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「らせん訳」で時空を旅する光源氏

いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひ給ひける中に、いとやんごとなき際にはあらぬが、すぐれてときめき給ふ有りけり・・・

『源氏物語』より

At the court of the Emperor (he lived it matters not when) there was among the many gentlewomen of the Wardrobe and Chamber one who, though she was not of very high rank, was favored far beyond all the rest...

『The Tale of Genji』より

いつの時代のことでしたか、あるエンペラーの宮廷での物語でございます。ワードローブのレディ(更衣)、ベッドチェンバーのレディ(女御)など、後宮にはそれはそれは数多くの女性が仕えておりました。そのなかに一人、エンペラーのご寵愛を一身に集める女性がいました・・・

『源氏物語 A・ウェイリー版』より

Dhukaです。たまには翻訳会社らしい話をしようと思います。

何の話かというと、『レディ・ムラサキのティーパーティ らせん訳「源氏物語」』という本です。先日、親戚が貸してくれました。

平安時代に書かれた源氏物語がヴィクトリア朝末期のイギリスで英訳され、それが平成から令和にかけて逆輸入されました。
上ではそれぞれの冒頭部分を引用しています。

この「ヴィクトリアンGENJI」の冒頭は、パレスの天蓋ベットのある寝室に侍女が立っているようなイメージではないでしょうか。平安時代の日本とはほど遠いものです。

翻訳って言語を置き換えているだけじゃないんだよ、というのが今回のテーマです。


戻らない「らせん訳」

『レディ・ムラサキのティーパーティ らせん訳「源氏物語」』は、英語の源氏物語を日本語に戻した際の記録である。著者姉妹はこの「戻し訳」を「らせん訳」と呼んだ。「戻し訳」もネット検索で出てこないが、「らせん訳」はさらに耳慣れない。

脱線するが、翻訳で「逆翻訳(バックトランスレーション)」といえば、訳文を第三者が元の言語に戻して正確性を客観的に確かめることだ。訳文を原文の言語に戻し、曖昧な語句や表現を洗練する。

「らせん訳」は、ただ元の言語に戻しているわけではない。英訳されて異文化圏で読まれていたこと、そこの読者が読んで感じたであろうことが透けて見えるような日本語への「トランスクリエーション」だ。

「トランスクリエーション」は、「translation(翻訳)」と「creation(創造)」を組み合わせた言葉だ。読者に強く印象づけられるように工夫された創造的な翻訳のことを指す。

次で述べる通り、「らせん訳」は、作品が旅した時空の景色が思い出のように残ったトランスクリエーションである。

作者の想いを解いて再び紡ぐ

紫式部は源氏物語で漢詩や故事を引用している。ウェイリーは、シェイクスピアや旧約聖書などを編み込んでいる。
残念ながら私にそれらを理解する背景知識はないが、「元ネタ」のわかる人が読めば、点と点が繋がる感動が訪れるのだろう。

『レディ・ムラサキのティーパーティ』では、そういった引用元や下敷きとなっている思想などを紐解き、現代日本語に再び編み直していった工夫について書かれている。

「らせん訳」というのはヘーゲルの歴史観に着想を得た造語らしい。人間の営みはただ縦方向に重なるのではなく、形や場所や分野を問わず渦巻いて上へと進むのだということが、ひしひしと感じられる。

背景に多くの情報があるのは、源氏物語に限ったことではない。創作物にはその作者の考えが少なからず反映されている。名付けていなかっただけで、今でもあらゆる作品に対して「らせん訳」が行われてきたかもしれない。

そもそも翻訳は、作者の思想を覗かせてもらい、リスペクトを込めて別の形で作品を再構築する行為であると言えよう。その目的や手法によって呼び方は異なるが、根本は同じではないだろうか。


一応断っておきますが、この記事は弊社の翻訳に対する見解ではありません。弊社としてこの書籍を推薦するわけでもありません。

また、弊社では今のところ、古語から現代語およびその逆の翻訳は行っていません。
でも弊社だって、こうやってコンテクストを絡め取って言葉を紡いでいく仕事をしているのです。

弊社のミッションは「お客様の思いや本質を、わかりやすく世界に伝える」ことなのですから。

すごい、ちゃんとまとまった文章になった気がする!


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