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フラれた後の呪い

いや~、今日はずいぶん暖かだった。
そろそろコタツを仕舞わねばならん。

こんな季節、どこに行ったって、
色んな所に新しい風、若い力を感じる。
エネルギーを分けていただいて、
元気いっぱい、やる気いっぱい、
良い形で年齢を重ねて参りたいものだ。

…そんな風情を感じながら、今日の私は
花粉症の薬をキメる程度しかしていない。

猛烈にやる気がでねぇのである。
踏ん張りが効かない感じがする。

我々はかったるい所ををグッと踏ん張り、
家事やら仕事やらに立ち向かう訳であるが、
このところ、足場が崩れてすっ転んじまうのである。

ぶっちゃけてしまうと、先日フラれた時の一件が
私を呪いのように悩ませてきやがるのが原因だ。

簡単にまとめると、1年半好きだった子に
宗教と、信仰による常識の違いを理由にフラれ、
また教義に基づいて、以降は絶縁、という
なんともオーバーキル気味の顛末である。
(ご興味あれば下記のnoteに。クソ長くて御免なさい。)

私に新たな学びと視点を授けてくれた、
大変尊い経験の一つであると考えて、
ポジティブに捉えることができているし、
叶わなかったこと自体も納得し、割り切れている。

が、しかし、あれからというもの、
「俺の中の常が全部ぶっ壊れちまった」のである。

視点が広がりすぎてしまったのだ。

これまで正しいと思っていた全てが、
突然全て疑わしく見える。
自分はおろか、目の前に映るすべてが疑わしい。
次々湧いて出てくる、様々な視点が無視できない。

間違っていると思っていたことの全てに、
何らかの真理が隠れている気がしてしまい、
無視できない。

これまで自分には関係ないと思っていた全てが、
急にすべて関係のあることのような気がして、
無視できない。

適当に流していた情報が、あれ以降とてつもない質量を持って、
脳味噌をぶん殴ってくるようになった。

急にそんな二週間を過ごしたもんだから、
おっさんのちっさい脳味噌は
見事にオーバーヒートを起こした。
今全然やる気でない。

私は現代社会において、私に認識できる現象と、
実際起こり得る確度の高いことについて考え、
それを信じ、大切に生きてきた。

この社会で生き、渡り歩いていくために、
この考えを崩せる訳でも、崩すつもりもない。

ただ、彼女の全く違う常識が流れ込み、
思考が急激に枝分かれして、
どこに集中したらよいのか収拾がつかなくなった。

こんな具合に、違う意見や立場について、
肯定する側から考える、という視点を持ったら、
見えていた世の中が派手に飛び散ってしまった。

私はこの状態でもう一度、
自分が信じられる常識を再構築しないとならない。

とてもじゃないが、私のような凡夫に
この世の思考の全てを考え尽くせるはずがない。
そもそも自分のことすら良くわかってない。

未だかつてないほどの難易度である…。
しかし私という個を、ワンランク上に
成長させるための試練だとも言えよう。

納得のいく持論を見つけ出すには、きっと
長いことかかりそうである。

オーバヒートしないよう、計画的な自己問答を
実施して参りたいところだ。

総じて、私が今まで
「いかに常識に守られていたか」
ということを、大変に強く感じた次第である。


ということで、
今日は毛程もやる気が出ませんでしたが、
仕方がありませんね。
明日以降の私はきっと頑張るでしょう。(免罪符)


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