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自己受容とマインドフルネス―自己肯定疲れから抜け出す方法

1.孤独を癒すには、ひとりになるのがいい

去年からリモートが増えたことでひとりの時間が増えた人も多いと思います。反対に家族と過ごす時間が増えた人もいると思います。ひとりの時間が増えて安らぐ人と、反対に孤独で不安になる人もいます。家族との時間が増えて安らぐ人と、反対にイライラする人もいます。

わたし個人は海外に住んでいるので、元々リモートワークの割合が多かったのですが、この一年で仕事から院の履修、ボランティアワークまですべてリモートになりました。なので子供を学校に送ると、お迎えの時間まで誰にも会わずにずっと家かカフェで仕事をしています。もともとインドアなので、生産性が上がって、わたしにとっては充実した時間の使い方なのですが、今日は孤独について一緒に考察してみようと思います。

結論から言うと、孤独を癒すにはひとりになるのが一番です。人とのつながりから安心を得ることもできます。この一年でより人とのつながりを感じたという人もいます。ですが、この「つながってる」は、意識的にもしくは物理的につながっていることを確認しなくても、自動的につながっていることを非常事態宣言などの非日常的なことが起こったことで認知されたことによって、その大切さを再確認した、というものです。

2.ひとりの時間は世界のつながりを理解するための環境づくり

つながろうと努力しなくても、わたしたちはつながっています。スピリチュアルな意味ではなくて、リアルに人はひとりでいるようで、ひとりでは生きていけません。何かしらのネットワークを使って衣食住を確保し、ひとりで生活することができます。ひとり時間を享受するためには、周りの環境が必要だということです。大きく言えば、人間とのつながりだけでなく、酸素や、水や、食べ物を提供してくれている環境、その環境のバランスを微妙に保ってくれている生態系とも常につながっています。

テラヴァーダ(上座部仏教)の僧侶は未だに早朝に托鉢に出ます。タイに来たことがある方はそれが日常の風景にあることを見たことがあるかもしれません。テラヴァーダのお坊さんたちは基本、料理しません。それはプラクティスの設定が「ホームレス」だからです。

出家の第一段階は、究極のひとり時間の確保なので、職業を捨て、結婚も解消し、貯金も捨てて(借金もダメ)自分に向き合うというコミットメントが必要です。頭を剃って(眉毛も剃って)袈裟は3着、最低限のものしか持たないのは欲を絶つためだけではなく、「余計なことに時間を使わないため」です。もちろん出家は厳しいことが多いので簡単には言えませんが、ある意味「究極の贅沢」、最も豊な時間の使い方とも言えます。

そうして得た究極の時間は周りの環境、サポートなしではあり得ないということのリマインダーとして、お坊さんは托鉢に出ます。裸足で歩いて、食べ物を恵んでもらいます。そこでたとえたくさん貰っても、次の日に持ち越してはいけないという戒律があります。次の日にはまたゼロから裸足で歩いて、サポートしてくれる人を探さなければなりません。

そうしてわざと野良犬のようなコンディションをあてて、一人では生きていけないことを忘れないようにしています。タイではそんなお坊さんたちのモチベーションをサポートするために、たくさんの人が托鉢をします。わたしたちが食べ物を「与える」ときも、そんなコンディションに自ら身を置いて自分を、自然の法を知ろうとするお坊さんに敬意をこめて、わたしたちも裸足になります。

出家僧に設けられている戒律や修行は、ただ世俗を離れて欲を絶つためのものではなく、世界のつながりを理解していくための環境づくりであることが多々あります。ひとりになることも同様に、世界のつながりを認知する環境づくりになります。

3.孤独とつながりのパラドックス

一方でSNSなどでつながっていないと不安になったり、反対にそのために煩わしいことが起きたり、社交の場で人が仲良くしていることが羨ましかったり、でも人付き合いに疲れていたりと、孤独とつながりパラドックスを抱える人がたくさんいます。

先に述べたようにわたしたちはいつもつながっているので、疲れていたり煩わしかったりするのであれば、ひとりの時間を確保すればいいのですが、つながっていることを認知できないために不安になるのです。

たくさんの人の中にいても空しい、でも一人になると孤独。一見相反するようで、その原因は同じところにあります。人がいてもいなくても孤独だということです。人がいてもいなくても結果は同じということは、人に癒しを求めても癒されません。その孤独が、他人ではないところに由来していることに気づかなければなりません。

孤独を満たすためには、誰にも邪魔されないひとりの時間が必要です。自分で自分が孤独であることを認め、受入れ、寄り添う時間が必要です。外から埋めていると結局、自分の孤独を否定していることになります。「ひとりではいけない」という固定概念があなたの贅沢なひとり時間を否定し、受け取り拒否をしています。

