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我が心のつくばカピオ

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サンガイアがカピオで試合をすると聞くと、どうしてもそーまとーのように思い出すことがいっぱいあって、からだじゅうの毛穴が開いてしまうのだ。なので、開いた毛穴の記録としてここにぶちまけておく。ある化石がなんでカピオの玄関前で泣きそうになっているかわからなくなったら是非ひもといてください(2014年7月にブログに書いたエントリの加筆再録)。

つくばカピオとは

つくば市、TXつくば駅から徒歩圏内の便利な場所に「つくばカピオ」はある。アリーナとホールを併設する施設であり、そのアリーナ部分については、2013年7月17日よりネーミングライツが導入され「サイバーダインアリーナ」という呼称となった(註:ネーミングライツは2017年3月末日を以て終了した。なので、現在の呼称にはサイバーダインの名称はつかない)。

以下に書くのは、9分9厘そのアリーナ部分でのことなのだが、便宜上本文中の記述は「カピオ」で統一する。

初めてその場所を訪れてから現在に至るまで、あまりにも思い入れと思い出が多すぎるこのハコでの観戦について、強引にまとめてしまうことにする。

2005/07/16-17(東西インカレ)

前年、久々にバレーボールを見に行くようになったわたしは、その後この大会の存在を知り、開催を待って見に行くことにした。当時、TXことつくばエクスプレスは未開通で、現地へは東京駅から高速バスに乗って行った。
詳細はブログに書いているが、今とフォーマットが違うし、リンク先もかなり散逸しているし、読みにくいなぁ…。
とにかく、初めて見て目が丸くなる、そんなイベントだった。アリーナでは大学東西上位決定戦のほか、筑波大学OBを集めてのドリームマッチ、ダンス部などの演技など趣向を凝らしておこなわれ、ホールでは意義深いフォーラムがおこなわれ、屋外では体験型イベントやフードコートがあり、更にパーティーも…(パーティーはでていないからわからないが)。この熱気はなんだろうという大会だった。
この大会でのドリームマッチ終了後、「あたらしいチーム」の起動が発表された。「あたらしいチーム」は「つくばユナイテッド Sun GAIA」と名付けられた。

2005/11/13(第7回つくば市バレーボール教室&エキシビションゲーム)

TXが8月に開通。非常に往来が楽になった。
「つくばユナイテッドSun GAIA-筑波大学」と銘打ったエキシビションゲームが、午前中のバレーボール教室に引き続き、カピオでおこなわれた。

年明けの地域リーグ開幕前、未だ公式戦を戦っていなかったサンガイアのお披露目試合であった。当時の筑波大学主将であったゴッツこと石島雄介がサンガイア側にピックアップされ、そのユニフォームを着て戦ったというレアな状況だった(ただし、しゃしんは無い)。

2006/08/18-20(東西インカレ)

前年は日帰りだったが、今回はパーティーに出席することにしたのでつくばに泊まった。3日間の日程、盛りだくさんであった。
大会期間中にゴッツのブラジル移籍が発表され、フードコートで早速その話題を出して喜ぶ少年を見かけてほっこりした。活躍した選手に贈られた賞品の中に「メガライナーチョロQ」(関東鉄道提供)があり、その後のメガライナーの運命を思うと何とも言えず遠い目になったり。

2003年から続いていたつくばでの東西インカレ開催は、ひとまずこの年で一区切りとなった。

2007/03/24-25(2006/07 V・チャレンジリーグ)

「V・チャレンジリーグ」初年度のファイナルがおこなわれたのはつくばカピオだった(同時に沖縄でも開催された。Vリーグの沖縄開催はこの前のパナソニックのが初めてじゃなくてこのとき以来だと思うのだよ)。この後、2009/10まで3シーズン続けてカピオでのファイナル、ということになった。尤も、それがサンガイアに幸いしたかどうかはよくわからない。

2007/08/21(関東甲信越体育大会)

