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水野晴郎が月一で見る「何度でも見たい映画」

名作と言うレッテルで彩られた映画を鑑賞しても、誰かの解説どおり、文字通りの理解で終わってしまうことも度々だ。そんな自分が情けないと思ったり、いや、それでも、それだから未熟な私の人生に映画は不可欠なんだ。

「俺たちに明日はない」を見たのは、小学6年生の時だ。たった一人で、この映画を見ていたことも不思議だが、ラストに、警察に取り囲まれたギャングのボニーとクライドが、蜂の巣のごとく、めちゃめちゃに撃たれる
一体、何発撃たれたんだか。
その無惨にも死んでいくシーンは、爆風となって、私の心に覆いかかった。

死んでほしくなかった。仲間に裏切られたのも辛かった。勧善懲悪、ハッピーエンド それが当たり前だと信じていた日々の中で、自分の期待通りに、物事は進まない現実を知ったそしてそのまま、映画の世界へとぶっ込まれた

あの時代、TVでは、ロードショーが日替わりで放映され、それぞれの番組の映画評論家が、始まりと終わりに登場し、作品のあれこれを教えてくれた。
私のお気に入りは、淀川長治氏と水野晴郎氏。高校生の頃には、どちらの講演会にも一人で出かけ、水野さんにはサインまで貰った。

水野さんは、「風と共に去りぬ」の映画についてのエピソードを話してくれた。
熊本に住む男性が、事業に失敗して一家心中をしようと決めた。
何ら希望のない彼は、最後に水野さんが紹介していた「風と共に去りぬ」を見ようと思った。だが、映画を見ると心が変わり、一家心中をやめたと言う内容だった。

これだけでも感動ものだが、水野さんは「風と共に去りぬ」を月に一度、必ず見ると話してくれた映画を愛し、評論家になるためには、映画に限らず、あらゆる芸術に触れることが大切と教えてくれた水野さんが、そこまで惚れ込む映画ってどんな映画なんだろう?

この映画を語る時に、ラストシーンは、外せない。主人公のスカーレットに愛想を尽かし、去っていくレッド。うっそぉ〜、レッド 本当に去って行くの? 
まさかの出来事に、スカーレットは嘆き悲しんだ。で、終わり??じゃない!

スカーレットの思考はそこから違った。
「タラ」「タラ」「タラ」今は亡き父親の言葉が頭の中でこだまする。レッドは去っても、変わらないものは、タラと言う赤い土地。スカーレットには、タラと言う場所が残っていた。タラの赤い土を耕して生きるわ!ここでレッドを待てばいいんだわ。と気持ちを切り替えるのだ。

そうして、スカーレットが最後に放つこの言葉が、
Tomorrow is another day.(明日は明日の風が吹く)明日がある
まるで、映画の代名詞のような言葉になった。

私は、ほぼ、7〜8年ごとに3回鑑賞した。映画と本当に向き合い、自分なりに思いを汲むことが出来たのは、40代後半の3回目の時だった。30代で伴侶を亡くし、子供二人を抱えていた私は、社会で真っ当に、男性に媚びを売らずに生きていくために1から仕事を探し、どんなに理不尽な事があっても仕事を手放さなかった。
愛するものを養い生きることの厳しさを知り、食べていく大変さを知った時期だ。

映画は二部構成で、前編の終わりのシーンは、南北戦争の中、お嬢様だった スカーレットが、召使やら家中の皆を率いて戦火を逃げ進む。
やっと逃げ延び、ホッと出来たその日の夜に、スカーレットは誰にも知られないように一人で畑に出ていき、真っ暗な闇の中で泣くのだ。
重圧に耐えてきた者にしかわからない感情があった。そして誓うのである。

「神様誓います。
私はこの試練に決して負けません。
家族に二度とひもじい思いはさせません。
きっと生き抜いて見せます。
そのために、たとえ盗みをしても 人殺しをしても
神様に誓います。 私は、二度と飢えに泣きません!」

映画の主人公スカーレットが私の気持ちを救った。その厳しさとたくましさに深い共感を覚えた。強くなければ家族は守れない。

ラストシーンのセリフが有名だけれど、私にとっては、スカーレットが一度だけ弱音を吐いたこのシーンが忘れられない。
誰も知らないところで、きっと皆も泣いている。言わないだけだ。

好きな映画は、たくさんあるけれど、たった一本、無人島に持って行くのなら、柔な映画は持っていけない。今でもこの映画を選ぶだろう。明日を求めて生きるために。

「いやぁ〜〜映画って本当にいいもんですね」
〜水野さんの決め台詞が、こだまする。

#映画にまつわる思い出  

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