及ぶ対談を含んだこのプロジェクトは、全ての芸術を一か所にまとめ上げ、我々の時代ならではの芸術と文化のポリフォニーを作り上げるために知識を蓄えることを目的としている。
これらのインタビューでは、まだ実現されていないプロジェクトや未来の芸術家に向けたアドバイスについての質問がよく出るが、中でも私は始まりを強調している:芸術家はどのように始めるのか。どのようにアート、映画、建築を始めたのか。自分らしさを見つけられたと感じたのは、具体的にどの作品からなのか。
私はパク・チャヌクを『JSA』(2000)で知り、以降の『親切なクムジャさん』(2005)、『お嬢さん』(2016)までずっと彼の作品を追っている。しかし、私が特に『別れる決心』に惹かれるのは、かなり変わった作品であるためだ。彼は「人生は苦痛と幸せで溢れています。それを見せたかったのですー人に対する憎しみを抱かないのはほぼ不可能であることを」と言ったことがある。復讐と深く結びついている昔の作品について語っているのかもしれないが、このような大きなテーマーギルバート&ジョージ (*Death, Hope, Life, Fearという作品)のように、死、希望、恐怖、人生ーここに私は幸せと苦痛を足すーは『別れる決心』とも深く関係していると考える。この対談の中では、パクは長い制作過程について語りー長い制作準備、長い撮影期間、長いポストプロダクションー私はそのゆっくりとした過程が特に興味深いと感じた。『別れる決心』のテーマは複雑であるーパクは映画を通して何かメッセージを伝えようとするような監督ではない。この作品はより重層的である。彼は、物語に実に様々な解釈がなされることを望んでいるのだ。
イギリスで映画が公開されたときにZoomで実施された今回のインタビューは『別れる決心』の複雑さを解いていくことに焦点が当たっている。プロデューサーとして韓国映画をメジャーなものにしたMiky Leeに感謝を述べたい。彼女は異なる芸術をつなげるのがとても上手であり、私とパク・チャヌクをつないだ当人でもある。全く新しい方法でアートと映画を結びつけるためのビジョンを持ったEfe Çakarel (*MUBIのCEO)にも感謝を表する。

NOTEBOOK: 私は映画監督、ビジュアルアーティスト、建築家と共に長い間このようなインタビューを行ってきました。始めるときはいつも始まりについて聞いています。どのようにして全ては始まったのか、何か気づき、あるいは啓示があったのかについて。どのようにして映画と関わるようになりましたか、あるいはどのようにして映画があなたに近づいてきたのでしょうか。

パク・チャヌク (以下パク): 気づきの瞬間は二つありました。一つ目の瞬間はキム・ギヨン監督の『火女'82』を観たときでしたー彼は[1971年の]自分の作品を1982年にリメイクしました。二つ目の瞬間は1984年『めまい』(1958)を初めて観たときでした。『火女'82』を映画館で観たときとは違い、『めまい』は非常に小さいモニターを通してビデオで観ました。さらに、英語や韓国語字幕がなかったので、物語を想像しながら観ました。空白の部分を想像力で埋めなければならなかったのです。これは何も新しいことではありませんでした。当時の韓国では良い作品を観る機会があまりなかったわけですから。幼い頃から、つまり小学生の頃から大学に入るまでの間、韓国では米軍のためのテレビチャンネルがあり、そこで放送されるものは字幕がついていませんでした。また、カラー映画だったものの、韓国ではカラーテレビが放送され始めたのは80年代に入ってからなので、白黒で観るしかありませんでした。なので、物語だけでなく、実際はどのような色が使われているのか想像する必要があったのです。

NOTEBOOK: 映画と関わる前は哲学を学びましたね。学科の分析的志向に失望し、哲学と別れる決心をしたことがとても興味深いです。哲学への関心は常に持ち続けているとは思いますが、専攻として学ぶことはしなかったのですよね。あなたはどのように現代の哲学とつながりを持っているのでしょうか。まだ哲学に興味はありますか。

パク: 私が哲学で焦点を当てたかったのは美学です。この点においては、私は大学選びを間違えました。なぜなら、母校の西江大学には美学に関する講義がなかったからです。イエズス会の学校でほとんどの場合、神父が教鞭をとっていたため、興味のない中世のカトリック哲学について学ぶことが多かったです。入学後、程なくして映画と写真に惹かれていき、熱中できることが新たに見つかりました。
入学した1982年という年は、政府に対する学生運動が活発に行われていたため、韓国の現代史においては非常に重要な時期です。1960年代末のヨーロッパと似たような現象が起きていました。警察部隊ー交番の警察ではなく、言葉通り警察でできた部隊ーがキャンパスに駐在し学生運動を行う人たちに対して暴力を行使していたため、大学で普通に授業を受けることは難しかったです。毎日キャンパスで催涙弾に当たったり、友人や他の学生がビルの上から飛び降り自殺をしたという話や、警察から拷問を受けている人びとの話を聞いたりしていました。全体的に大変な時期でしたし、学生にとっては勉強をするのが大変な時期でした。
今は特定の学派や哲学者を支持してはいませんが、哲学専攻を通して学んだのは、あるテーマや題材を扱うときにその表面に注目するだけでなく、最後までその論理を追究することです。

