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【インタビュー翻訳&解説】カート・コバーンがアイデンティティについて語る/Kurt Cobain on Identity

1993年7月22日、NYでのKurt Cobainのインタビューを翻訳&解説する記事です。
初めに、参考として当時のNirvanaKurtを取り囲む環境を軽く説明しておきたいと思います。
メジャー2ndであるIn Uteroの発売を二か月後に控え(録音自体は2月で既に終えています)、ライブの本数も少なめな時期です。
話している内容的にもKurtは健康そうだなぁと思ったのですが、なんとこのインタビューのおよそ12時間後にはヘロインのオーバードーズで意識不明になっているので、どうやらそうでもなかったみたいですね…。
しかもその翌日には同じくNYにてライブを行っているので驚きです。
メディアの取材に対しては、真面目に答えている印象があまり無いKurtですが、このインタビューでは家族のこと同性愛についてなど、パーソナルな質問にも珍しくちゃんと答えています。どうやらインタビュアーのJon Savageの著作(The KinksSex Pistolsなどのバイオグラフィーを書いてる人)を気に入っていたようで、それもあってちゃんと受け答えしているのかもしれません。以下のリンク↓から全文読めます。


PART1:高校時代について


Jon Savage:Did you have problems in high school?
インタビュアー:高校時代は大変だった?

Kurt Cobain:Yeah.You know I felt so different and so crazy that people just left me alone. 
I always felt that they would vote me "Most likely to kill everyone in high school dance ." You know?
カート:ああ、自分は周りの人間と違うのを感じていたし、何かにつけて苛立っていた。だから、いつも1人だった。
もし学校で「スクールダンスの時に全員を皆殺しにしそうな人ランキング」みたいなものがあったら、きっと俺が1位にされていたと思う。

解説:Kurtが高校を中退した後、その中退した高校で清掃員として一時期働いていたのはそこそこ有名な話かと思います。また、その清掃員の仕事は2ヶ月で辞めたらしいです。彼は高校2年の時に転校を経験していて、転校前の学校ではそこそこ人気者だったとか。転校先のアバディーン高校で彼はクラスメイトから暴行を受けていたと述べているインタビューがありますが、当時の同級生は否定しています。これが彼のお得意の作り話なのか、事実なのかはもはや確かめようが無い状態です…。

PART2:祖先について


Kurt:My mother's always tried to keep a little bit of English culture in our family. 
Like we'd drink tea all the time. You know?
カート:俺の母親はイギリス風の文化を家の中に取り入れようとしていたみたいだった。いつでも紅茶を飲んでる、みたいな感じでさ。
Although I've never really known my ancestry. 
I didn't even know until this year that name Cobain was Irish, I found out through different phone books throughout America. 
I couldn't find any Cobain's at all so I started calling Coburns. 
でも自分の祖先についてはよく知らなかったんだ。
Cobainという姓がアイルランド系なのもこの歳になるまで知らなかった。
アメリカ中の電話帳を探してて知ったんだ。
Cobain姓の人は見つからなかったから、Coburns姓の人を見つけて電話をかけた。
I found this one lady in San Francisco, and she had been researching our family history and it came from County Cork which is a weird coincidence, because when we toured,we played in Cork, and the entire day I walked around in a daze. 
I've never felt more spiritual in my life. I was almost in tears the whole day.It was the weirdest thing.
サンフランシスコにある女性がいて、彼女は俺たちの祖先について調べていた。
どうやら自分の祖先は、アイルランドのコーク州から来ているらしい。
偶然にも俺たちはツアーでそこを訪れ、演奏したことがあるんだ。
その日は辺りをぼんやりとしながら一日中歩いたんだ。
あんな霊的な経験は初めてだった。
何故だか分からないが泣きそうになっていたんだ。
こんな不思議なことは他にないね。

