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夜の舞台で死者どもが

正月に親友と集まり、真夜中にひっそりと相撲を取るのが僕たちの恒例行事だった。
飲酒後のほろ酔い状態で闘うので、もうなにがなんだか分からない。不気味な動きの男たちが、ただぶつかり合っているだけの奇妙な相撲は、異様な光景だったと思う。
その奇妙な相撲は、正月に帰省する親友に合わせて行われていた。幼馴染の三人で居酒屋に集まり、適当に飲み終えると、近所の神社に移動する。
神社に到着すると、必ず祭りの話題になり、同級生の誰々を見かけたであるとか、地元のちょっとした話で盛り上がった。話題がつきると自然と土俵に上り、相撲がはじまる。
神社には祭りの時に開催される、こども相撲用の小さな土俵があった。酒で感覚が狂っているアホな男たちが、土俵に反応しないわけがない。それだけのことがきっかけで、正月の相撲が恒例となる。
居酒屋からの神社、地元の小話、そして真夜中の相撲。この流れはすぐに定着。三人で示し合わせたわけではないが、その日だけは相撲のために、アウターの中を薄着にしていた。相撲を終えると、僕たちは高揚感にまみれ、満足気に解散した。
なんでこんなことをしているのだろう。と、毎年疑問に思うのだが、無意識にカタルシスを求めていたのかもしれない。
翌朝目覚めると、必ずどこかが腫れており、あざができていた。とはいえ、僕たちの相撲はそれほど激しいものではない。こんなくだらないことで怪我をするのも情けないので、酔った状態とはいえ、三人ともある程度は制御していた。 しかし、親友のひとりが、前歯の1本を欠損させた年があった。
翌年の集まりでは、その話題で盛り上がる。
前歯の欠損は相撲が原因ではなく、帰宅直前に転倒したことによる事故であった。親友は起伏のない平坦な地面でつまずき、顔面を強打した。顔中を血まみれにして、前歯を一本失った状態で帰宅した親友は、奥さんにこっ酷く叱られた。
「今年から相撲はなしやな」
そう言って僕が笑うと、二人は思い詰めたような深刻な表情で、グラスを見つめた。グラスの中の氷が溶けて、音を立てて崩れる。
「この伝統をなくしてもええんかな……」
親友が、ぼそっと呟いた。
なにを言っているのか分からなかった。
真夜中にほろ酔いの三人が不気味にぶつかり合っているだけの相撲なんて、 なくなってもいい。伝統なんて厳かなものではなく、悪ノリではじめた相撲だ。大怪我をする前に止めるべきだ。相撲に原因がなかったとしても、自滅して血だらけで帰宅するなんてあってはならない。なぜ一旦立ち止まって家族の気持ちを考えられないのか。衝動だけで流されるような年齢ではないのだ。
気がつくと僕たちは、土俵にいた。
今年もほろ酔いの状態で不気味な相撲がはじまる!
空回りした無数のエナジーが夜空に舞い、熱気とともにゆらめいた。対戦前に土俵にひざまずく、胸に手を添えて瞑想するなど、三人がそれぞれのルーティンで精神を統一。この一年で向上した土俵入りのパフォーマンスが、決闘への期待感をみなぎらせた。
闘志は三者三様に爆発していたが、取り組みはいつも通りだ。捉えようによってはコンテンポラリー・ダンスに見えなくもないが、体力が持続せず、すぐに悲鳴をあげた。
例年通り、自己陶酔による高揚感にまみれ、再会を約束し、僕たちは解散。
翌朝、やはりそこらにあざができていた。昨年、前歯の一本を失った親友は、財布を紛失していた。僅かな現金を失っただけで大きな損害にはならなかったが、財布自体の紛失にかなりのショックを受けていた。レザークラフトのカルチャー教室で製作した、お気に入りの財布だったのだ。裁縫ミスで小銭入れのファスナーが半分以上開かなかったが、「逆に取りやすい」と強がっていたのをふと思い出した。
二年連続の失態に奥さんから叱られたことは想像に難くないが、今後の集まりに影響が出るほどの圧力がかけられる。
真夜中の相撲から数日後、親友から一通のメールが届いた。
「体力の限界……気力もなくなり、引退することになりました」
偉大な横綱を彷彿とさせる文面に、退き際の美しさと、滲み出る無念を感じた。
僕たちの恒例行事であった真夜中の相撲は、親友の失態をきっかけに、千秋楽を迎えるのだ。

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