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COLDSLEEP

私の中から言葉がなくなって、どのくらいの時間が経っただろう。

上の空を撫でていくだけの表面上の言葉に囲まれて、丁寧に整えられた感情はもう私の物ではなくなった。

目を閉じると、途端に切り離される世界。生きているならなによりじゃないか。宇宙の彼方から俯瞰してみたら、大概のことはどうだってよくなってしまう。神様が気まぐれに指を弾いただけで、私という人間は消えてしまうんだから。

teenageを共にした全てがまるでリバイバルみたいに日常に現れる。誰もが知っているあの子はお母さんになって、酸いも甘いもかみ分けた眼差しで美しく笑っている。一つが極まって、そして閉じる。私は極めても開いてもいないから、閉じることができない。

言葉がなくなってしまうと思い出すことがある。もうずいぶん昔に目にした、敬愛している表現者の彼に対するアンチテーゼ。〝何を作っても似たり寄ったり。才能がないから、似たようなエピソードを薄めて作品を作っているに過ぎない。伝えたいことなんてこの人には無い〟

彼の世界観に感性を育んでもらった。この言葉は自分に向けられたのかもしれないと思ったのか、10年以上たった今も忘れることができないでいる。伝えたいことなんて、どこかの誰かがとっくに。


感情を失ってみたり、血液が足りなかったり、分かり合えたような気がしたり、生きることに目を覚まそうとしてみたり。言葉と向き合えない時間を冬眠して過ごしていた。才能なんかなくて然りだ。似たようなエピソードで何が悪い。本当に伝えたいことは、作りたいものを作った時に分かるかもしれない。

心を守りたい。綺麗な水を飲ませてあげたい。世界平和だっていい。怯えて過ごす誰かの夜が一日でも少なくなればと願うのも本当。でも全ては自分を満たした後にできることだ。


目が覚めてきたけどまだここは冬の入り口。春を待つ間、再び言葉と、感性と、自分と向き合うのでしょう。切り離せないのは分かっているから、遠ざけたり向き直ったりしながらこの人生を一緒に過ごしていく。

整い切らないから、歪で可愛い。そんなゆらぎを見つめ続けて。






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