『別れる決心』(パク・チャヌク, 2022)

NOTEBOOK: あなたは創作過程において、記憶力が悪く、観た映画をよく覚えていないため、特定の作品や監督は参照しないとよく言ってきました。影響を受けたものについて聞かれると、よく文学について語りますね。この文学とのつながりがすごく気になります。なぜなら、フランスの女優ジャンヌ・モローに、映画について考えるときは、必ず文学とのつながりについても考える必要があるといつも言われてきたからです。あなたのインタビューを読み漁っていたら、例えば2004年に行ったThe Hollywood Reporterとのインタビューでは、影響を受けた作家として、シェイクスピア、カフカ、ドストエフスキー、バルザック、近年の作家としてはカート・ヴォネガットを挙げていました。彼らはどのようにしてあなたの映画作りに影響を与えてきたのでしょうか。

パク: 文学は確実に創作において私に影響を与えており、想像力を働かせてくれています。抽象的、あるいは概念的な文学を読んでいても、必ず様々なイメージを思い浮かべます。素晴らしい小説や劇の場合、当然これらのイメージが自然と浮かぶような要素が含まれているので、物語がどんな空間で展開されているのか、あるいは登場人物がどんな服を着ているのか、どんな季節なのか、どんな木がそこにあるのかまでも想像することができます。典型的な中産階級の家庭でドラマチックな出来事は特に経験せずに育ってきたので、外国のエギゾチックかつドラマチックな世界に常に惹かれてきました。
大学生の間、韓国は政治的に苦しい時期、壊滅的で苦痛の多い時期を迎えていたため、文学に逃げていました。そうすることで、人間と社会の関係性について学ぶこともできました。The Hollywood Reporterのインタビューでは言及していない、ジャンル文学を書いた非常に重要な作家たちがいます。ミステリー小説やスパイ小説もたくさん読みました。レイモンド・チャンドラー、ダシール・ハメット、ジョン・ル・カレなどにも大きな影響を受けました。

NOTEBOOK: ミステリー小説を取り上げたのは、最新作『別れる決心』とつながりますね。あなたはこの映画を殺人ミステリー・ロマンスと表現しました。2020年に初めて発表したときは『別れる決心 (Decision to Break Up)』という題名でしたが、別れる決心は去る決心(*英題は『Decision to Leave【訳: 去る決心】』)に変わりましたね。なぜ別れる決心は去る決心となったのでしょうか。

パク: 実は韓国では、タイトルは『別れる決心』のままなんですよ。初めは直訳しようと思っていましたが、最終的には少し変えました。そのため、100%正確な訳ではないものの『去る決心 (Decision to Leave)』で行こうとなったのです。そうなったことには特別な理由はありませんが、Decision to Leaveの方が詩的だと思いました。「leave」の方が動きを視覚的に表現する言葉であるとも感じます。例えば、車に乗ることでも歩くことでも去ることはできますよね。このタイトルは、去るという行為自体を的確に捉えています。私は多くの場合、イメージと行為を連想させる方が好きです。

『別れる決心』(パク・チャヌク, 2022)

NOTEBOOK: 『別れる決心』の制作を検討していたとき、刑事が容疑者と恋に落ちるというよくある設定から始めたと言ったことがありますね。感情を持ち込むため、既存の刑事のイメージとは全く異なります。どのようにしてそのような設定から始めることに決めたのでしょうか。

パク: これは先の影響を受けた作家の話とつながります。高校生のとき、スウェーデンの小説で刑事マーティン・ベックシリーズの4作目である『The Laughing Policeman』がすごく好きでした。全10作のシリーズは韓国で少しずつ出版されてきました。最初の方に『別れる決心』が生まれるきっかけとなったのは「もしマーティン・ベックが容疑者と恋に落ちたら?」という考えでした。その後、映画は全く違う方向性を持ち、当初の構想とは無関係であるかのように思えますが、刑事が愛と自分の仕事への強い責任感との間で葛藤する様子は残りました。

NOTEBOOK: 私の知る限り、この映画が生まれるきっかけとなったのは歌、作品の中で重要な役割を果たす「霧」という美しい歌ですよね。韓国では有名な歌謡曲で、映画のためには有名な女性と男性の歌手を起用しました。この歌はサウンドトラック以上のものであるように思えます。ある意味、作品の魂の一部でもあると思うのですが、違いますかね。