解説:Nirvanaは1991年の8月20日にアイルランドのコーク州でライブを行っています。
Cobain姓がアイルランド系なのは初耳ですね…。またホラ話かと思いきやこれはどうやら本当っぽいです。英語版wikiにこんな記事↓が。

PART3:両親の離婚について


Kurt:I had really good childhood until the divorce.
And all of a sudden, my whole world changed. 
I couldn't face some of my friends at school. 
I desperately wanted to have the classic, typical family. Mother, father. 
カート:自分はとても良い子供時代を過ごしたと思うよ、両親の離婚まではね。
その時突然に、自分の周り全てが変わってしまったんだ。
友達には顔も合わせられなかった。
俺はどこにでもよくある、普通の家族を必死に求めていたんだ。
普通の母親と、父親をね。

解説:「ジェネレーションX」と呼ばれたりする彼の生まれた世代は、両親の離婚を経験している人が多いです。Dave Grohlもそうですね。Kurtの人格形成において、やはりこの両親の離婚は一番大きな出来事だったようです。

PART4:女性について


Kurt:Because I couldn't find any friends, male friends that I felt comfortable with,I ended up hanging out with girls a lot. 
And I just always felt that they weren't treated with respect. 
Especially because women are just totally oppressed. 
I mean the words b**ch and c*nt were totally common. 
カート:気の合うような、同性の友達はなかなかできなかった。だから、女の子と一緒にいることが多かった。
俺はいつも、彼女たちの扱われ方が公平ではないと感じていた。
当時から女性は完全に服従させられていたんだ。
b**ch」や「c**t」なんて酷い言葉も平気で使われていた。
Although I listened to Aerosmith and Led Zeppelin,and I really did enjoy some of the melodies that they've written,It took me so many years to realize that a lot of it had to do with the sexism. 
The way that they just wrote about their dicks and having sex. 
AerosmithLed Zeppelinの曲は大好きでよく聞いていた。だけど、その多くが性差別的なものと結びついていることに気づくまでは時間がかかった。
大体が自分のアソコがどうとか、セックスがどうとかいう歌詞ばかりだったんだ。
And I was just starting to understand what really was pissing me off so much, those last couple of years of high school. 
And then punk rock was exposed. And then it all came together. It just fit together like a puzzle.
高校時代の最後の方になると、いったい何が自分をこんなにも苛立たせているのかが分かってきた。
そこでパンクロックに出会ったんだ。
全てが一緒になり、パズルのようにはまったんだ。
It expressed the way I felt socially and politically ,just everything. It was the anger that I felt.The alienation. 
パンクロックは、俺が社会や政治に対して感じていたこと全てを表してくれていたんだ。俺が感じていた怒りや、疎外感を。

解説:KurtはNevermindのリリース前の時期に、Bikini KillというバンドのTobi Vailと交際していたことがありました。このBikini Killというバンドが、「Riott Grrrl」というフェミニズム思想をもったバンドの代表的存在であり、Tobiとの交際が彼の思想に与えた影響は大きいです。ちなみにTobiの影響は「Smells~」の曲名や、「Drain You」、「Aneurysm」の歌詞にも出ています。
Kurtがある程度の期間交際していた女性は主に3人程いて、それぞれ交際していた期間を分かりやすくNirvanaのアルバムで分けると、Bleach期はTracy Maranderという方。
Nevermind期はTobi Vailで、In Utero期は皆さんご存じCourtney Love
そして偶然にも、全アルバムの中にそれぞれの女性について歌った曲が収録されています。
(Tracyは「About a Girl」、Tobiは「Drain You」、Courtneyは「Heart Shaped Box」)
ちょっとこじつけ気味ですが、この辺調べてみると面白いです。

PART5:同性愛について


Jon:Did you have problems with people thinking that you were gay?
インタビュアー:あなたのことをゲイだと考えている人と何か問題を抱えたことは?

