見出し画像

自治体でコロナ対応をした日々を振返る

今週の金曜に課の送迎会がありました。私は送り出される側ですが、正確に言えば、課に所属する皆が送り出される側となりました。送迎会と課の解散式を兼ねていました。

私が所属していたのは、自治体における新型コロナの対策をする課でした。国や県からの依頼や要請に基づいて、住民に様々な感染対策や感染予防策、医療施策を行う課でした。

100年に一度と言われる世界的な感染症の流行です。ワクチンを打ってくれ、マスクをしてくれ、臨時休業・休校にしてほしい、地域住民の方々にお願いをした回数は数えられないほどです。

もちろん国の要請や法に基づくものがほとんどでしたが、こんなにも住民に対して必死に呼びかけて、見えない未知のウイルスに対して、皆が何とか乗り越えようとした経験は今までありませんでした。

長期間これまでにない規模の感染症対策を行った課の解散式です。解散式ができるということは、パンデミックの流行が私の自治体では終わったということでしょう。

昨年の5月に新型コロナは5類に移行して、インフルエンザ等と同様の注意すべきではありますが普通の感染症になりました。

も多少の例外はあるものの、昨年の5月からは一般人が普通の生活をして制約されるものはありません。自治体として、昨年ではなく3月末まで課が存続していたのは、様々な執行や決算などの他に、コロナ対策の猶予期間としての意味合いもあったように思えます。

2020年の1月に日本で初めての新型コロナウイルス感染症の患者が発見されてから4年が経ちます。本当に本当に密度の濃い4年間でした。金曜の解散式を終えて、少し感慨にふけっている部分もあり、今回は4年間のコロナ対応をまとめておきたいと思います。

1 コロナ対策に携わるきっかけは議会対応

正直なところ、新型コロナが国内で初めて発見された際は、私にとってニュースで見るくらいの情報量しかなく、「何か中国で新しい感染症が発見されて、日本でもついに感染者が出たらしい」という一般人と同じ感覚でした。

当時は、自分の持っている計画の策定作業が佳境を迎え、ともかく部の幹部の予定を抑えてレクをしたいのに、なかなか時間が取れないと焦っていたことを覚えています。

そのような中、2月の中旬に上司から呼ばれて、「コロナの対応で議会まで手が回らないらしい。今持っている仕事はすべておいていって良いから、応援職員として向かってくれ。」と伝えられました。

もう決まったことだからと、段ボール箱に自分の身の回りのものだけ詰めて、応援職員向けのレクリエーションが行われる指定の場所へ向かうと私の他にも十数名の職員がいました。

副市長までその場にいたのですが、最初の発言にて「これからは総力戦に入る。今ここにいる職員は長期戦になるかと思うが、全力でコロナ対策に注力してほしい」と伝えられました。

その後の説明を聞くと、どうやら、集められた職員は経理や調達、予算調整など、何かしらの専門性を買われたようでした。私は、上司から事前に伝えられた通り議会対応です。

当時いた職場の前に、議会における医療系の質問を議員や自治体幹部と調整する担当を3年ほど担っていたため、その経験を見込んだもののようです。

2 コロナの議会対応

その時には、もう報道も「感染者がまた出た」「都会の方は危ない」「欧米はこうした対策をしている」とコロナ一色でした。

当然ながら、住民は不安に思います。感染したら対処法はないのか、そういえば咳が出ているが大丈夫だろうか、課の直通電話にも矢のように電話がかかってきます。

そして、不安になった住民は議員に相談することになります。議員と当局幹部との折衝の末、「今この市のコロナ対策はどうなっているのか」について、定期的に議会に対して報告を行うことになりました。

もちろん、議員は住民の代表です。命に直結するかもしれない重大な不安に対して、自らの支援者にしっかりと説明しなくてはなりませんので、議員としては自分の職務を果たしていると言えます。

一方で、コロナ対策課には医療職も常駐しており、現場側としてはそうも言っていられません。感染者が出た場合の医療機関の備えや、医療機関や県・他市との連絡体制の整備など、行わなくてはいけないことは山ほどあります。

