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【幕末】諸外国に対し最前線で奮闘した男〜川路聖謨〜

この人の生涯に華はない。でも、その生き方にカッコよさを感じる

先日、講談師 神田伯山先生の「鹿政談」を、伯山先生の公式YouTubeチャンネルで拝見した。

「鹿政談」は昨年に初披露された演目で、その制作過程は、TBSラジオ「問わず語りの神田伯山」でも、たびたび話題に(ネタに?)なった演目だ。

この「鹿政談」は、川路聖謨(かわじとしあきら)という江戸時代末期の人物を主人公としている。

川路が奈良奉行として、奈良に赴任した際に巻き起こった事件に関するお話だ。

1. 実直で真面目な性格だった川路

「鹿政談」で描かれる川路聖謨は、真面目さや有能さの中にコミカルな面を持った人物として描かれている。

実際の歴史でも、川路聖謨は非常に実直で真面目な人物だった。

川路の生まれた家は、下級武士で血筋もない。そんな貧しい家に生まれながらも、川路はその勤勉さと有能さを発揮し、幕府の官僚トップである「勘定奉行」上り詰めている。

幕府の実務を司る「勘定奉行」において、川路は諸外国の開国要求に対する対応や、朝廷との調整役として奔走した。

川路が「勘定奉行」となっていた当時の江戸幕府は、ペリー率いるアメリカや諸外国から開国要求を突きつけられていた時代だ。

その状況の中で、川路は諸外国との交渉の最前線に立ち、様々な交渉ごとをまとめていく。

川路のその仕事ぶりには、諸外国の外国官も高く評価しており、露のプチャーチンは「日本の川路という官僚は、ヨーロッパでも珍しいほどのウィットと知性を備えた人物であった」と語ったほどだ。

川路は、日本が鎖国から開国へと移り変わる中で、
重要な役割を担った。

2. 江戸幕府のために奮闘するも、無念の最後

川路聖謨は江戸幕府のために、諸外国や朝廷との交渉において重要な役割を担っていく。

その川路の仕事ぶりは幕府の首脳陣からも評価され、
川路が高齢を理由に引退を申し出ても、許可しなかったほどだ。

しかし、川路の奮闘も虚しく、江戸幕府の権威はどんどん低下し、ついに1868年(慶応4年)、大政奉還から戊辰戦争の流れで江戸幕府は滅亡する。

川路も江戸幕府の滅亡と共に、自殺して68年の生涯を終えている。
当時の川路は、病気により半身不随の状態だったが、ピストルで自らの喉を撃ち抜く、壮絶な最後をとげた。

江戸幕府のために奔走し、そして江戸幕府と共に亡くなっていった男だった。


今回、「鹿政談」をきっかけとして、川路聖謨という男の生涯を調べてみた。川路は非常に実直で真面目、そして江戸幕府のために奔走した男だ。

江戸幕府は、幕末で敗者となってしまったが、川路の人生には美しさとカッコよさを感じる。

非常に魅力的な人物だった。


<参考文献>


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