パク: 実はこのインタビューの後にiPhoneで動画を撮る仕事が入っています。チョン・フニという、この歌を歌った女性の歌手についてのドキュメンタリーのためです。彼女は年のいった我々の世代にとってスターであり続けていますが、映画の公開後、彼女は若い世代にとってもスターになり、第二の全盛期を迎えているようです。この作品を通して、若い世代がこの曲と彼女の偉大さを知るようになったことがとても誇らしいです。それだけでこの映画を作って良かったと思います。
『別れる決心』でこの曲は、現代の初めの方の韓国文化との関係性、その歴史と伝統に続くような関係性を築くために使われました。60年代末から70年代にかけて活動していた二人の歌手は、当時韓国で最も偉大な歌手たちでした。それに作曲家はジャズの巨匠であり、当時の歌謡曲をたくさん出してきた方でもありました。この曲は初めに1967年の『霧』という違う作品のために作られ、アントニオーニを彷彿とさせます。現代の傑作である『霧』は韓国の有名な短編を基にしたものです。素晴らしい文学と映画の系譜に連なり、さらに素晴らしい作曲家と歌手に続くことで『別れる決心』は当時の韓国文化の伝統の終着点となりました。
実はこの曲の歌詞ー現在も誰が書いたのか分かりませんーから物語の着想を得ました。歌詞は霧の中でシルエットを目にしたと、そしてそれは歌手の別れた恋人のシルエットであったと言っています。不確かな世界の中で昔の恋人を見ていることから来る痛みや悲しさをよく表現しています。表面的には昔の恋人について書かれた歌詞ではあるものの、少し広げて解釈すると、何が本物で何が真実なのかについて考えているような、世界に対する不明確な見え方をやや体現していると思います。我々のいるぼやけた世界では、何が真実なのか。相手の本当の気持ちは何か、さらに自分もどのように本当の気持ちを持つことができるのか。歌詞は我々が住む世界の不明瞭さを表現しています。歌の中に「霧の中で目を開けろ」という歌詞があります。この一行が大きなひらめきを与えてくれました。歌を堪能していたら、この一行に非常に衝撃を受けたことを今でも覚えています。その感覚を映画でも描きたかったのです。作品では、この一行は刑事が目薬を使うことを通して表現されています。彼は何かをはっきりと見たいときにまばたきをします。

『別れる決心』(パク・チャヌク, 2022)

NOTEBOOK: 先程あとでスマートフォンで撮影を行うとおっしゃっていました。技術の発展は仕事をする上でどのような影響を与えたのか、あるいは変化をもたらしたのか気になります。『別れる決心』では、電子機器は主人公たちにとって重要な道具として登場します。携帯の中から映された主観ショット、恋人が携帯の中を覗き込んでいて携帯を見ているショットがありますよね。携帯は人物たちのつながりを見せる役割も果たしています。ヘジュンはソレが車に捨てた携帯を拾い上げ、録音された音声を再生します。画面に反射する自分の姿を見るところでは、携帯は鏡にもなります。ヴェネチア・ビエンナーレで金獅子賞を受賞したビジュアル・アーティストのアンネ・イムホフは、自身のインスタレーションでスマートフォンを使いました。彼女の作品でダンサーたちはスマートフォンを使ってコミュニケーションを取っていますが、あなたの作品でもこれと似て、電子機器をコミュニケーションツールとして用いていると思います。技術の発展はどのようにあなたの仕事の仕方を変えたのでしょうか。そしてどのように作品そのものに電子機器を取り入れているのでしょうか。

パク: 映画は常に技術の発展とつながっていますが、必ずしも良い方向への発展であるとは言えません。私は技術の変化に対して慎重でした。私は韓国で初めてデジタルカメラ、デジタルサウンドミキシング、デジタルカラーコレクションを使った映画監督の一人であり、世界で初めてスマートフォンで短編を撮った映画監督の一人でもありました。昔からずっと3D映画を作ってみたいとも思っていますー実は『お嬢さん』を3Dで作りたいと思っていましたが、予算が足りず断念しました。
韓国人はスマートフォンを「ハンドフォン」と呼びますが、これは携帯が身体の延長であることをよく表現していると感じます。身体の延長で映画を作ることは映画制作の理想とも言えるでしょうープロを必要とする大きな機器に頼らなくて済むわけですから。傑作をペン一本だけで書ける時代に戻れるようで、すごく革命的だと思います。残念ながら今の携帯は我々が求める芸術のレベルに達するには不十分なので、使える範囲は限られています。もしドストエフスキーがより高価なペンでより良い作品を書けたとしたら、そうしたでしょう。映画制作においては残念なことに、良い作品を書くためには高価なペンが必要なのです。ただ、安くて簡便な機器を使って質の高い作品を作られる日が来れば、映画は革命的で新しい時代に突入するでしょう。
『別れる決心』に関しては、ロマンス映画を作りたかったので初めは電子機器の使用を最小限に抑えたかったのですが、そのような機器を用いずに現代の生活を描くのは不可能であることに気づきました。現代の中高生を描く作品よりも積極的に電子機器を取り入れることにしたのです。恋人に関しては、見方によっては、美しい字で手紙を書くよりもリアルタイムでの疎通が可能なメッセージを送る方が、利点が多いです。手紙を書き、それを送り、相手が読み、返事が届くまでには、時間と空間の空白が作られ、結果として相手を待ちわびる感覚が自然と生まれます。一方、メッセージに関しては、リアルタイムで思いを共有できるため、感情を伝える上で新しい形のやりとりが生まれます。メッセージを同時に見ているため、携帯の中の相手をたやすく想像できます。そして携帯で自分の声を聞くとき、過去にミイラ化した自分を想像することができます。ある意味、鏡として使うことができるのです。スマートフォンは本当に身体の延長として捉えることができます。携帯は手、口、耳、あるいは目の一部となるのです。

