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いい大人が正義を語ると「ヤバい人」になってしまう理由

『正義の教室』著者・飲茶氏に聞く

情報が次から次へと溢れてくる時代。だからこそ、普遍的メッセージが紡がれた「定番書」の価値は増しているのではないだろうか。そこで、本連載「定番読書」では、刊行から年月が経っても今なお売れ続け、ロングセラーとして読み継がれている書籍について、著者へのインタビューとともにご紹介していきたい。
第3回は2019年に刊行、正義とは何か、というテーマを小説仕立てで解説、大きな話題となり、今もロングセラーを続けている飲茶氏の『正義の教室 善く生きるための哲学入門』。4話に分けてお届けする。(取材・文/上阪徹)

当たり前に考えている「正義」を疑ってみる

 本の帯には「30人の幼児と自分の娘、どちらを助ける?」というフレーズが置かれている。これはプロローグに出てくる、壮絶なエピソードだ。自分が正しいと思った選択は本当に正しいのか。いきなり、正義というものの難しさを突きつけられる。

『正義の教室』は、「善く生きるための哲学入門」というサブタイトルがついているが、なぜ正義をテーマにしたのか。著者の飲茶氏はこう語る。

「哲学は疑うことが基盤だとよく言われます。疑って疑って疑い尽くした先に真理がある、という。だからこそ、『あえて方法論として疑っていこうよ』とデカルトが『方法的懐疑』を唱えて、そこから近代哲学がスタートするわけですが、でも僕は思うんです。そもそも疑いが成立するためには、自分の疑いを『正しい』と思っている必要があるのではないかと」

 疑いといえども、何らかの主張。主張するということは、『発言者がそれを正しいと思っている』ということだ。

「だから仮に誰かが『いやいや、僕は自分の疑いを正しいと思ってなんかいないよ』と言ったとしても、『――という疑いをあなたは正しいと思っているんですよね?』と言い返せるわけです(笑)。その意味では、何を正しいと思うか、何を正義と思うかが、実は『疑い』よりも哲学の基盤なんじゃないかと思っているんです」

 では、正義とは何か。その難しさについて、冒頭から主人公は逡巡する。

『正義とはいったい何なのだろうか?』
 この問いかけに意味はない。なぜなら、この問いは、はるか古代から人類が問いかけてきた歴史的難問であり、僕が考えたところで何の答えも出ないことはわかりきっているからだ。
 もっともそうは言ってもーー僕は、子どもの頃、この問いに答えることができていたんじゃないかと思う。いや、たぶんそれは僕だけじゃない。子ども時代に限定するなら、誰もがこの究極の問いに自信を持って答えることができていたのではないだろうか。
(中略)
 いじめをやめさせること。困った人を助けること。掃除当番をきちんと守ること。そんなことは本来、誰にとっても「正しいこと」で、誰にとっても「当たり前の正義」であったはず。それなのにいつしかその「当たり前の正義」は、みんなにとって当たり前ではなくなり、逆に「正義」を主張する側の方が「空気を読まない、痛々しいやつ」として見られるようになっていった。

 誰もが当たり前に考えている「正義」を疑ってみる。そこから物語は始まる。

飲茶(やむちゃ)
東北大学大学院修了。会社経営者
哲学や科学などハードルの高いジャンルの知識を、楽しくわかりやすく解説したブログを立ち上げ人気となる。日常生活に哲学的思考を取り入れてほしいという思いから、哲学サロン「この哲学がスゴい! 」を主宰。著書に『史上最強の哲学入門』『史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち』『14歳からの哲学入門ーー「今」を生きるためのテキスト』(すべて河出文庫)などがある。

3人がそれぞれ持つ「3つの正義」とは?