ひとりの時間は贅沢です。なぜなら周りの環境からサポートされていない限りひとりで生きていることは不可能だからです。

あなたが孤児でないのなら、両親か肉親が育ててくれました。あなたが字を書いたり読んだりできるのならば、先生が教えてくれました。あなたに一緒に暮らしている人がいるのならば、生活費もしくは家事の負担が下がります。あなたが都市に住んでいるのであれば、車がなくても移動できたり、徒歩で食べ物を買うことができます。郊外に住んでいてもライフラインが切れることはありません。地球が回転しているので毎日日が暮れて、また明けます。それによって自然が活動しているから、息を吸って、水を飲み、食べ物を得ることができます。それは何らかのサポートがあるからです。

4.孤独を感じる人は自分のことを否定している

それでも孤独を感じる人は自分のことを否定しているからです。それも自分のことを良く知らないまま否定している。自分に対して否定的だと、外の世界に対しても否定的になります。否定から来る感情の混乱で、サポートしてもらっているなんて考える余裕もなく、何もかもイヤになってしまう。するとつながりを感じて、感謝することからは自然と遠ざかります。

そんな状態の人に謙虚になりなさい、慈悲を持ちなさい、利他でいなさいと言っても、それはただの「道徳の授業」になってしまって、心に響きません。自分を否定するのをやめてください、というしかないのです。

テラヴァーダの修行法はどれもシンプルで、仏教の基礎の基礎と言われます。大乗仏教は菩提心を大事にしますが、テラヴァーダはその名のとおり小乗で、自分を大事にします。なぜなら、そこがしっかりできていないと、利他や慈悲の心は育たないからです。利他や慈悲を理解するために、自分を大事にすることから始めるのです。

5.「自分では自分を否定しているけれど愛される」という構図はおかしい

そこで「自分を大事に」というと、自分に優しく、甘やかすように取られることもあるのですが、そうではなくて「孤独な自分」はダメで「愛されている自分」だけを受け入れたいという構図から抜け出すことを指します。

「自分では自分を否定しているけれど愛される」という構図がおかしいことに気づいてください。そこで「自分を肯定して愛される」といってしまうと、今度はまるで何かの自己啓発みたいで自分を変えなけれなりません。自分を肯定的に「変える」という行為も無理やりで、また結局もともとの自分の状態を否定していることになります。自己肯定感アップをがんばっても疲れてしまうのはそのせいです。

否定されているあなたが肯定というプレッシャーで上から押しつぶされて、疲弊してしまいます。

ここで想像してみてください。①自分を変えて愛される②今のままで愛されるどちらがいいですか?ほとんどの人が②と答えるでしょう。ではそれを一番最初に実行しなければならないのは誰ですか?そうです自分自身です。

6.自己肯定するために必要な3つの土台

自己肯定感はセルフ・エスティームという英語の訳ですが、ニュアンス的には自己をリスペクトする、自己を丁寧に扱うという意味があります。ちょっとこういう感覚で聞いてもらったほうが分かりやすいかもしれません。自分を丁寧に扱っていくためには、時間をたっぷりかけて、自分を理解していく必要があります。

セルフ・エスティーム=自分を大切なものとして扱うためには①自己理解②自己受容③自己への思いやりの三つが揃っていないと、肯定意見を雑に押し付けるだけになってしまいます。

①自己理解(Self-Understanding) 自分が何を欲しがっているのか明らかにする。
②自己受容(Self-accptance) それを欲しがっている、足りないと感じている(否定している)自分の現状を早急に変えようとせずに一度そのまま受け入れる。
③自己への思いやり(Self-compassion) それが手に入ったらどんな感じがするか、明らかにする。欲しいものは①で明らかにしたモノではなく、得られた時の感覚であることに気づくと、本質的に何が必要か理解し、自分に寄り添うことができる。

実はこの最後の得られた時の感覚のほとんどは、安心感や解放感です。この安心感や解放感は外に取りに行かなくても、実はいまここで自分の中から取り出せます。

実際に「それが得られた時にどんな感じがするか?」という問いに対してあなた自分で「安心感」を感じたように、肯定的な感覚を自分から取り出して体験することができます。「孤独な状態」を変化させなくても、そのまま安心感を感じることは可能です。それを繰り返していくと、「孤独」という言葉から不安が外れてただの「ひとり」という言葉に置き換わっていきます。

「ひとり」という言葉が孤独でなくなったその時、あなたは世界とのつながりと、それによる贅沢な時間を享受することができます。

今日紹介したのは、混乱をスッキリさせることによって「歪んだ認知」を純粋な状態に戻していく内観のプロセスです。内観は顕在意識だけであれこれ考えるというよりも感覚的に起こってくるものなので、字で読んだだけではよく分からないと思うので、是非ご自身で試してみてください。【

【手順のまとめ】

①欲求の認知⇒

②満たされない苦の受容⇒

③満たされた時に得られる感覚=本質的な欲求の認知⇒

④本質的な欲求の受容⇒

⑤固定概念の変化(自然に起こる)



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