見出し画像

好きなあの子はキリスト教系異端

29歳春、シンプルに振られた。

理由は明白、私に魅力がなかったからだ。
それだけならよかった。

なのになんでか知らないが、
所謂キリスト教系異端とされる宗教、
もとい宗教そのものについて、
足りない頭で考える羽目になった。

私の中には大きなしこりが残ったのだった。

今まで誰よりも本気になった人がいる。
貰った2度目の告白の返事は、
信仰を理由にした、実質的な絶縁であった。

寂しいが、仕方ないと思う私がいる。
まだ何か、できることがあったのだろうか?
そうも思うが、今の私には皆目見当もつかない。

お互い嫌いではない。
でも、2度と会うことはない。
というより、できない。

時は私が27歳、1年半前のことである。

私はチャランポランであった。
恥しかない人生を送っている。

やることなすこと全部失敗した。
私の卑屈な性格は、人には好かれない。

学校のコネで入った最初の会社は、
しんどくなって3年で辞めてしまった。

実家に戻った私は小さな工場に転職して、
よくわからんネジを作る仕事をしていた。
稼ぎの乏しい、実家暮らしの、何も考えてない、
所謂「子供部屋おじさん」であった。

アラサーに足を突っ込んだ私は、焦っていた。
金もない、何の自信もない。
頭も顔も、運動神経もセンスも悪い。
本当に何もない。俺なんて無意味だ。やばい。

…だが犬はある。
悩んだら、毎日実家で飼ってる犬の後頭部を肺いっぱい吸い込み、
視界をボヤけさせ、よくわからんネジ作って、寝る。
しょうがないと、思っていた。

必然的に、といえば多分そうだが、
そんな私は女性とお付き合いをしたことがない。

この圧倒的なまでの不出来さは、
周りがツツくにちょうどいい塩梅である。

社会から見て、ロンリーな私は妖精といわれ、
実家で犬を吸う寄生虫と言われる。
一応最低限義務は果たして生きているのに、
どんどん肩身が狭くなる。

焦り。圧倒的な焦り。
こんな私でも誰か、この世の誰か奇特な人が、
好きになってくれるかもしれない、
否定されるべき私も、肯定されるかもしれない。

こうして私は外にファンタジーと肯定を求めた。
流行のマッチングアプリに、迷わずなけなしの諭吉をブチ込んだ。

だが、勿論私には何もない。
勿論私は顔も悪い。盛れている写真など一つもない。
当然何も起こりはしない。半ば無理だろうと思っていたら、
彼女だけとマッチングした。しかも向こうから来た。

見た目で判断しない人がいるもんだな、と感心した。

奇跡的に会うことになった。
絶対サクラが来ると思ったら、
ショートヘアの似合う、とてもきれいな人が来た。

話も合うし、趣味も性格も似ている。
女性に疎い私は大いにテンパった。
私の振る舞いは全体的にお粗末であった。
でも、彼女は拒絶しなかった。
不思議と続いて、4回目のデートまで行った。

ネットにセオリーは4回目だとあったので、
テンパりながら告白した。
手を握ってくれた。
頭の血管切れるかと思った。
保留だった。

それからというもの、心配で常に発狂していた。
なんで手を握ってくれたんだろう?と、
男子中学生のように毎晩考えた。
これが拗らせおじさんの末路である。

あまりにもずっと考えてしまう。
少しでも気を紛らわせたいと思い、
毎夜毎晩狂ったようにジムに通ったら
上腕が40センチになった。
職場で筋肉バカと呼ばれるようになった。

