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老後の心配より、今の自分の社会性を問う方が重要な理由

適当にお茶を飲んでいた時にふと思ったことがあります。それは現代社会における「認証」に関することです。この認証はいろいろなものがありますが、例えば「マイナンバーカード」の提出だったり「Googleアカウント」認証だったり、いまでは多くの場面で自分が共同体の一部であることを証明するための何かが必要になります。

SNSアカウントに入るときも、異常な人間でないかどうかを調べるためにパスワードなど本人確認を厳重にされますし、国境をまたぐ時も同じように行われます。

この「認証」というのはその背景に「社会」があることによって成立しているものであり、それはお金を稼ぐこと以上に重要な意味を含んでいます。お金はあくまでも「社会」ありきであり、「認証」を通過したものだけが利用できるものです。つまり、この認証を通過できなければお金というステージを見ることはないのです。

老後何千万問題という問題

最近話題になった老後問題について、これはそれ以前に気にするべきところがあるというのはいろいろと聞いてきました。しかし、お金が足りない以外の問題をどう見つければいいのかなかなかわからなかったり、とやかく言われても、そこまで問題意識を持ったことはありません。しかし、いろいろと行動していくにつれ、社会変容と時代の流れから、老後問題の意味と本当の問題についてここに再考したくなりました。

まずもって、老後退職した時に、いくら持っているかはそこまで重要ではないということです。どちらかといえば、問題なのは老後だろうが若年層だろうが、コミュニティに参画できているかどうかです。つまり、社会性が非常に重要になってくるということであり、その重要度は年々そぎ落とされつつ洗練されています。

社会性がない若年層と、資金ゼロの老人

さて、問題、という問題を考えるとき、上記見出しにあるような「社会性がない若年層VS資金のない老人」という対立はどちらがマシなのかわからない時があります。しかし、前節で述べたことを考えると、どちらかといえば老人のほうがマシなんじゃないかと思う人は多いのではないでしょうか。いや、正しくは「お金はあるが社会性がゼロの若人と資金ゼロだが社会性は高い老人」という対比です。

これだと以外にも、お金のない老人がヤバいとは思えないでしょう。もちろん、お金もあって社会的な老人が最も良いのは確かですが、それはお金によってなのか、社会性があるからによってなのかは特に感覚的にどっちがよいのかという話になってきます。

お金=証拠?

そう考えると、資金があるというのは、一つにその通貨が流通する社会に所属しているという一つの証拠なのではないかと思ってくるのです。例えば、STEPNというアプリがありますが、あれは暗号通貨を用いたゲームです。ゲームという一つのコミュニティに参加して資金を稼ぐ、というのはSTEPNなるアプリが一つの社会性を強制的に浴びているかのような状態だともいえるでしょう。

お金があるというのは、そのコミュニティに所属している証拠でもあると思います。

とはいえ、資本主義においてはそれが絶対的なものかというのも微妙なところです。物理学的な法則があるのだとしたらそれはそれで美しいですが、社会とお金の関係性を明確に断言することはできません。

個人的には、老後問題を気にするより今の所属しているコミュニティだったりでどうやって社会的になれるのかを考えるほうが重要なんじゃないかと考えています。

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