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軽やかな悪意について

梅雨入りした。
今朝、公衆トイレのような、雨のにおいが充満する小田急に揺られながら、これまでの人生で遭遇してきた軽やかな悪意たちを思い出した。
強い恨みや嫌悪がなくとも、ほんの出来心のような意地悪に。

直近に遭遇した軽やかな悪意は、バイト先で初めて顔を合わせる同僚の女の子に「初めまして。〇〇です。」と名乗った際のことだ。
年下のその女の子は、「あ、名前は有名ですよね」とほほ笑んだ。
私は「どういう意味ですか、それ笑」と負けじと偽の笑顔を張り付けて、すぐさま更衣室にかけこんだ。

「名前は有名ですよね」を、悪い意味の「お噂はかねがね」としか受け取れなかった。
私は、特段仕事ができないわけでも、サボってるわけでもないから、悪い噂がたつ根拠なんて思いつかない。だけど、そんな風にマイナスにとれる言葉を初対面の人間に使えることに、意地悪心、軽やかな悪意を感じたのだ。

中学生のとき、よくあることだが、部活の同じグループの中で仲間はずれにされた。約2年間。
3人グループだった。私以外のもう2人の女の子は、小学生のころからとても仲が良く、入部した際、私がそこに加わった。
毎日一緒に帰宅した。だけど、3日に1回は、私の着替えをまたず、2人で先に学校を出てしまう。
部活中の暇な時間、「かくれんぼ」をしようと1人が言う。もう1人は賛同する。その瞬間に2人はニンマリと顔を合わせ、遠くへと走り去ってしまう。私はなぜかいつもいつも、鬼だった。冷たく暗い校舎を、とぼとぼ歩いた。涙は絶対にこぼさなかった。だってこれは遊びなんだから。早く、終われ。早く、家に帰りたい。
あれから、私は人を追いかけるという行為ができない。そこに悪意なんかなかったとしても。信頼する人でも。あの冷たさと惨めさに身体が縛られて、一歩も動けなくなる。

だけど、不思議だったのは、その2人は、両方が揃わないと私に軽やかな悪意を向けなかったことだ。どちらかが部活を休めば、残された1人は私に親密な態度をとる。

私が彼女たちに遊ばれていた理由は、今でもわからない。仲のいい2人の邪魔者だったのか。顔色をいつもうかがってくれる便利な駒だったのか。それとも単純なストレス発散だったのか。
きっと、ちょっとした嗜虐心をオブラートに包んで、人にぶつける行為の狡猾さは、みんな持ち合わせている。たぶん私も。

いつだって、軽やかな悪意を向けられたときは、そこで関係を切ってきた。
巧妙な悪意匂わせ発言。
仲間はずれ。
容姿のネタ化。バイトも、友人も、サークルも切った。私が痛みを抱えながら、笑って流してあげる筋合いはない。
だって、私はほかの誰かにとっては、大切な人間だから。
誰かの大切な娘で、妹で、友人で、恋人だから。

「意地悪やめて」なんて言葉は通じない。
だからこそ、大切にされるべき私は、大切にされない環境は捨てて、いるべき環境を選ぶ。

どうせ、
私の容姿を笑った、太ったあの意地悪な子、
私を置いてけぼりにした、鼻水をいつもジャージの袖で拭っていた、あの意地悪な子、
間抜けで弱かったあの子たちは、私の知らないところで元気に生きているのだろう。

まあ、死んだら地獄に落ちろ。

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