3か月間の保留を経て、季節は春になった。
28歳になっちゃった。

やっとコロナが落ち着いてきたので、
お花見に誘ったら、来てくれた。
1時間遅刻してきた。
最高に楽しかった。

その後、シンプルに振られた。
やっぱりお友達とのことだ。

号泣して帰った。
これが拗らせおじさんの末路である。

あまりにもキツくて、一度連絡をやめた。
振られてるし、どうせ男がいる、
でもなんだかずっと気になってしまって、
迷惑承知でメッセージをまた送るようになった。

絶対1日1通。
ひんやりとした温度感の文が返ってくる。

会うこともないし、可能性もほぼない。
でも、必ず返してくれた。
嫌じゃないよ、と言ってくれた。

それにしても凄くムラのある性格をしてる。
遅刻すごいし。
私、直感が鋭いタイプだ。

この人は、隠し事をしているなと思った。
なんかありそうとは思ってた。
でもどうやら、絶対嘘はつかない。
信頼しようと思った。

動画サイトで取りつかれたように
「告白 2回目」で検索して動画をあさる毎日も板についた。

無駄な知識が沢山ついたが、一個も使わなかったし、
そもそも機会もなかった。気は紛れた。

頑張ったら見直してくれるかもしれない、
漠然とそんなふうに思うようになって、
どうしても諦められなくて、
とりあえず、自分磨きに奔走することにした。

金はないし、正直職場も仕事も好きじゃない。
お金はなんだかんだで大事だ。
また、転職することにした。

成績はからっきしだったが、一応工業系の学校を出ていたので、
ちょっとだけ設計をやってみたいと、ずっと思っていた。

どうせできないと思っていた。アホだし。
でも彼女が見直してくれるかもと思うと、
なんだか面接で饒舌になっている私がいた。

そしたらなんか、設計職になっていた。
一人暮らしできるぐらいの稼ぎになった。

実家を出た。
犬と離れるのがあまりにも寂しくて、
おじさんは大いに泣いた。
犬、すまない、俺は成すべきがある。
最低月1、お土産持って帰るから…。

体も変わらず鍛えた。
減量もして、体重も15キロぐらい絞った。
引き締まった、ブサイクになった。

家がちょっぴり彼女の家と近くなった。
会えるかもしれないなぁと思ったりもした。
もちろん思っただけである。

料理を練習した。普通にハマった。
なぜか包丁を研げるようになった。

月2で床屋に通うようにした。
床屋のおっちゃんと兄ちゃんが、
引越し先のことを色々教えてくれる。

服装も彼女が好きなキレイめに変えた。
勿論私の好みの無骨さは捨てず、取り入れる。

見た目も、心も、環境も、
気づくと前よか断然よくなった。
私には私を変える可能性が、一応あった。時間さえかければ、
僅かながらも、私は良くなれるようだ。

彼女はそれに気付かせてくれた。
彼女は私を変えてくれた。
もう存在してくれるだけでよかった。
彼女がどう思っていたって構わない。

29歳になった。
振られて1年が経った頃、満を持して
もう一回チャンスをくれとお願いした。

私は終始本気のつもりだったが、
ここで彼女はようやく私を本気とみて
やっと内緒の複雑な過去を語ってくれた。
やはり直感は正しいぞ。

彼女は宗教二世の家庭で生まれ育った。
非常に複雑な家庭環境、心理状態の中で人生を過ごした。

母が宗教を信仰している。父は無宗教だ。
きょうだい共々母に連れられ、ずっと集会に参加していた。