筑波大学が毎年夏に出場している大会。開催地は持ち回りで、この年の開催地がカピオだった。これまで記述したような派手な仕掛け・趣向があるような大会ではなかったが、涼しい会場での観戦は快適であった。
この日、初めて宇都宮大学を見て、その背番号10(当時の宇都宮大学は4年間同じ背番号をつけてプレイしていた。サンガイア史初期の大きなキーマンであった大木貴之)に釘付けになった。半年後から、衝撃のシーズンが始まることになる。

2008/03/22-23(2007/08 V・チャレンジリーグ)

両日4試合ずつがおこなわれたグランドファイナル。サンガイアの試合には、この会場が2000人を越える観客で埋まったというのを、思い出せるような、思い出せないような。隣のホールでバレーボール学会が開催されていて、こんなことがあった。ちなみに文中に出てくる黒後洋先生は他ならぬ黒後愛せんしゅのぱぱである。

2008/07/25-27(東西インカレ)

カピオでは2年ぶりの東西インカレ。一部日程でカピオだけではなく、サブ会場として桜総合体育館も使用した。このあたりから、当方にとっては「何かに出会う運命のカピオ」みたいな要素も出てきて、なんだかこわくなった(言ってろ)。

決勝戦(東海-中央)、双方とも全日本選手(現在はともにパナソニックに所属する清水福澤両主将)不在の布陣で東日本に続く熱戦が展開されたが、落雷による停電のため試合が10分ほど中断するハプニングがあった。(しゃしんは現東海大札幌高校監督と株式会社ヴォレアス取締役髷の人)

2009/03/20-22(2008/09 V・チャレンジリーグ)

FC東京はこのリーグのあと、大和でのチャレンジマッチに勝って、卒業していった。

2009/07/18(サマーリーグ東部男子)

このときは、まだ男子も開催されていたサマーリーグ。2日開催だが2日目だけ行った。その後サンガイアに入る、加藤・王両選手の姿があった。

2010/03/20-21(2009/10 V・チャレンジリーグ)

毎年毎年レギュレーションが変わっていたV・チャレンジリーグ、このシーズンは総当たり1回後、上位リーグ(6)と下位リーグ(5)に分かれてのリーグ戦。その上位リーグラスト2日がカピオ開催だった。
通称三日月テロ。

2010/08/07-08(東西インカレ)

初めて、筑波大学が出場せず、スタッフに徹した大会。このときに初めて見たのが愛知大学・浅野(現ジェイテクトSTINGS。キャプテンがおにいさんだった)。

その愛知大学と開幕初戦を戦った中央大学は、セッター急遽交代、リーグで負傷していたエース復帰、という非常に複雑な状況ではあった。その試合を見たあとに外で呑んだビールが美味しかったことだけは、未だによく憶えている。
そして、この年のツクツクは、カピオでこれまで見たツクツクの中で、一番中の人がすばらしかった。中の人などいないけど(当時筑波大学1年生だった市原英選手。1シーズンだがサンガイアでもその姿を見ることが出来た)。

2011/03/12…(2010/11 V・チャレンジリーグ)

このシーズンは最終より1週前に日程が組まれていた。前日までその場に赴くのを楽しみにしており、直前にブログエントリを2本も書くくらいおだっていた。だがしかし、開催前日に東日本大震災が発生し、つくば界隈も多大なダメージを受けた(そのときサンガイアは会場設営中であったと耳にした)。勿論大会は中止となった。

そして、この後、わたしも、しばしカピオとの縁が遠い日々を過ごした。

2014/02/08-09(2013/14 V・チャレンジリーグ)

運命のカピオパート2。一区切りにしようと思って行った試合でハマるというよくあるパターンの。

なお、このときは関東に猛寒波が襲来していて、非常に雪が降って積もっていた。それまで4桁来場(記録上)であった観客動員数は非常に厳しいものとなった。

今回のホームゲームはそのとき以来のカピオである。

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