「あー、やから今日そんな奇抜な服着てるん?」

ある時友人にそんな言葉をかけられた。心外だった。そんなにおかしいだろうか、そんなに奇抜だろうか、そう指摘されるほど似合っていないだろうか。一瞬でそんな思考がよぎったが反論もできないまま話題は別のものに変わっていってしまった。

おそらく友人が指摘したのは緑のパーカーだろう。最近原色を身につけている人が増えたから自分も着たいと思い、量販店で購入した普通の厚手のパーカーだ。時期外れという訳でも、上下のバランスが悪かった訳でも無かったと思う。下は黒いパンツを履いていた。

確かに私が派手な色を身につけているイメージを友人が持っていないとしても不思議ではなかった。そう思ったから指摘はしなかった。

しかし緑を奇抜とはどういう了見だ。緑は自然の色だ、原始の色だ、安らぎの色だ。緑を好きな人だって多いだろう、好んで身につける人も多いだろう。そんな方々は皆奇抜なのか。私に緑が似合っていないのであればそう言えばいい。真摯に受け止め緑を避けよう。

つまるところ私は友人のワードチョイスに引っ掛かりを覚えただけなのだ。あの時「奇抜ってどういうこと?」と一声かけられていればこんな文章を書かずに済んだのかもしれないと思うと、あの2秒を惜しんだ自分を恥じたい。
会話の内容が2秒で変わってしまう大阪人のため息である。

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