これを人に話すのは、友達の多い彼女にあって
滅法少なく、私で3人目だということだ。
向こうもそれなりに、信頼してくれていた。
やっぱり、頑張りたいと思った。

彼女の話をただ聞いた。
私の知識として聞いていた家庭があった。
彼女の父は、宗教に家族を奪われたと思った。
母は自分の正しさを、大事な人たちに伝えたかった。

きっと、みんな、相当に悩んだのだろう。
月並みな表現しかできないが、
私の頭ではとても考えつかないぐらい、
本当に本当に、想像を絶するような。

心理的に相当に追い詰められた時期もあったようだ。

無茶苦茶になった家族を見て、寂しさを募らせた彼女は、
それを埋め合わせようと、外に無償の解決を求めた。
チャランポランの俺がそうしたように。

そうして、その宗教における重い違反を犯した。
排斥処分となった彼女は、何もかもを、失った。

さらに荒れた。死のうともした。
何度もアプリに、人のぬくもりを求めた。

それからちょっと落ち着いてきたころ、私が引っ掛かったらしい。

好きな子のこういう話は大変メンタルの修行になった。
私にそういう性癖がなかったのが、まこと残念である。

前回お断りいただいたとき、
私には「一番大事なもの」が欠けていたらしい。
今の私にも無いらしい。
何かは教えてくれはしなかったけど。

でも全力でそれを探すから、
少しでも可能性があるなら、待ってくれないかと言って、
半ば無理やり、また保留してもらった。
可能性が感じられるだけ、全然気分がいい。

今度は別に苦しくない。
あとはもうできる限り頑張って、どうにかする。
本当に、我ながら気持ち悪い片思いである。

そんな私のことを、ほんとめんどくせぇ奴だけど、
嫌じゃないよ、嬉しいよと言ってくれた。
本当にいつも思わせぶりが過ぎる。
ちなみにこの日もちゃんと遅刻してきた。

でも彼女は噓つくような人ではない。
可能性があるなら、俺にはたぶんできるんじゃないかと思えた。

毎日仕事頑張って、節約も頑張って、
少しでも賢く見えるように本を読んだ。
ないものの答えがあるかもしれないから、
哲学の本を読んだ。

一緒に誘えたらなと、お店を探して、
喫茶店に通うなどした。

おいしいチーズケーキを出す喫茶店を見つけた。
一緒に行きたいなと思って、誘った。
今度行きたいと言ってくれた。楽しみだったな。
まぁ、いけなかったけど。

チャンスを無駄にしたくない一心で連絡も増やした。
迷惑かもしれないが、電話もした。

あんまり響いてる感じはしない。
そもそも大変良く断られる。
飯に誘っても絶対遅刻してくる。
ほんとこれまで一回も時間通りに来たことない。

それでもいい、信じたいと思った。
彼女は本当に嘘をつくような人ではない。
俺の直感は鋭い。これは自信がある。

今更星の王子様を読んだ。
バラのような人だな、と思った。
狐っぽくもあった。

賢くなりたいと思った。
哲学の本を沢山読んだ。
気付いたら、自分に信念ができていた。

3月が終わる頃、珍しく彼女の方から
ご飯に行こうと誘われた。
嫌な予感がしたから、行きたくなかった。
私の直感がそう言っている。

彼女は5分前に来た。
嫌な予感がした。帰りたかった。


信仰の元に戻ることを決意した、と告白された。

噂によく聞いていた教義がでてきた。
会うことも、連絡をとることもできなくなるそうだ、
私が男だから。