私の仕事は、自治体幹部の時間を何とかねん出し、議会対応を行うための時間を作ることでした。

報告を行うにあたっても様々な所を回る必要があるので、隙間時間を見つけて、幹部を捕まえて説明に同行します。その際に、住民が今不安に思っていることや、自治体の対策として足りていないと思うことをヒアリングして、施策にフィードバックします。

コロナ対策の初めのうちは、そうした臨時的な対応でしたが、対応が進むにつれて、徐々に体系化し、個別の質問についてはまとめて回答するようになりました。

そして、一番時間を割く必要があったのは地方議会の定例会における議員の質問に対する答弁の対応でした。定例会における議員の質問は国会における審議に該当し、議員が「こんな質問するぞ」と通告してから短時間で、首長の答弁を作り上げる必要があります。

コロナ対応の初めのうちは、医療に関係する質問ばかりであったため、質問が集中し答弁を書く人が足りません。通常は担当者レベルが書くことはない首長の答弁資料も、議会関係者総出で対応し、夜遅くまで数十に渡る質問への答弁を捌き続けました。

その間にもコロナの対応は進んでいきます。変異株が発見されれば、国や県の情報を基に、どのような症状の傾向があるのかを把握し、対応を変更する必要があります。緊急事態宣言が発出された時も同様です。

大きな施策の方向転換ともなれば住民への説明も必要となります。コロナ対応の初期から中期は何度も臨時議会が開催されました。

年に4度ある定例会ごとに多くの質問に対応し、株の変異や緊急事態宣言の発出があれば、その都度、臨時の議会が開かれて説明に忙殺される。そのような生活が2年ほど続きました。

3 コロナ終盤戦と終ってからの振返り

体感としては2022年度の後半から、コロナに関する世間の関心がぐっと減ったように思いました。

2022年はまだ指定感染症であり、特別な感染症であることは当初と変わりないはずなのですが、知見も深まって対策も整備されたからか、世間が感じていた脅威の度合いも下がり、それに伴って議員からの質問の割合も目に見えて減ってきました。

その時には、ただ議会の調整だけをやるのではなく、コロナに関する他の業務のヘルプに入ったり、主で他の業務の担当をもつようにもなりました。

2023年になると、コロナが5類へと移行し、インフルエンザ等と同様の感染症へと位置づけられるようになりました。こうなると、もう振返りや検証が議会の質問の主になってきます。

臨時の議会も開催されず、定例会での質問も数問にとどまり、対策当初の負担感とは比べ物になりません。2023年の最初の議会の対応をして、育休を取得したのもこの時期です。

育休から復帰し、再び議会の業務に携わることになってからも、議会での質問はより減って片手で数えられる程度となり、この時になると、コロナの対応よりも他の感染症対応業務の方が、自分の仕事の割合を多く占めていました。

そして今月、節目となるかのように、所属する組織が解散すると発表され、私自身も他局へ異動する内示が出ました。

終わってみて思うことですが、コロナという100年に1度の規模のパンデミックに対応する所属に当初からいられたことは、自分の公務員としてのキャリアにとって大きなものとなったことは間違いありません。

個人的に、パンデミックのような危機管理の分野は公務員の本旨であると思っています。通常は起こるはずのない災害や危機事象にどのように立ち向かっていくか、もちろん公務員だけで対応するわけではないのは承知ですが、危機管理において、自治体にしか出来ないことは沢山あると思うのです。

そのような中に、例え議会対応と言えども、コロナ対策のチームの一員に名を連ねることができたことは私にとって大変ありがたい巡り会わせです。

私が担当していた議会業務は「何が楽しいの?」と言われる分野でもあります。民間には転用できないし、表に名前が出ることもない、住民に直接的な価値をもたらすのかと言われると、答えるのもなかなか難しいものがあります。

ただ、その医療関係における議会の調整業務の経験が豊富であったゆえに、100年に一度の危機に、公務員にしか出来ない分野で、地域や組織に貢献することができました、これ以上ないほどに公務員としてのやりがいを感じた期間でした。

明日から私は内示の出た新しい配属先で仕事をすることになります。名残惜しくないかと言われればウソになりますが、今の居心地がいい職場に居続けたら成長はストップしてしまいそうです。素晴らしい時間を過ごした思い出を振り返るのは今日までにして、明日よりまた新たに頑張りたいと思います。

この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?