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気分が落ち込んでる時に見つめ直す事。

環境の責任にする事で自分自身を追い詰めていないか?

環境は、人、状況、時間、何か周りの責任にする事。

自分も含めて何か周りの責任にすることで自分が招いている事から、逃げたい、やりたくない、めんどくさい、そして、怖い。

でもその環境を招いた、感じてるのは自分以外にないんです。いやまじで。

他人の起こしてる事、感じる事は自分以外に感じてませんよね?つまり自分がその状況、環境を作っている現実があるんです。

ある時、僕は誰かと交流する事がめちゃくちゃ怖くて傷つきたくなくてその場でどうにか切り抜けるために嘘を言ったり何かに論点をすり替えて責任を放棄したり、それが出来なければまるで子供みたいに怒ったり泣いたりしてました。

それは自分自身を結果的に認めていない事なんだと思います。

自分を心から認めていれば傷つくのはもしかしたら自分の心じゃなくて傷つく先に成長が見えていたのかもしれないし何かを学べたかもしれない。そういう自分自身の可能性から逃げていたのだと思います。

怖い、という感情

恐怖から来るこの自分の保身は、成長を阻害する最大の悲劇だと思ってます。何より自分自身で自分の成長を止めてしまう

そこに成長しないという選択肢は時には大事だと思います。成長とかいうそのものがその時の状況によって変わってくるからです。

ただ

本当にその選択肢は他責にせず自分にとって大事な選択なのかどうかって事だと思いますよね

これ本当に曲者で、怖いから生存本能が働いて生き残れるし、もしかしたら現実世界でもそのおかげで助かってきた事ってたくさんあったのかもしれません。

ただ怖いからやってみたら案外できた!簡単に突破できた、なんだこんなもんだったのか!ってそれは本当に小さな成功体験かもしれませんが自身にとってプラスでしかない成功体験だと思います。

それは心の成功体験で、何か事業が失敗したとか上手くいったとか関係ないんです。

結果はどうでもいい。

本当に大事なのは自分の枠が広がる事。

その枠を広げさえすれば良い。

その広げるという選択肢の第一の感情として怖いがあるなら、やってみたら?

もう一度、結果は本質的にどうでもいい。

なぜなら後で必ず付いてくるから。

心と体は必ず一心同体。

心が成長していれば現実を司る体も必ず結果についてくるんだなと。

、、っと思いました。

自分は色々な成功者の人の話を聞いたり、映画を見たりする事でやってみようかな、頑張ってみようかなといつも勇気付けられています。


20代自分史↓


ちなみに。うちのニャンコは素知らぬ顔。

かわいい(親バカ)



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