私が彼女を追いかけて、本を読んで、悩んで考えて信念になったように、
彼女なりにこれ以上無いという程よく考え、辿り着いた結果らしい。

私は私の思う限り、信念の限り、できる限りの説得を試みた。
けれども彼女は同じぐらいに、強い信念を持っていた。

そうこなくっちゃ、そんな奴じゃないなら追いかけた意味がない。
だが男としては、何とか折れてほしい。

でも彼女には、深い信仰があった。
尊重せざるを得ない結果となった。

宗教に戻って辛いこともあるが、彼女の信じる神様が、
彼女にとっては絶対正しい。
疑うことはないし、神様のことが大好きだから。

追っかけて辛いこともあるが、私の信じた彼女は正しいし、
疑いたくない、大好きだから。

なんかもう納得せざるを得ない。
個人的な葛藤はあれど、尊重すべきと感じた。

しかし、私の性別がただ男であるが故に、
もう2度と会えず、連絡も取れないというのは納得できない。

私の中の常識とエゴが騒ぎ立てている。
神様、なんとケツの穴が小さくおありでしょうか。

しかもそれはまた彼女を傷つけるかもしれない。
彼女以外にも、色んな人を傷つけ得る。
そんな教義など、正しいとあってなるものか。

しかし、彼女にとっては違うのだ。
それが全てであり、
判断の基準の最たるところで、
この世界の真理なのである。

私がいくら哲学の本で勉強した「私の常識」の話をしたとて、
おとぎ話を聞くようなものなのだろうと感じた。

彼女もまた、そうであると語った。
そして彼女はなにより、この常識の差からくる
「分かり合えなさ」に耐えかねたんだよ、と言った。

ずっと小さな頃から正しいものなんだと親しんで、
自分の中で一番大切になったものを、
数えきれないほどたくさんの人から、
やめろ、間違っていると言われる。
口に出すことも憚られる。
アレルギーのように拒絶される。

もうさっさと元の世界に帰りたくなったと言った。
そりゃ向こうに行けば、みんなと共有できるものね。

私も宗教のことを抜きにして話す分には、
あれだけ分かり合えたつもりで、
楽しかったつもりでいたのに。

宗教の話を切り出された途端、彼女がまるで宇宙人であるかのような、
なにも響かない壁であるかのような感覚がした。

ここで私は彼女の苦しみの一端を、身をもって理解した。
そして納得をしてしまった。

そして、彼女が欲しかったものの答えは、
この価値観の違いを埋める程の何か、だった。

死ぬほど考えた。仕事が手につかない。
熱出して寝込むぐらい、飯食えないぐらい考えた。

みっともないが、最後にもう一度電話をかけた。
なりふり構わず話した。
私が私の一生を懸けて、その代わりになるものを探してやる。
私の一生に、その可能性を見いだせはしないだろうか。
あわよくば、一緒に探してはくれないだろうか。

ダメだった。
結局、私は私のいる方に引き込もうとしか、
最後まで考えることができなかった。

彼女の両親がそうであったように、
常識の違う二人が夫婦になっても、必ず壊れてしまうから。
子供たちが泣いてしまうから。

彼女はずっと、神様の連れて行ってくれる、
私達の死んだ先の世界を、見ていた。
私はずっと、私自身と、
目の前の彼女しか見えていなかった。

彼女は幸せな家庭に憧れていた。
死の先に、同じ信仰を持つ未来の旦那とずっと一緒に、
そこで大好きなものを支えながら暮らす。
そしてその世界が、見てみたいと。
それが彼女の夢だった。

