中世イタリア語のancire 'to kill'とイタリア語のuccidere 'to kill':-n-はどこから出てきたのか?

恐ろしく久しぶりの投稿です。Twitterをメモがわりに使っていましたが、そろそろnoteにもまとめていかなければなと思い、今年はすこし頑張ろうかと思っています。(とはいえ論文を書かなければいけないという噂もありますが)

早速ですが、次の同じ語源を持つ、同じ意味の言葉を見比べてみてください。

イタリア語uccidere、中世イタリア語ancire (TLIO ancire < aucire)

どちらも ‘to kill’ という意味の言葉で、古典ラテン語のoccidereに由来するようです。一眼見てわかる違いは、中世の語形に挿入されているような-n-の存在です[1](え?そもそも全然似てないって?)。このuccidereと比較すると一見余計な-n-はどこから来たのでしょうか。

ancireはTLIO (Tesoro della lingua Itialiana delle Origini) によると俗ラテン語の*aucire(古典ラテン語のoccidere)を語源とするとしており、俗ラテン語の語形には例証されていないという意味でアステリスクがついています。とはいえ、TLIOやGDLI[2] (Grande Dizionario della Lingua Italiana) の用例にはau-で始まる語形も載っており、中世にもこの形は見られたようです(vo. 1, 839)。

Sallach (1993, 19f) によると、ヴェネツィア語ではalzider(e)、olziderという語形が用いられており[3]、au-という二重母音がどのような発展を遂げたかが、重要であることがわかります。

Rohlfs (1966, vol. 1) によると、トスカーナや北イタリアでは古典ラテン語のauだけでなく、二次的に生じたauもǫ (広いo) に変化(au > ǫという風に書き表します)しました (§41)。

lat. paucus > tos. poco; cf. lat. taurus > sp. toro, ven. tǫro

ところが、もともとauだったのがalやolになる場合もあったようです。例えば、古ヴェネツィア語版の『トリスタン』ではlaudo > loldoなどとなり、似たような現象はミラノやエミリア方言にも見られたといいます(§42)。ここまではアクセントの落ちる、強勢音節の変化でしたが、同様の変化は強勢前の音節でも起きたようです(§134)。

つまり、occidere > auccidere > ancidereとまで変化すれば、lと発音するときの舌の位置が同じであるnに変化するのはそこまで不思議ではないでしょう。

参考文献
Rohlfs, Gerhard. 1966. Grammatica Storica Della Lingua Italiana e Dei Suoi Dialetti: Fonetica. Translated by Salvatore Perschino. Vol. 1. Torino: Einaudi.

Sallach, Elke. 1993. Studien zum venezianischen Wortschatz des 15. und 16. Jahrhunderts. Tübingen: Niemeyer.


[1] 厳密にはダンテなどもuccidereを用いていたようですので、一概に中世に用いられていたというわけではないようです。https://www.treccani.it/enciclopedia/uccidere_(Enciclopedia-Dantesca)/ (最終閲覧2024/01/03)

[2] GDLIの見出し語はaucldereとなっていますが、おそらくaucidereのミス?

[3] TLIOの用例ではUggoccione da LodiやLuccaなどの非ヴェネト地域の例も載っていますが、大半の用例はやはりヴェネツィア、ヴェネト地域のものであることがわかります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?