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解体新書 4

自身が得たインプットは使ってナンボ。自分の言葉・自分の血肉として得たものを活かす。そのアウトプットの場としてnoteに週5更新という目標を立て100日の継続を終えました。

節目という事もあり、ここらで改めて、自分のルーツ「ごとうはなぜ子育てを熱く考えるようになったのか」「ごとうのしたいことは何なのか」を振り返る機会を何度かに分けて作りたいと思います。

これまでも自己チューだった本noteが更に自己チューになるとは思いますが、宜しければお付き合いいただけると幸いです。

▼ごとうと 父親の背中
▼チームであり 社畜であり
▼世の全てを憎もうとした 出産直後
▼FJとの出会い と 転換期←Today's theme!
▼ボスで変わる!確信が実感へと変わった瞬間
▼娘達へ

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ごとうと 父親の背中
チームであり 社畜であり
世の中全てを憎もうとした 出産直後

PART4 FJとの出会い と 転換期

当初は「入会?ってなんか怪しいのかなぁ…」とか思いましたが、考えてみれば僕らって、色々入会してるんですよね。

子供の頃のスポ小だったり。大学のサークルだったり。ジムだったり。そう考えると、少しハードルが低くなった気がします。それでも、お金払ってまでやることなのか。少し考えた結果、まずは身の周りを少し調べてみることにしました。それで近所にパパサークルとか、相談機関あれば、手軽だしなぁ…くらいに思って。

とにかく、それくらいに当時は他のパパの情報や体験に飢えていました。自分の周りには、仕事も家事もなんて両立しているパパが本当に少なかったので…。他のパパは仕事とのやりくり、どうしているんだろう?とか、ママとこんなことになったとき、他のパパならどうするんだろう?とか、義実家とはどうしてるんだろう?とか。

周囲に相談しても「男がそんなにやんなくていんじゃね?」「しょうがないよ、そういう時代だから」的な反応が多く、「僕もやる」「パパもいる」という前提でヒントはなかなか得られませんでした。中には「みんな困ってるんだから仕方ない」という諦めの境地に到達した先人と出会ったり、県内あちこちの家族イベント的なものに参加しようと連絡しても、時には「親子の触れ合いなんちゃら」という垂れ込みで「ママとお子さんしかダメなんです」みたいな企画もあったり…。色々切ないですよね、なんだか。

そんなこんなで、市役所で聞き込み。でも「パパが入れるような活動している団体はありますか?」と聞くと、パパサークルはおろか、ママサークルですらほぼエア運営状態。しまいには「パパサークル作ったらどうですか?」と。そういうのがどうしていいか分かんないから聞きに来たのに…と。

結論。やっぱダメか…。

やっぱ入会しかないかなぁ。よし。意を決して問い合わせてみよう。

そんな感じでFJに関わることになりました。でも、今思えば大きな転機だったと思います。

タイミング

僕がFJにジョインして2日後くらいでしょうか。今ではすっかり、こちらに来た時は「飯行きましょう!」とやり取りをするKさん。自己紹介メールで「とにかく、パパとして今まで感じた課題を残したくないから、何かしたい!」的な事を書いていた気がしますが、反応してくれ「ようこそ!」と。HPを見ると、「理事」とあり、普通に組織で考えたら「お偉いさん」にあたります。その立場の方から、気さくにメール一本が飛んでくるという環境にまずは「えぇ~っマジすか」と驚きます。だって、これまでの組織では、お偉いさんからメールが来るってこと、なかったもんね。

驚きはそれだけではありません。オマケに「実は〇〇日に仙台で、FJの東北支部の件についてミーティングするんですけど、来てみません?」という、お誘い付き。調べてみると、確かにFJには「東北」支部がないんです。で、水面下で東北支部立上に向けたアクションが進んでおり、各県のメンバーで一度集まろうというタイミングで、どうやら僕はFJに参画したらしく、「岩手って丁度いなかったんだよね~」と。

良い機会だし、他のパパさんの話も聞けるのかな…とあんまり深く考えず、数日後、仙台へ向かいました。FJに参画してからこの間、一週間も経っていなかったと思います。

誰が来るのか。何が始まるのか。そもそも僕なんかが行っていいのか。そんな事を考えながら高速を飛ばして行きました。

なんだこりゃ

待ち合わせ場所に着いたとき、「お。FJ?」と声をかけてくれた方がいました。メールをくれたKさんです。FJの理事であり、社長もしているそうでしたが、いい意味で、僕がこれまであった社長感が全くない。前職までの社長のイメージと言いますか。権力片手に威圧感まき散らすようなイメージは全くなく、只のきさくな先輩パパという感じでした。