私は、神様に負けた。
信仰に負けた。

私にはもう何もできない。
私にできるのは、信仰の果ての彼女の理想を、
友人として応援することだと、そう思わざるを得なかった。

それでもなんとか情に訴えたらば、
ファンタジー的展開にならんものかと、
齢三十にもなろうという男が、さんざ駄々を捏ねた。

それでも会えなくなるのは寂しいよと。
私と会えなくなって寂しいのは、彼女も一緒だと言ってくれた。

でも私の彼女の見る世界は、全て私と違うのだ。
私との世界にでは、常識も、先の世界も無いのだ。

そもそも私と違い、彼女は私に対して、それを超えたいと思う程の強烈な感情は、抱いていないのだろう。
いつも遅刻するし。

そしてシンプルに、フラれたのだった。

そんだけ決めたからには、もう2度と連絡をしてくれるな、と伝えた。
私からは、2度と連絡できないようにした。

こっそり一枚だけ写真を残した。
マスクで顔が隠れた写真しかなかったが、
ショートヘアがよく似合っている。

もし万が一に、ほとほと困ってどうしようもなくなったら、
いつでも、すぐ連絡してこいと伝えた。
雑用の場合は300円を徴収することにした。

最後に遅刻癖だけは良くねぇぞと、忠告して
虚勢を張りながら、向こうの世界に行くその背中を押した。

これが最後じゃない気がするんだ、とか、
なんか聞いたことあるようなセリフ言ってきた。

本当にどうしようもなく思わせぶりな奴であった。
期待せず、待つことにする。

もはや晴れやかな気持ちですらある。
だが、無限のくやしさとやるせなさが残った。


私は宗教を信じていない、信じられない。
わりかし良くなったのは、外の何かに助けを求めたからである。
こうして彼女に影響をもらったからである。

私は今ある立場で、私の目で見た彼女を神様のように大切に、
彼女らの言い方でいわば、「信仰」した。

このプロセスは同じで、
我々の構造はそんなに変わらないはずだと思うのだが。
似たようなことだろうと思っていた。
私と彼女の関係、私と犬の関係、いろんな関係。
本質的には人として、生き物として一緒でしょうに。

でも世は非情である。
私の知らない、認識できないことが無数にあって
これ以上どうしても許されないのだ。

しかもこれがどうにもはっきり知覚できてしまう。
これが宗教観の違いというやつだろうか。

宗教は歴史上、人と文化の発展に必要不可欠であったとされる。

実際そう思う。
彼女も含めて、本当に良い方ばかりだ。
人生の指針、導きとして素晴らしい概念だと理解できることもある。
哲学の本も、よく宗教について考えていた。
私の立場からしても、人生を生きる上で非常に有意義で興味深かった。
そんな教えがたくさんあった。
宗教の方が、実は正しいのかもしれない。

とんでもなく勉強したら、もっと経験して近寄れば、
どうにか分かり合えるかもしれない。
こんな考えや、常識の違いはカバーできるのかもしれない。

でも「信仰による常識の差」は、私を弾いた。
彼女との間に、絶縁以前に、
絶対に埋まらないとも見える壁が見えてしまった。

でも嫌いになれるわけがない。
本当に優しくて、とてもいいやつだった。
彼女も私を良いやつと評してくれた。

宗教と無宗教は、本質的に分かり合えないのか?

彼女の宗教についても考えよう。
キリスト教系異端、ある時は新興宗教と呼ばれるものだ。

彼女が私に隠してきたように、周りから聞いたように、
口にするだけで忌避される、
そういう宗教だという認識が、呪いのように存在している。

実際、人に迷惑をかける。
我々からして明らかに危険だったり、
実害を感じた者からは、弾圧されて然るべき、
是正されて然るべきことだ。

個人的にいわば、おかしい。
そりゃ悔しい。ムカつく。

しかし、私が何も信じぬ立場をとる以上、
その正誤を認識することも、信じることも、
疑うこともできない。
それはあまりにも烏滸がましいことではないか。

彼女の言うように、属して信じなければ本当の意味では理解できない。
どれだけ宗教について私が学んだとて、相互理解を深めようと努めたとて、無宗教である以上、結局は真理から外れた外側の人間である。

故に、彼女は誰にも極力迷惑をかけないように、
でも自分の目標を成せるように、我々を巻き込まないように、
彼女らの世界に閉じこもるという選択肢を、敢えて取ったのではないか。

たくさん、それはもうたくさんの時間考えて、
思慮深い、感受性の豊かな、優しい彼女のことだから、
よーく噛み砕いて考え、出した答えなのだろう。

彼女はしきりに言っていた。
人が大好きで、みんなに好かれるのが夢だと。

私は、彼女にはきっとそれができると信じたい。
勿論それは属する彼らだけでなく、私達、私とも。

私は今、宗教を厚く信じる方々と、真の意味で、
分かり合えるのだろうかと、自信が持てなくなってしまっている。
まるで彼女のそれが伝播してしまったかのように。

でも避けて通るのが正解だとも、言いたくない。

何の先入観もなく、フラットな、
ただ精神性や人間性によってのみ評価される関係値がいいよねと思う。

でもこれだって私の「科学や哲学を信仰している」立場に傾倒した意見だ。
何の尊重もない。

いよいよ全くわからない。
もうこんな概念なくなってしまえばいいのにと、
純粋に思ってしまう自分がいる。
このままでは、宗教に対してアレルギーを起こす人間になってしまう。

