Notes of a Dirty Old Man For Introduction

どちらにしても、
こおやって毎日のように書きものを続ける切っ掛けをいただいた、
自立支援の事務所には感謝しかない。
昨年末よりの心身ともの絶不調の出来。三ヶ月程を寝て暮らした。
書きものを続けていたフィリピンよりの帰国後のこと。
無理がたたってのことでしょうが、考えることが出来なくなって、
詰まらないことを考え出した。

これではならじと少しマシになった体調に押されるように、
これも奇縁のポストに入っていたチラシを見て決めた、
人と触れ合いたいと、事務所とのご縁を得て五月初めからのこと。
ここまで辿り着いた。
お読みいただく方に取っては読み難い書きものでしょうが、
そんな事情をお察しいただき、一日でも長くお読み頂ければと、
祈るばかりです。

浦和での公立中学を転居もしてないのに転校した変な子供。
それまでは開けっ広げで先に立っても人をまとめられたような記憶を、
持っていたものが何かふさぎ込むような、ネガティブシンキングに。
失うものがどれだけ大きかったんだろうと思う限りだ。

どちらにしても余り勉強はしない子供。
転校してからはいよいよと、ばあちゃんが言ってくれてたんだった。
何をしてたかと言えば、本を読んで読んでそして書きものを。
でも書き残ったものがあるじゃ無し、書き残しの中のあの頃の私に、
逢いたいな。

育ての親にしても傍にいた母親は二十歳過ぎに離婚をしてその後のことは、
皆目見当も付かず。
こんな子だったと教えてくれる誰も居ないんだし。
寂しい人生の見本だな。
離婚は出来ないと思った私にしても、また繰り返した。
何処まで続くやら。

若い頃に進めなかった書きものの世界。
生い先短いにしても、体調の不調を乗り越えてまた書き出した。
三年もの間が空いたけれど、
また来月七月には畏いなるものの呟きを聞いたセブシティーで、
少し長く暮らしたく出掛けるつもりだし、また呟きを聞きたいと思う。
書き下ろし第二作をまとめる切っ掛けを頂きたい。
だからもうあと一ヶ月程を掛けて下書きを書き進める。

そうそう、
中学高校と進めば男の子もだんだん色気が付いて来て、
いろいろ考え出す時期、晩稲の私にしてもね。
だからバスでのちょっとした出来事にも、いろいろ考える。
他の反応はどうか知りませんが、感受性は生意気に発達してたよう。

こんな書きものの機会を与えて頂いて、
それに連れて落ち着いて思い出を思い返すのだけれど、
同じ住まいに住所に住み続けた方の、生き方なんて考えられません。
余りに転居が多すぎたからね。
まっ、でも長く同じ所に居続けたにしても、
何か不満を持ち続けた同じ住まい何て、意味は無いのでしょうがね。
長い時間を睦まじく暮らせて初めて意味のあるものになるのでしょうね。

過ぎ越し方を何だったんだろうなんて考えちゃ駄目だよね。
ネガティブシンキングじゃ無く、
ポジティブシンキングで行かないとね。
書き続けられているんだから。
~~続く

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