続々「あ、どうも~」「おつかれでーす!」とパパさんが集まります。中には女性の方もいました。

みんな知り合いなのかな…
僕はきっと「おめぇダレだ?」的な目で見られてるのかな…
なんか僕だけ浮いてんなぁ…

そんなドキドキと内心戦いながら、打ち合わせ場所へ入ります。

資料はA4で1枚

メンバーが集まって、じゃ早速!とkさんが資料を配ります。ここでもびっくりしました。「え?1枚しかないの?ありがたい!」って。

これまでの僕の考えていた組織の常識では「会議の資料=膨大」というイメージがありました。僕はそれが凄い違和感で…。

メールで報告挙げている資料をなんでわざわざ刷りなおして持ってくるんだろう。事前に読んで来たらいいじゃんって。会議の中身もそうですよね。数値報告とか社命とか、そんなの事前に分かってることじゃないですか。何故いちいち読み合わせするんだろうって。それで会議の3分の2終わるんだし。時間の無駄も甚だしい。

その点、この日の資料は、アジェンダ・背景等がシンプルにまとめられ、今日何を話すんだろう?てのが1枚ですぐ分かる内容でした。

僕がFJに「ハッとした」のがイクボスプロジェクト。

事前に色々見てきたつもりではありましたが、「あ、この人達、マジで実践してるんだ」と驚いたのが率直な感想です。

その後、自然と話し合いが始まりますが、まぁここも早い早い。「いつまでにこんな感じで行こう」「こんな感じで各県で動こう」と、みんながスパスパとアイディアを出します。びっくりしたのは、僕が今まで会社の会議で経験したあることが、この場では一切なかったこと。それ以外の職場の会議では、絶対にあったのに。それは「否定」。「そっちじゃねぇよ!」「いいからやれ!」そんな、今までの会議で腐るほど聞いた決め台詞が何一つ聞かれないという、不思議空間でした。この時の体験も、今の僕の仕事における重要な核心部分の一つになっています。
※もしかしたら自分が今まで、アブノーマルな環境にいすぎただけかもしれませんが…。

どちらかというと、この場の会議は出てくるアウトプットを「こっちのピースとくっつけてみよっか」という、全員でジグソーパズルを組み上げているような感覚。これは、あのボスの元でチームで働いていた時以来の感覚でした。一言で言えば、ダイバーシティな会議。

そうこうして、FJ東北の原石が出来上がりました。来た時は「大丈夫かなぁ…俺」という感じでしたが、話し合いが終わるころには「何となく、色々見えちゃったかも!」という手応え。率直に、その場にいた皆さんに対し、凄いなぁ…と驚いたことを覚えています。

その後は市内の飲み屋へ。途中、「あ、ネットで見た人だ!」というあのロン毛の代表、Aさんも駆けつけ、東北でもパパが笑って子育て出来るようにしようぜ!と乾杯。僕は用事があり、1時間くらいで退却したのですが、とりあえず、ワクワクしたのは間違いない1日でした。

法人としての正式立上はその数年後になるのですが、僕の中ではこの日がFJ東北のスタートだったなぁ…と思ってます。

え!FJなんですか?

ところが、他県と比べ、岩手においてはFJ関連のメンバーは当時僕ともう一人だけ。圧倒的マンパワー不足。FJ東北をスタートさせることは決まったものの、さて、どうしようかと…。考えてみれば、NPOに所属して「どうもごとうです」なんて名乗ったことは一度もないわけですからね。

考えてても仕方ないので、とりあえず仕事の先々で、FJのごとうを名乗るところからスタート。そんな事を繰り返していると、県の認定子育て支援者講座(今予算なくなって消滅したレア取組なんです)の場で「FJなんですか?マジ!?」と食いついてくれたママさんが、年末のイベントで登壇を要請してくれました。これが多分、僕のソーシャル活動始めでした。わずか3人とかのイベントだったけど、寝る間を削って、パワポいじっていた気がします。