Kurt:Yeah.I even thought that I was gay. 
I thought that might be the solution to my problem. Although I never experimented with it,I had a gay friend. 
And then my mother wouldn't allow me to be friends with him anymore, because,well,she's homophobic. It was real devastating, because finally I found a male friend who I actually hugged and was affectionate to and we talked about a lot of things.
カート:あるよ。自分はゲイじゃないかと考えたこともある。
そう考えることが、俺の抱える問題を解決してくれるかもしれないと思った。
いわゆる身体の関係は無かったが、昔ゲイの友達が1人いたんだ。
でも母親は、俺が彼と友達でいることを許してくれなかったんだ。
なぜなら、母親はホモ嫌いだったから。
その時はとても打ちひしがれたよ。
お互いに優しくて、ハグをし合うような同性の友達がやっとできたのに。
いろんなことをお互い話し合っていたんだ。

Jon:So did you stop?
インタビュアー:それで彼とは会うのを止めた?
Kurt:Yeah, I couldn't hang out with him anymore.
カート:ああ、彼とは二度と会えなかった。

解説:「俺はゲイじゃないけど、ゲイだったらよかった。ホモ嫌いに嫌がらせできるから。」というのはそこそこ有名な発言ですね。NirvanaとしてはLGBTの権利を擁護するためのコンサートに出演したりもしています。「god is gay」(Stay Away)、「everyone is gay」(All Apologies)など、歌詞の中にも同性愛的な要素がちょこちょこ出てきますね。

PART6:歌と病気について


Jon:How do you sing?
インタビュアー:あなたの歌い方について教えてください。
Kurt:Most of the time I sing right from my stomach.Right from where my stomach pain is.
Doctors... every time I've had an endoscope,they find a red irritation in my stomach. 
But it's all from anger and screaming. 
I mean, not only is my stomach has inflamed irritation, but I have scoliosis.And the weight of the guitar has made my back grow in this curvature. 
So it gives me a back pain all the time.You know. 
I'm always in pain, too, and that really adds to the anger in our music.It really does.
I'm kind of grateful for it in a way.
カート:ほとんどの場合、自分の腹から声を出している。
持病の胃痛がするところから。
医者が内視鏡検査をするといつも、胃の中に真っ赤な炎症を見つけるんだ。
多分それは俺の怒りと、叫んだりするのが原因なんだと思う。
でも俺は胃の炎症だけじゃなくて、脊柱側彎症も患っているんだ。
ギターの重さのせいで背中がこんなに曲がってしまった。
だから背中は常に痛む。
俺は何かしらの痛みを常に感じているんだ。
そしてそれが自分たちの音楽に怒りを加えている。
そのことについてはある意味感謝もしてるよ。

Jon:Maybe you're feeling a bit better now...
インタビュアー:そういった痛みも今ではある程度良くなりましたか?

Kurt:Yeah, especially since I've been married and had a child.
You know, within the last year, my whole mental state and my physical state has almost improved 100%. 
I haven't felt this optimistic since right before the divorce.You know?
カート:ああ、特に結婚して子供を持ってからはね。
昨年の間に、俺の精神と身体は100%回復したと思う。
こんなに楽天的になったのは、両親の離婚以来初めてだよ。

解説:彼のヘロイン使用は、元々は数年来に渡って苦しんできた原因不明の胃痛に対する鎮痛剤としての使用だったと言われてます。「胃痛から逃れるため意識的にジャンキーになろうとした」とも。脊柱側彎症についてはこれまた初耳ですね…。
このインタビューが行われる前の年である1992年には、薬物依存のリハビリ施設に入院することで健康面ではかなり回復していたようですし、それと同時にドラッグ中毒に対するメディアのバッシングもある程度落ち着いていたようです。
でもこのインタビューの後にオーバードーズなっちゃうんだね…。

Kurt自身、かなりセルフイメージを気にする人間だったようで、彼がインタビューで話す内容には真偽不明のものも多いです。なので本記事で書いた内容も、彼のウソが混ざってる可能性がありますので、ご注意ください。

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