『別れる決心』(パク・チャヌク, 2022)

NOTEBOOK: ソレの家には波にも山頭にも見える模様の壁紙があります。彼女は中国の古典『山海経』を中国語から韓国語にも訳しています。これらを通して作品に取り入れた山と海の話が気になります。

パク: かなり対照的な背景を持つものの、互いに惹かれるソレとヘジュンの状況から作り始めたものでした。人びとを山の人と海の人に分ける孔子の論理に従えば、二人とも海の人であることからつながりを持っています。言葉を使わず、異なる二人がつながっていると表現する方法を見つけたかったのです。ソレの一人目の夫は山が好きで、彼女が嫌いな登山に無理やり連れていく人でした。マーラーを聴きながら山を登っていたとき、観客は彼がここで死んでも良いくらい幸せだと言っていたことを覚えているかもしれません。ソレは憎悪で彼を殺しましたが、高所恐怖症の彼女はつらい思いをしてまで、彼が望んでいた死に方を実現してあげたのです。山に登るのは彼女にとって最も難しいことでしたが、彼にとっては最も幸せな死に方でした。これは、彼女がしがみついた最後の良心の呵責だったと言うことができるかもしれません。大したことないように思えるでしょうが、彼女にとっては大事なことでした。
山が嫌いで山で殺人を犯さなければならないソレで始まり、彼女は海の人であるため、海へと消えていく終わりを迎えます。彼女の旅は山から始まり、山を下りて、海で終わるのです。山と海についての中国の古典も、もちろんあります。『山海経』というタイトルがついていますが、山と海を越え、宇宙全体を扱っています。これらの本を通して表現したかったのは、二人の主人公が登場する単純な物語ではあるものの、独自の世界を作り上げた物語でもあるということです。終わりの場面のロケ地を探していたとき、海のそばに大きな山のような岩と、素晴らしい松の木まである場所を見つけたのがすごく嬉しかったです。海のそばに岩を見つけたことで、海と山を一つのフレームに収めることができました。

NOTEBOOK: 芸術作品に様々な見方を発見できるのはとても大事なことであると感じますー絵画にしても、何回も読むことができる文学にしてもー毎回新しい発見があります。この作品を通しても同じことを狙っているのではないでしょうか:たくさん観ても飽きない映画を作りたいのではないかと感じました。どのようにして飽きない映画を作ることができるのでしょうか。マルセル・デュシャンは、見る人が半分こなしてくれると言ったことがありますが、映画にも同じことが言えるような気がしますー特にこのような映画は観る度に、新しいものが見えてきます。観客は映画に関わっていきます。ある意味、作品に参加しているのです。

パク: そうです、私は常にそのような映画を作ろうとしています。50年後、100年後に観ても楽しめる、遠い未来においても観る価値のある映画を作ることが本当に唯一の目的です。過去に向かう方法も、未来に向かう方法も存在します。過去に向かうということは、人間について考える、人間において変わらない要素とは何かについて考えることであり、考えるということの原形に戻る、人間が持ち続ける感情や様々な考え方に戻ることです。人類において不変的な要素について考え、そのような要素が作品にも入っているのかについて考えれば、未来の人類は同じ要素に共感します。未来に向かうとき、つまり世界がどう変わっているのか、どのような方向に向かっているのかについて考えるときは、これについて振り返り、予測する必要があります。そうすれば予言的な映画を作ることができます。『別れる決心』を例にとれば、愛、喪失、切望といった感情は、人類において不変的なものです。その一方で、現代の技術と機器を積極的に取り入れることで、この作品は未来へ向かおうとしています。この映画で過去と未来の要素を組み合わせることを実現しようとしました。

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