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仏教ってなんですか?―『あなたにオススメ』の自動再生を解除する方法

仏教ってなんですか?

noteのタイムラインでおすすめしてくれる記事に、『仏教とは』とか『仏教ってそもそもなんだろう』っていうタイトルの記事をよく見かけます。わたしは自分にとってあまりにも当然であることについて言及するのが、とても苦手で、きちんと書かれている記事などを見て、猛反省しました。

昨日書いたヴィ―ガンについての記事も、お肉なんて家の中に存在しない、魚は猫の食べ物だと思っているから、誰かに『どうやったらヴィ―ガンになれますか?』と聞かれるまで、その問い自体が思いつかないわけです。

そこで『仏教とは』という色々な方のご意見を拝見させていただいたところ、びっくり!わたしが想像した内容と全然違いました。

たとえば、仏教とは釈尊の教え、仏になるための教え、悟りへの道を説いた教え、ブッダの説いた言葉とそれに基づく表現の歴史、しあわせに生きる教え、自由に生きる教え、などなど。

もちろんそうです。100%正論です。でも、もしわたし自身が『仏教ってなんですか?』と聞かれて、とっさに口から出てくるであろう言葉は全然違うだろう思い、今日はそのことについてお話しいたします。

仏教とは、世界の正体をあばくための道しるべ

もしもわたしが『仏教ってなんですか?』と聞かれたら、少なからずとも仏教を学問として研究する身であり、また帰依する身である立場から、

仏教とは、ダルマ(法)を知る道しるべ』だと答えるでしょう。

それで『ダルマ(法)ってなんですか?』と聞かれると思います。ざっくり言うとダルマとは、この世界がどんな風にして成り立っているのかという法則のことです。この世界というのは、人間社会だけでなくて、地球全体のこと。地球だけでなくて、宇宙全体のこと。現状で認識できる四次元の状態だけでなく、すべての次元を含めたものです。そのぜーんぶの世界がどうなってるのか、それを知るのが仏教だと思っています。

そして世界を知るということは、イコールで自分が誰なのか?なぜ存在しているのか?ということの答えでもあります。それは自分のマインドがどうなっているのかという構造を知ることにも直結しています。

仏教とは、世界の本当の姿、自分の本当の姿を知っていくための道です。

ブッダは釈尊(お釈迦様)ひとりじゃない

ちなみに仏教とは、釈尊(お釈迦さま、ゴータマ・シッダールタさん)の教えだけを指すものではありません。『ブッダ』という言葉には目が醒めるという意味があり、目覚めた生き物は誰もがみなブッダです。如来のコンセプトを採用しない上座部経典ですら、29名もブッダが出てきます。ちなみに釈尊(お釈迦さま)は28番目で、今回の宇宙ではあと一人弥勒菩薩が将来のブッダとして29番目です。

今回の宇宙というのは、宇宙は膨張と収縮を繰り返して何度も起こっているとインド哲学では考えるからです。その宇宙の呼吸の1サイクルをカルパ(劫)と呼びます。

テラヴァーダ(上座部)はサルヴァスティヴァダ(時間が発生する派)の影響を根強く受け継いでいるので、時間の概念が過去⇒現在⇒未来と一本線上の四次元の定点観測なため、如来のコンセプトがありません。

一方、中論(マドヤミカ)を採用する大乗仏教の場合は時間は相対的なものなので、現在という観測地を定めなければ未来と過去の順序はどっちでもよくて、宇宙はパラレルワールド、次元を超えると時間の概念はどんどん希薄になるので、29以上のブッダが出てきます。

どちらが正しいのかは問題ではありません。どちらも正しいです!定点観測すれば時間はちゃんと一本線上にあることはわたしたちも毎日経験しています。反対にそうでないことも最近では物理学で採用されてきているわけです。でも、定点観測なしに『今ここ』のスタート地点に立つことはできないので、まずは上座部、大乗でいうところのシュラヴァカヤナ(声聞乗)的な四次元概念からマスターしていくのがスタンダードな道のりです。

悟りとは、自分が自分に騙されていることへの気づき

目を開くということが『悟りを開く』という風に日本語で言われているものだと思います。何を悟るのかというと、世界がどうなっていて、何で自分がこんな風になってるのかを悟るわけです。

