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能力主義のダークサイド

前回からの続きです。

この本を読んで、一番ハッとしたと同時に納得したのは「能力主義(メリトクラシー)は労働の尊厳をむしばむ」という言葉を見つけたときでした。それは「能力主義において貧しいことは自信喪失につながる」ということにもつながります。どういうことか・・・

貴族社会、つまり生まれながらの身分で成功が決まっている場合であれば貴族は貴族で、この地位や名誉は自ら手に入れているわけではないことを自覚し、市民は市民で、今の立場を自分のせいにはしません。地主などが、自分よりも優れたりふさわしいからその地位にあるのだと思うことなく、運がいいに過ぎないことを分かっているからだと言います。

一方で、能力主義の社会は異なります。

努力と才能によって能力主義社会の頂点に登り詰めたとすれば、自分の成功は受け継いだものではなく、自ら勝ち取ったものだという事実を誇りにできる。貴族社会における特権とは異なり、能力主義社会における成功は、自力で地位を手にしたという達成感をもたらす。(中略)
同様の理由で、能力主義社会において貧しいことは自信喪失につながる。(中略)
能力主義社会の最下層に落ち込めば、どうしてもこうした考えにとらわれてしまう。すなわち、自分の恵まれない状況は、少なくとも部分的には自ら招いたものであり、出世するための才能とやる気を十分に発揮できなかった結果なのだ、と。人びとの出世を可能にし、称賛する社会では、出世できないものは厳しい判決を宣告されるのである。

(170ページ)

確かに、今の私はひねくれてしまったので、成功者をみても、また、成功事例や成功哲学として語っているのを聞いても、素直に聞くところは聞きますが、時と場合によっては「運もある」と話半分…とまではいかなくても、幾分差っ引いて聞くようになってしまいました。

でも、以前の私はそうじゃなかった。自分がもっと努力すれば、もっと変わることができたら、もっと、もっと…と、できない自分を責めていたように思います。

そして、こうも続きます。遺伝や身分、家庭、民族など偶然の要素による有利なこと、不利なことをきちんとクリアに見つめることができれば、

それによって、勝者も敗者も、自分は人生における自らの運命に値するという思い込みを避けられる。

(173ページ)

「今の自分の環境=私の価値」は思い込みであり、事実はそうではない、ということです。

もしある人が悲惨な状況にあるとしても、それはその人がその程度の価値だから、とか、そういうことじゃない、と。逆もしかりで、ある人が大成功を収めたとて、その人がそれだけの価値があるから、ということではない。環境によって、自分を過剰に傷つける必要も、自信過剰になる必要もないのです。

さらに、裕福で権力を持つ人が自分たちの特権を失わないように、不正をしてきたとか、チャンスが平等に与えられていないとか、そういった問題はこれまで聞いたことがありますが、

だが、問題がもっと根深いものだとしたらどうだろう?能力主義の真の問題はそれを実現できないことではなく、その理想に欠陥があるのだとしたら?出世のレトリックがもはや人びとを勇気づけるものではないとしたら?

(177ページ)

と言われて、なるほど、たしかにその想定はしたことがなかったと思ったのです。私自身、能力主義の考えに、どっぷり浸かりきってしまっているのです。

能力主義にとって重要なのは、成功のはしごを上る平等な機会を誰もが手にしていることだ。はしごの踏み板の間隔がどれくらいであるべきかについては、何も言わない。能力主義の理想は不平等の解決ではない。不平等の正当化なのだ。

(180ページ)

能力主義においては、すべては「自分が招いたもの」として片付けられてしまいます。

過去の事例を見ても、「社会に恨み」を抱いて何か事件を起こしたとき、もちろんやったことは責められるべきですが、それ以前の環境すらも「自分の責任」であり、本人の努力が足りなかったなどの言葉で片付けられてしまう傾向にあると感じます。それは本人が一番、自らを責めることをしていて、そしてさらにうっ積してしまう…本当にそれは健全な社会なのだろうか?

それもまた、すでに特権を得ている人たちに洗脳されているということではないだろうか?不平等を正当化されているという罠にハマってしまっているんじゃなかろうか?

われわれは自分の才能に値するか

そもそも才能と努力の許す限りであるのはなぜだろうか?自分の才能が自分の運命を決めるのであり、人は自分の才能がもたらす褒賞に値するのだと仮定するのはなぜだろうか?
この仮定を疑うのには2つの理由がある。第一に、私があれこれの才能を持っているのは、私の手柄ではなく、幸運かどうかの問題であり、私は運から生じる恩恵(あるいは重荷)を受けるに値するわけではない。(中略)
第二に、自分がたまたま持っている才能を高く評価してくれる社会に暮らしていることも、自分の手柄だとは言えない。これもまた運がいいかどうかの問題なのだ。

(182ページ)

あなたはどう思いますか?

(文責:森本)

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