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6年生に「国際」の授業をした話

長らく現場を離れているのだが、ひょんなことからこの1ヶ月、急遽教壇に立ち、小学校6年生の子どもたちに社会の「国際」の授業をする機会があった。今回はその内容について少し書きたいと思う。

6年生の「国際」の授業

6年生の「国際」の授業を教科書通り進めると、調べ学習が中心で、自分の興味のある国について調べて発表する形式で行われることが多い。総合的な学習の時間との合科になるケースもあるだろう。もちろんそういった授業でも全然構わないのだが、ネットや本だけで調べた外国の知識とそれをまとめて発表するだけの授業は味気なくなりがちだ。

思えば、大人になってからも心に残り続ける授業というのは、教員の体験談であったり、授業の合間の脱線話であることが少なくない。そうした意味で、この「国際」の授業で、子どもたちが将来国際人として活躍するためのきっかけになる何かを残せるか、そうした思いで非常に簡易的な単元設定ではあるが、4時間の授業を組んでみた。

1時間目:トルコ留学の話

1回目は、自分がこれまでに行ったことのある国の紹介と合わせて、特にトルコの話をした。自分がどうしてトルコに留学したのか、トルコがどこにあってどんな国なのかなどだ。当然だが、トルコがどこにあるかを知らない子もいるし、僕がイスラームや宗教への興味の話をしてもピンとこない子もいる。でも、それでもいいと思っている。人が自分の興味のあること、そしてそこへ向けて行動したという体験談を聞くことは何かしら子どもの心に届くものがあると考えているからだ。導入の1時間目は、この単元の目標となる全体的な話とともに教師の個人的な体験からスタートした。

学生時代、自分が住んでいたアンカラの学生寮

2時間目:アフリカを訪れた話と貧困の連鎖

2回目は、世界の貧困の現状を説明しつつ、自分が実際に訪れたアフリカのセネガルとガーナの話をした。現地の学校や暮らし、村の様子を紹介するとともに、村にあるものないものについて問いかけながら、貧困の連鎖について触れた。セネガルの村で、夜、懐中電灯を片手に宿題に取り組んでいる彼らは決して「努力をしていない」わけではない。しかし、セネガルに生まれただけで、進学先は存在せず、将来の選択肢はない。子どもたちには、生まれた場所によって、将来の可能性が大きく異なること、もし世界の不公正を是正したいと考えるなら、日本に生まれた人と、セネガルに生まれた人で、できることが大きく異なることを伝えた。子どもたち自身、中学受験という荒波の中で苦労している最中の時期ではあったが、自分たちの恵まれた環境に改めて気付かされたようだ。加えて、貧しい=不幸なのではないという話もした。現地で撮影した生の生活の写真をたくさん見せる中で、セネガルの子どももガーナの子ども、とにかく笑顔で楽しそうな姿がたくさん伝わった。現地の映像を見せた時、子どもたちからも「楽しそう」「行ってみたい」という声も聞こえた。どのような境遇にあったとしても、幸不幸は自分が決められる。逆にいうと、お金があるから幸福とも限らない。人は自分の与えられた場所でいかようにも幸せになることができる。それはいつだって忘れないでほしいということも伝えた。

セネガルで出会った子どもたち

3時間目:青年海外協力隊として活躍してきた人をゲスト講師に

3回目の授業では、青年海外協力隊として実際にバングラディシュで活動していた先生を特別ゲストに招いて、バングラディシュの話をしてもらった。現地の写真などをたくさん見せてもらいながら、バングラディシュのこと、日本が世界で行なっているODAについて学ぶ機会とした。日本のODAについては教科書にも書かれていて必ず触れるべき内容であるが、これも現地で実際に活動してきた人の体験ほどいい教材はない。教科書だけで説明してもイマイチな授業が、こうして肉声を通して伝えられることで色彩を帯びる。

4時間目:トルコと日本の友情の歴史から「国際」を考える

そして最後になる4回目は、トルコと日本の友情の歴史についての授業をした。トルコと日本の絆は深く、1890年に和歌山県沖で起きたエルトゥールル号の遭難で和歌山の村民が必死に遭難者を助けた話はトルコでは小学校の教科書でも語り継がれ、1985年のイラン・イラク戦争の際には、216名の邦人がイランに取り残される中、トルコ政府が緊急便を出して救出してくれることにつながった。この友情は、その後の1999年のイズミット大地震(イスタンブール地方の大地震)での日本の献身的な救援活動、2011年の東日本大震災におけるトルコから救援と脈々と受け継がれている。そして当然、この話は自然と、今回トルコ南東部で起こった大地震の話に繋がった。この授業を始めた時にはまさかトルコで大地震が起こることなんて思いもしなかったが、最後の授業は今世界で起こった大惨事に対して自分たちに何ができるのかに向き合うものとなった。
図らずも、トルコの話で始まり、トルコの話で終わるこの「国際」の授業において、今、僕らにできることを考える時間となった。東日本大震災の例をみるまでもなく、復興の道のりは遠い。その中で子どもたちは大人になる。今できることがなくても、思いを寄せることはできる。自分が力をつけた時に、将来にでもきっと何かできることがあるはずだ。思いを持っていれば、いざという時に行動できる。

「国際」と聞くと、自分とは関係のない大きな出来事のように感じてしまいがちだ。しかし、日本とトルコの固い友情の絆は和歌山の村民が目の前で遭難している異国の人々を必死に救出したところから始まった。
国といっても、人と人の関係だ。僕らが人として、人を思いやること。
国や宗教、文化の垣根を超えて、人を思い、行動できる人が国際人だと思う。まとめとして、子どもたちにはそのことを伝えた。

この授業を受けた卒業生が、それぞれの立場で、世界にまた新しい友情の物語を紡ぎ出してくれることを期待している。

チャイ

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