わたしはいつも『わたしたちは自分のマインドに騙されて生きている』という風に表現するのですが、生きるということは、時間とか自我とか、記憶のアリゴリズムによって形成される現象がマインドの設定によって起動している状態です。

ブッダはその機能を止めるのではなく、マインドはそういう機能なんだから、その渦(サムサーラ)にいちいち振り回されなくていい、振り回されないためにはシステムが『見える』状態になればいい、ということを説いています。

現実世界は『あなたにオススメ』なものが常に再生されている

じゃあどうしてこんなにひどいことが世の中で起こるのか?と聞きたくなるかと思います。それは、すべての生きとし生けるものの記憶が幾重にも重なって、集積したものの中から、宇宙記憶のAIって言うと変なので、UI=ユニバーサル・インテリジェンスとでも言いましょうか、そこから見て一番『あなたにオススメ』に相当するものが再生されるからです。YouTubeのアルゴリズムと一緒です。

ただ、気がついてないので無意識のうちに自動再生状態になっているのがわたしたちです。だから自分のマインドの設定に目を向けて、知らず知らずのうちに自分が何を推しているのかを認識することは、とても大切です。極端に言うと、そこに目を向けて注意していれば、世界を救えるわけですから。あなたの日々の一票は責任重大!ということです。

世界は毎瞬の投票でできている。

自分が何を推しているかで世界が決まるなんて、何か選挙みたいですね。そうです、この世界も多数決でできています。ただ、政治選挙はたまにしかないですが、宇宙選挙は毎瞬あっているので、大変です!しかも投票所に行かなくても、郵送しなくても、頭の中で瞬時に投票が起こってしまうので、ある意味厄介です。

仏教がインド哲学の中でもモラル重視だと言われるのはそのためです。マインドを野放しにしたら変な投票をいっぱいしちゃって、世界がハチャメチャになっちゃう!というある種の危機感があるからではないでしょうか。

『投票しない自分』をつくるのが瞑想

そこでマインドに『清き一票』を投票する努力をするのもいいのですが、仏教の最終的な目的、理想の形は、『投票しない』です。世界がふつうの選挙と違うのは、単純な多数決ではなくて『投票しない』も0として反映されるからです。

現在、勝手に投票が起こってしまうわけですから、まずは適当に投票行為をしている自分自身をみつけないといけません。見つかってもそこで、じゃあ別なものに投票しようか、ということになると、その時これがいい!と思っても、やっぱり違った!などと頻繁にそれが変化するので、たいていどこかの時点で何が正しいのか分からなくなって、混乱してしまいます。(そうなると混乱という一票を捧げていることになる(笑))

そこで、ブッダは『投票するな』と。投票すればするほど、世界は広がり、混乱して収集がつかなくなっていくわけです。だからブッダは投票しなければ現象再生率は下がりますよ、と説いたわけです。

でも実はこれって結構大変です。一見これって自分の自由や権利を放棄するようにも聞こえるからです。でもその自由はわがままだったり、権利はアイデンティティへの執着だったりするわけで、本当の自由はアイデンティティの向こう側にあります。ですが投票にふりまわされているとなかなか『投票をしない』という決心はつかないわけです。

つまり『投票しない自分』をつくるのが瞑想であり、投票しないためにランダムに自動投票中の自分をみつけていくことがマインドフルネスです。

これがわたしがいつも心に留めている『仏教』ということです。瞑想では①シーラ(戒)②サマディ(集中)③パンニャ(智慧)の3つが必ず必要とされています。それは自分を戒めて、今ここに意識を集中して、がんばっていればいいということではありません。

①シーラ(戒)⇒どのくらいマインドが野放しになってハチャメチャな投票になっているのかを観測する物差し。

②サマディ(集中)⇒自分のマインドが毎瞬何に投票しているのかに常に目を向け、気づいていること。

③パンニャ(智慧)⇒投票によるアルゴリズムが見えてくること。世界の構造=縁起のプログラミングが顕になること。

まずはこういうことだと思って、自分が何を無意識に推していて、世界から何をオススメされていて、何の再生が起こっているのか、ちょっと目を向けてみてください!


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