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僕は貯金が苦手です。もっというと、未来のための積み立てが苦手です。

僕、貯金が苦手なんですよ。

貯金が苦手は引け目がある

昔からそうで、未来のために堅実にお金を貯めることができないんです。これ、けっこう引け目です。貯金がちゃんとできない人って、ダメな人感あるじゃないですか。ちゃんと貯金ができないと、前科持ちみたいな気持ちになる(笑)じゃあなんでできないのか、に向き合ってみます。

前提として、ADHDの人って貯金が苦手らしいんですよ。衝動的に使っちゃうから。でも、これは表層的な話で、もっと根深い価値観とは別の話だと思うので、今回はこの話はおいておきます。

今、目の前のありったけがほしくて。

僕は目の前の可能性を最大限に燃やしたいっていう大きな欲望みたいなものがあるんですよね。

例えば音楽が昔からすごく好きなので、同じ5分同じ曲を聴くならできる限り、理想の音で聴きたいと思う。だからそれに対する投資はいとわないと思います。

僕はそこそこ多趣味で、どれに対してもそこそこ極めたいと思う気質なのでタチが悪くて。狭く深くならまだしも、広く深く行きたい欲張りタイプなんですよ。なんだろな、書いてて恥ずかしいな(笑)

そのせいでけっこうお金使っちゃうんですよね。んで、趣味への投資を重視するので、飲み会はあまり行かなくて、夜のお店は行ったことないです。

即物的なもの

これ、お金だけじゃなくて仕事とか貢献でも同じ考えが出てきちゃうんです。こいつがけっこう厄介で。すぐに人の役に立ちたいし、貢献したい。喜んでもらいたい。善いことがしたい。

でも、そういうことって簡単にはできない。こつこつと小さなことを積み上げて、やっと成せるかもしれないし、その小さな積み重ねこそが、ある時振り返ってみると大きなことになっているかもしれない。

なのに即物的なものを求めるから、常に大したことができていない気がするし、常に乾いている。常に今目の前のことの意味を過小評価している。あんま意味ないんじゃないかな、自分なんて。とか考えてみたりする。

だから、未来のために今こつこつと真剣に何かをすることは、意味があるんだって心の底から信じたい。そしたらもっと自分は救われると思うし、周りの人だって今より幸せにできる気がする。

いつ死ぬかわからない

そんなとき、トレードオフのようによせてくる気持ち。「いつ死ぬかわからない」って気持ち。僕は昔から「自分が今死んでもおかしくない。明日死んでもおかしくない」ってどうしてかずっと思っています。

未来のためにこつこつと、を思ったとき、今目の前を全開にしたい自分が出てきてぶつかります。「未来のために今していることと、今全力でしていること」が重なれば楽なのに、それは少し違っている気がします。

あえてそんな自分に「really?」を問いかけると、仮に未来のためにこつこつで明日死んだとして、本当に自分は後悔するのか。という問いです。

結局のところ僕は「一つ一つちゃんと納得したい」が一番大事な気がします。それが一番意味があることかっていうより、一番納得しているか。そう考えると、未来のためにこつこつも、嬉々とできる気が、今少しだけ希望を感じました。

なんのための貯金?だれのための貯金

ここで貯金に戻ります。僕が貯金ができないこと。それは多分なんのために貯金をするかに「納得」をしていないからだと気づきました。

昔から大事にしている考え方があります。だれかのためになる機会を無駄にしたくない。という想いです。

自分に心の余裕がないと人のためになれないから余裕をつくる工夫をする。

これ、お金でもやってみたいな、と。人と会うにしても、会いに行くにしても、お金が必要になるシーンって多いです。会いたいときに人と会えるように、会いたいって思ってくれたときに会えるように、貯金をする。これ、めちゃくちゃ自分にとって納得感があります。

目の前の豊かさに対する投資はそろそろゆるやかにして、貯金をしてみようと思った社会人3年目の年末でした。

お金だけじゃなくて、仕事に対しても、いつか貢献できるように、信頼をこつこつ集めようって思います。

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