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【毎日更新】クオリティを人質にするな

昨日の記事で、連続更新が30日目に突入した。

かなりの記事がギリギリの更新で、正直投稿した後から編集でタグを追加したり、誤字脱字を訂正したりと、少し手を加えてしまった記事もある。だが、なんと言おうと連続更新は連続更新。毎日更新できた自分をまずは褒めたい。

※毎日更新を始めるきっかけは、下記の記事に書いてある。きっかけをくれた霜降り明星せいやも、Youtubeの毎日投稿を頑張っている。


辛いのは、書いたあと

今日は30日書き続けた感想を書いてみようと思う。正直に言っちゃうと、中盤、めちゃくちゃ辛かった。

時間がない中で書かなきゃいけなく、精神的なプレッシャーがあるというのもそうだが、一番辛いのはそこではない。書く前や書いているときではなく、書いたあと。

クオリティを犠牲にした記事を書いたと思ったときだった。時間がない中で、えいやで作る。書いていて、これは伸びないだろうなぁ、と思う。やっぱり伸びない。

そんな時は毎日更新なんて辞めちゃおうかなと思った。ペースを落とし、クオリティをあげて書いていったほうが、楽しいし、色んな人に刺さる文章が書けるだろうと。自分は何のために「書いて」いるのだろうかと迷ってしまう場面もあった。


クオリティを人質に

そんな中でも、意地で毎日更新している時に、ふと気づいた。本当に突然。今までの自分はクオリティを言い訳にしていたことに。

更新頻度を落とし、日をまたいで何度も推敲することで、記事は確かによくなる。特に読みやすさは大きく違っている。が、所詮趣味でやっていること、推敲していても、構成まで大きく作り直すことはしていなかった。つまるところ、文章の魅力となっている根本的なところまで手を入れていなかった。

記事の骨子としている内容を作り直すほど、気合をいれて取り組むことはせず。クオリティをあげるためと言い訳に、自分をサボらせるだけだったということに気づいたのだ。

アニメSHIROBAKOのセリフであり、22話のサブタイトルにもなったことばを思い出した。「クオリティを人質」にしていたのだ。

SHIROBAKO 22話「クオリティを人質にすんな」より。作中では逆の文脈だったが。


毎日更新の中で書いているものでも、よいと思えるものは書けるし、それがしっかりと受け入れられることもある。今の自分はその小さな成功体験を重ねるべく、数を回すことが大事な気がする。少なくとも、今の自分の「更新頻度を落としてクオリティをあげる」は言い訳にすぎない。

そこの気づくと、この毎日更新をすごく前向きに取り組めるようになった。仕事終わりに日付が変わるまでの、執筆の短い時間を楽しめるようになってきた。


毎日更新の魅力

それに、毎日更新は他にも魅力がいっぱいだ。まず、シンプルに少しずつ書くことの抵抗感がなくなってくる。以前は興がのらないと、ぜんぜん書き始めることはできなかった。でも、意地でも更新しなきゃいけない環境に身を置くと、スッと文章を書き出す癖ができてくる。これが気持ちいい。

そして嬉しいことに、フォロワーも少しずつ増えてきた。毎日更新をする前よりも、確実にペースがよい。そりゃそうだ、それだけ人の目に触れる機会は増えるのだから。こうして数で成果が見てくると、グングンとモチベがあがってくる。

そうして今日も記事を書こうとnoteを開くと、そんな自分を応援するかのような記事が飛び込んできた。大好きなライター古賀史健さんの記事だ。

彼の素敵な文章を引用して、締めたいと思う。偶然なのだろうけど、素敵な応援メッセージをもらった。

同様に文体も、日々(それを矯正する意識を持って)書き続けるなかでようやく、歪みがなくなっていくものなんだと思う。心身に余計な負担をかけることなく、いくらでも書き続けられる、自分の骨格にぴったりのスタイルが見つかっていくのだと。

mixiが20周年を迎えたのだそうだ。noteもたしか、今年で10周年である。この20年のあいだに、「mixi発」や「note発」の書き手さんがたくさん誕生した。そういう人たちの投稿を見てもらうと、きっとわかるだろう。書き手として、ちゃんとひとり立ちした人たちはみな、そのキャリア初期において阿呆ほどたくさんの文章を投稿しているはずだ。そうやって自身のスタイル(姿勢)を整え、たしかなものにしているのである。

古賀史健 『姿勢を矯正する場所は。』より


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