妻にも「何かよく分かんないけど頑張ってね」と。出歩くたびに「こういう事やりたいんです」と色んな方と話して回る日々。

そんな中、Kさんが盛岡でイクボス講演をすることに。久しぶりにFJ関連のメンバーと会えるだけでなく、年間何百の全国からの依頼をこなす「元祖イクボスの実践術」を初めて直に聞けるという事で、僕も参加します。そして確信しました。「あぁ、やっぱり。俺が感じていたこと、チームのみんなとやりたかったことだ」と。自分が職場で・チームでなんとなく上手くやれていたことに、理論的な説明が加わった。そんな感覚でした。

この時の縁からかな。当時の男女共同参画センター長とつながりが出来、広報へのインタビュー後に意気投合。翌年の県の男女共同参画イベントで、講演デビュー。その後もちょいちょいお声がけいただくようになりました。

※逆に言うと、僕なんかにお声がかかるという事は、それだけ県内において「パパの子育て」とか「イクメン」とか「イクボス」という話が出ること自体が、余程のレアケースだったという裏返しかもしれません。

今まで漠然と「こんな思いをするのは僕たちの世代だけにしたい」「子供達に同じ思いを味合わせたくない」と考えていた僕の行動に、「子供達に残せる未来を創る。その為に自分の経験を活かすのも、俺の子育てだ」という本当の火が入った1年になりました。

目まぐるしく変わる現場

オカルトじゃないですが、そんな体験を通じてか否か、僕の周りの何かが変わりだした気がします。

某大学からお話を頂き、復興支援とか地方創生関連のプロジェクトマネージャーとして、期限付きで大学でマネジメントする機会を頂きます。

また、そんなタイミングで盛岡市がワークライフバランス社と協働で認定コンサルタント講座を開催し、運よく無料で学ぶことが出来ました。
※僕が今までやってきたマネジメントや、イクボス式を自分なりに科学したり、志のある社長さんや企業さんと繋がることが出来たり…本当に貴重な学びの機会になりました。

そこで学んだことをどうしていこうかな…というタイミングで、男女共同参画センター長とタイミングよくやり取りする機会があり、その流れで「ごとうさん、うち来ます?」と。その後、同センターで「女性活躍推進」「ワークライフバランス」関連の事業を引き受けることになりました。まさに、僕が思い描いていた「僕らみたいな思いをするパパママを救いたい!=子供達に残せる未来を創りたい!」という未来に直結するミッション。時にはFJのごとうとして、時には職員としても「イクボス」とか「ワークライフバランス」関連の講演スキル・研修スキル・コンサルスキルを磨く機会に恵まれ、本当にいい機会を頂けたと思っていますし、講座数・研修数共に前年比の倍近くの実績を出すことも出来ました。毎年更新のオマケ付き。

その間、水面下で用意を続けていたFJ東北は、沢山の方々のご協力と想いを胸に、ついに法人化を果たし、2016年には本格的に活動を開始します。

今では県をまたいで、イクメン・イクボスのみならず、絵本読み聞かせのイベントやワークライフバランス、ダイバーシティ関連の登壇やパネリスト、岩手に至っては、各種登壇の他、県内初のパパをテーマにしたサミットや、県との冊子作製も行っています。
※下記ガイドブックもごとうの方で原稿作成させていただきました。

何だかすべてがうまく回りだした。そんなオカルトじみた期間は3年ほどで、今は少し落ち着きを取り戻した感もあります。

お世話になった男女共同参画センター長の退職に伴い、僕も同センターを卒業し、現在はいわてライフキャリアラボを設立して、これまで取り組んできた働き方改革や女性活躍推進に向けたコンサルや研修支援だけでなく、FJでカバーしきれない領域(経営戦略としてのハラスメント対策支援や育休前後のアドバイザリー業務等)にも取り組むようになりました。

盛岡市や岩手県立大学とのタッグでの事業等も、ラボとして現在プロジェクト進行中ですが、子供達の未来に向け、オトナとして果たす責任やミッションはまだまだ沢山。これからも多くの方と、目指すゴールに向け、手を取り合っていきたいですね。

後は個人的に、少し経済面も落ち着かせたいですね。カネの事ばっかり考えるのは大っ嫌いですけど(笑)、でも現実問題として娘達が「犬」を飼いたがっていますし、僕もストラトキャスターを大改修したい(笑)。

でもその実現のためには、住まいの問題や餌代など、色々解決しなきゃいけませんし。そこら辺は、まだまだ課題かな。

⇒次回へ続く

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