だからこそ、宗教を、信仰する人を、改めて知りたいと思った。

正しく理解しなければいけないと思う。
これから、勉強して、経験して、判断する。

私の人生は、30手前でやっと次のフェーズだ。
自分以外の、外を知るのだ。
たくさん、たくさん考えることにする。
私は、決して何もできないわけでは無い。

異なる宗教(常識)をもつ人間同士は、真に理解し合えると思いますか
一方がどこか譲歩する形でなければ、成立しないものでしょうか

某宗教、その他のカルト宗教の肩を持ちたい訳でも、
論破したい訳でもない。

でも何が正しく、何が誤りなのでしょう?
何をもって正しいとし、誤りだとしているのか、
その絶対的な基準とは何なんでしょう?

非難されるべきことが起こっているのも、
是正されるべきも賛成だ。
正直言って全部胡散臭い。
でも「信じるものは救われる」と言われてしまえば何も反論できない。
信じる当人たちにとって、それは本当の常識だ。

溝は感じる。
でも彼女は依然としていいやつだ。
信仰する奴はイかれてるとか、悪人だというわけではない。

まずは、そこを非難するべきではない。
そう思うのだ。
本当に素敵なものが、見えなくなってしまう。
あまりにも短絡的な視点が蔓延している。

我々は、彼女らの視点から、もっともっとお互いを考えて、
見てあげなくてはいけないのかもしれない。
逆もまた然りではあるが。
彼らが救われるかどうか、私にはわからない。
知る由もない。

あまりにも悪意に満ちたもの、
野放しにはあまりに大きな影響があるもの、
大事なものを、ないがしろにしてしまうもの、
そんな概念について、もちろんあっていいはずも、
許されるはずもない。

そうなったら、何かしらの介入が必要だ。
これも、仕方ないことである。
そして物理的に強い方が、勝って残る。
昔はそうだった。

でもそうでない限り、
この世が公正で平和的な解決を模索する限り、
彼らの問題点は、彼らの信仰の先に、自浄されるを期待する他、
無いような気がする。

自浄という表現は適切でないかもしれない。
工業の男としては改善と言いたいところだが、
善悪という言葉は使いたくない。

私がこの影響の当事者でないから言えることかもしれない。
彼女が好きで、信じたいから調子のよいことをいうのかもしれない。

でも、ただ分かり合えないと一蹴したくだけはしたくない。
分かり合えるかもしれないという可能性を感じたい。
彼女らの、より良くしようという力を信じたい。

全てを通して、私はより腹の底から、宗教や信仰が
すごく異質で怖いものに感じられるようになってしまった。
しかし私はいまだに彼女が大好きだ。未練の塊だ。
私は足りなかった何かを、どこまでも探す努力をしてやろうと思う。
足りなかった何かを見つさえすれば、
すんなり分かり合えるのかもしれない。

彼女らは、毎週毎晩、必死に聖書の勉強と研究をするそうだ。
私らに目もくれず、勉強して、理解を深める努力をするのだそうだ。

彼女やその次の世代が、敬虔な努力と信仰の先、
何かよりよい共存の方針を見つけ、
みんなに好かれる素敵な形に浄化することを願ってやまない。

私の信じた良識と、己で考える頭があるんなら、
きっと良い方へと導いてくれるだろう。



今、本当に苦しんでいる方、苦しんだ方々にとって、
私の意見はとてつもなく無責任なものです。
とても解決策なんて見出せません。
私も足りない脳で繰り返し考えましたが、
今の自分からして、答えはあまりにも遠いところにあります。

だから、私は絶えずこれからも考えます。
沢山考えます。

だってチーズケーキ、食べたいじゃないですか。

この記事が参加している募集

多様性を考える

この経験に学べ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?