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『夏休みの自由研究で王貞治物語を書いた話』

昨日、朝通勤をしていると、小学生の集団登校を目撃する。

夏休み明けなのか、皆荷物が多かった。

真っ黒に日焼けしたその姿は、今も昔も変わらないなぁと感慨深い気持ちになっていた。

しかし2点ほど疑問が湧いてきた。
あれ??まだ8月だけれど、もう学校始まるの??
自分が小学生の時は9月1日からが相場だった気がする。

ちょっと早くない??

夏休みイコール8月31日までのイメージである。
8月31日に友達の家に「宿題全然やってない!やべぇえ!!」って電話して、皆で集まって宿題写し合うのが良いのでは無いか。

もう一つは、皆アサガオを持っていない事だ。
私の頃は夏休み前から学校で育てて、夏休み中は家庭で育て(親が枯らさないように必死になっていた記憶が蘇る)、夏休み明けに学校へ持って行った記憶がある。

そんな昨今のアサガオの行方を考えながら通勤していると、自分が小学校の頃に提出した自由研究の内容を思い出してきた。

ダンボールで変形する貯金箱を作ったり、毎日雲の写真を撮って、ノートに貼りその雲を食べ物やら動物とかに見えるように線を引いただけの、今考えるとちょっとオシャレな写真集を作成したりしていた。

そんな中でも、自信作があった。
それは『王貞治物語』である。

私は関西に住んでいた事もあり、根っからの阪神タイガースファンであった。
しかし、王貞治だけは別格であった。

何故好きになったかと言うと、私が小学生当時は、福岡ダイエーホークスの監督であった為、現役選手時代の活躍は生で見る事は無かったが、バッティングフォームをコマ送りで写真に撮ったポスターが家にあったのである。

何故家にあったのかは分からない。

父が読んでいた野球雑誌の付録にでも付いていた物だろうか。

王貞治の代名詞でもある「一本足打法」のコマ送りの写真を見て、小学生ながらなんて美しいバッティングフォームなんだ!!と感動した記憶がある。

また小学生の私は世界の偉人の伝記本が好きであった。エジソン、ファーブルといった歴史のスター達の生涯をまとめていた本であった。

そんな事もあり、王貞治の歴史を自分でまとめようと思ったのである。

まず初めに取り掛かったのが、現役時代の成績を一覧にした。
その後、畳の上で真剣を使い素振りをするといった伝説的エピソードを知っていたので、書いていった。

雑誌や新聞の切り抜きを貼っていくなど、かなり凝って作った記憶がある。

その超大作を夏休み明け、学校へ持って行った。
生徒達の反応はイマイチであったが、年配の先生達には異常に高評価だった事を覚えている。

王貞治が現役時代の世代に、その自由研究がドンピシャだったのかと今になって分かる。

今の小学生が、自由研究で1990年代に阪神タイガースで活躍した代打の神様『八木裕物語』を作ってきたらテンション上がる。

そういう事だったのだろう。

今も恐らく実家に帰ったら、何処かにあると思われる『王貞治物語』
私が自由研究の後から追記していない間にも、どんどん伝説は増えている。

私の中で、皆んなの中で『王貞治物語』はまだまだ続いていく。

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