 哲学をテーマにしながら異例の大ヒットになったマイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう』を含め、多くの倫理学の本で書かれていることだが、正義を考えるときには3つの考え方があるという。

 実際、サンデルは、正義の種類を「幸福の最大化」「自由の尊重」「美徳の促進」と分けているが、著者は、より端的に「平等」「自由」「宗教」というキーワードでそれらの本質を解説する。

 それらのキーワードから派生する正義の考え方は、それぞれ功利主義、自由主義、直観主義とも呼ばれるが、『正義の教室』の最大の特徴は、この3つの正義の考え方を3人の女子高生に語らせ、優柔不断な主人公の男子高校生が振り回されるという小説仕立てにしたことだ。

「もともとWeb漫画の原作の依頼があって、それ用に考えていたんです。3つの正義の考え方を擬人化して、ラノベ的な内容にしようかと。担当編集はノリノリだったんですが、残念ながら編集長にはじかれてお蔵入りになってしまった。でも、企画として面白いと思っていたので、本を書かないかと声をかけてもらったときにその話をしたら採用してもらえたんです」

 本書では、平等の正義「功利主義」、自由の正義「自由主義」、宗教の正義「直観主義」が、3人の女子高生と主人公の男子高校生やりとりを通じて解説されていく。さらにそれぞれの問題点の指摘が行われ、哲学における3つの正義の考え方や違いがわかりやすく理解できる仕掛けになっている。

「倫理学の本は、実在の事件または思考実験に対して、著者が『この行動は正義か? いや、こういう問題もある。ではこういう観点で考えると』みたいな一人語りを延々とする傾向にあるんです。そうすると、だんだん著者が何を言いたいのかわからなくなります。答えも出てこない。それよりも、立場が明快なキャラクターを出して身近なテーマで掛け合いをしたほうが面白いし、わかりやすいと思ったんです」

正義について語るのは、ちょうど高校生くらいがいい

 例えば、本書で登場するのが、学校の購買部で売られている「焼きそばパン」の買い占め問題だ。買い占められた焼きそばは、学校内で転売されていた。「買い占め」という言葉についてはネガティブな感情を持つ人も少なくないかもしれない。しかし、3つの正義の考え方から眺めてみると、違う見方ができる。

 最大多数の最大幸福を理念とする功利主義においては、転売は正義だ。売る人も、転売する人も利益を得られ、食べたい人もお金を出せば買えるから。自由主義においても正義。買うという自由が侵害されることこそが、自由主義においては悪だからだ。そして、直観主義はモラルや道徳を掲げて買い占めに反論する。主人公の男子高校生は、改めて正義の難しさを知ることになる。

 高校生を登場人物にした理由は、もともとが若い人向けの漫画の原作だったから、と飲茶氏は言うが、結果的にはこれが良かったのではないか、と語る。

「今にして思えば、正義について熱く語るキャラとしては、高校生以外にないかもしれない、と思っています。正義について議論する社会人、起業家、お父さんとかは、おかしいというか、ちょっとヤバイと思うからです。というのも、基本的に正義って、今の社会においては正しくないことを正しいと主張する要素、反社会的な危険要素がどうしても入ってきてしまうからです。だから、正義について語るのは、ちょうど高校生くらいがいいんだろうな、と思っています」

 たしかに、登場人物がちょっと青臭さの残る高校生だからこそ、彼らがピュアに信じてしまう正義について、すんなり受け入れられる。頭ごなしに否定するのではなく、読者はまずは受け止めようとする。それが、正義というものの理解を深めてくれるのだ。
(次回に続く)

(本記事は、『正義の教室 善く生きるための哲学入門』の著者・飲茶氏にインタビューしてまとめた書き下ろし記事です)

上阪 徹(うえさか・とおる)
ブックライター
1966年兵庫県生まれ。89年早稲田大学商学部卒。ワールド、リクルート・グループなどを経て、94年よりフリーランスとして独立。書籍や雑誌、webメディアなどで幅広く執筆やインタビューを手がける。これまでの取材人数は3000人を超える。著者に代わって本を書くブックライティングは100冊以上。携わった書籍の累計売上は200万部を超える。著書に『成功者3000人の言葉』(三笠書房<知的生きかた文庫>)、『子どもが面白がる学校を創る』(日経BP)、『10倍速く書ける 超スピード文章術』(ダイヤモンド社)ほか多数。またインタビュー集に、累計40万部を突破した『プロ論。』シリーズ(徳間書店)などがある。