空白の半年間で、激怒。マイナスから始まった息子の進路探し。
せき@闘病中の放送作家です。今回も、空白の半年間について書きますので、お付き合いください。
きょうは『①』について。
見出しのとおり、僕は怒っています。
息子も、怒っています。
卒業式など出たくないと、欠席したほどです。
一体、なにが起きたのか?
話は、昨年4月に遡ります。19時ころ、家で仕事をしていた僕に、息子から電話がかかってきました。
とても弱々しい声でした。
「体が動かせない」「目覚めたら、周りに誰もいない」
もともとメンタルヘルスに問題があり、意識を失うこともあった息子。しかし、ここまでの発作は半年ぶりでした。
この日は、野球部の試合で他県に遠征。現地解散で全員がいなくなったあと、球場のある公園内で気を失ってしまったといいます。
原因は試合後のミーティング。監督からの言葉でした。
息子が受け取ったニュアンスはこう。
「みんなと一緒の方向を向けているか? 遅刻したり、休んだり、おまえの中では一生懸命なんだろうけど、そこは踏ん張らないと。病気なのは知っている。経緯は知らないけどな。おまえの球で練習に来ていたら試合で投げれるぞ、だから、踏ん張れ」
当時の息子は、病気の影響で野球部の練習にフル参加できていませんでした。スケジュールは前日の夜遅くまで知らされることなく、午前からなのか、午後からなのか、不規則。そんな日々に対応できなかったのです。
その分、体の調子が良い時間は、個人的にジムに通うなどして努力していたのですが……。
監督にしてみたら、叱咤激励のつもりだったのでしょう。言い方は考えてくれています。
しかし、息子にしてみたら、夏の大会よりも自分の体調。コーチとは徐々に慣れていく方向で話をしていたため、矛盾とストレスを感じてしまったのです。
なにより心をざわつかせたのは「経緯は知らない」との一言だったそうです。
コーチの方には飽きるほど伝えてきました。
監督に伝える機会を求めても、応じてくれませんでしたよね?
チーム内で共有できるよう、書面も送っていますけど?
……とか言っていても始まりません。
迎えに行くにも遠すぎる。
コーチに連絡するも、寮生の引率でバスの中。
監督の連絡先は知らされていない。
どうしたものか。
「タクシーは?」
「なんとか通りまで出たけど、車が走っていない」
「タクシー会社に電話したら配車してくれないかな」
結果、息子が帰宅したのは、24時前。
支払ったタクシー代は、2万円でした。
さて、問題はこのあとです。
無事に帰宅したことをコーチに報告しようとしたのですが、何度かけても電話に出ない。翌日も出ない。つながったのは、なんと翌々日です。
この問題意識の低さ。僕は切り出しました。
「今度という今度は、上の人と話させてほしいです」
実はそれまでも、何度かオファーはしていたんです。主治医に立ち会ってもらい、説明の機会を設けてきました。しかし、その場に監督・部長が出席したことはありませんでした。
「わかりました。話してみます」
ところが、それが実現したのは……、なんと1カ月後!
「部長が対応すると言っているのですが、長期出張中で」
「息子にとって最後の夏なので、早く話したいのですが」
「……」
「主治医も参加して下さるので、リモートでつなげませんか」
「あいにく、機械が苦手な方で」
その後も、なんだかんだと理由をつけては先延ばしにされました。
そして、遂に迎えたその日――。
結論から言うと、愕然としました。燃え盛る感情を抑え続けました。
「ミーティングが終わった時点で体調に変化を感じられたと思うのですが、安否確認はしてくれたんですか?」
「選手に確かめさせたと聞いています」
「それだと、なにかあったときに選手の責任になってしまいますよ」
「しかし、スタッフが『大丈夫か』と尋ねるのは控えるように伺っていますが」
確かに、そんなお願いはしたことがあります。
但しそれは、病気だからと事あるごとに「大丈夫か?」「無理するな」と言われると、逆にストレスになるという話です。本人が頑張れそうなら、見守ってほしいと。
解釈違いを伝えた上で、僕は続けました。
「今回、実際に危険な状態でしたよね。気を失っている間に盗難・暴行される可能性もありましたよね」
僕の言葉に対し、部長は断言しました。
「配慮はしました」
なるほど、配慮はしてくれたのでしょう。ただ、僕が問いたいのは「したかどうか」ではなく「適切だったかどうか」なのです。
心の傷は目に見えない分、理解を得にくいことはわかっています。それでも、だからこそ、言わずにはいられませんでした。
「では、配慮はしたので、危険な目に遭っても仕方ないと?」
「そうは言っていないでしょう!」
「少なくとも、僕はそう受け止めましたよ?」
熱くなりかけた僕に、主治医の先生が助け舟。
「今は障害者差別解消法という法律があって〝合理的配慮〟をもって社会的なバリアを外していくのが努力義務になっているんですよ」
しかし、話は平行線。僕は話題を変えました。
「息子は息子で頑張っています。病状も、皆さんの協力もあってよくなってきています。最後の夏に向けて、全体練習にどれだけ参加したかではなく、陰の努力も鑑みてもらってもいいですか?」
すると、予想外の返しが。
「メンバー入りは約束できないですよ。ほかの選手も頑張っていますから」
そんなこと、もちろんわかっていますよ……。
「では、このようなことが二度と起きないようにお願いしたいことがあります。ひとつは、遠征したときは大人に安否確認してもらうこと。あとは緊急時、誰かには連絡がつくようにしてほしいです」
すると、またも予想外な返しが。
「どんな時間でも電話に出ろということですか。私たちにも家族がいるので……」
即座に言い返しました。
「僕にも息子という家族がいて、こんな目に遭ったからお願いしています。それに、選手を預かっている責任がありますよね」
流石に向こうも黙りましたね。
僕はここで一番の心配事を確認することにしました。
「進路のこと、息子と話してくれていますか?」
「独立リーグを受けると聞いています」
「それはあくまで選択肢のひとつで、受け入れてくれる大学があるなら相談したいです。一緒に探してもらっていいですか?」
「わかりました! 夏の大会が終わったら全面的にやりますので」
リモートでの話し合いは終了。
謝罪の言葉がなかったのは残念でしたが、最後に約束を取り付けられたので、怒りは残りつつも「よし」としました。
そして夏の大会が終わり、いよいよ進路問題が本格化。
しかし、待てど暮らせど連絡が来ないんです。
そこで、息子が直談判に行ったわけです。すると、またまた予想外の返し。
「おまえを推薦したら、おれの信用に関わるよ」
息子は全く実績なし。メンタルに難があるのも事実。
それでも、野球が好きで諦められない選手に、その言葉はあんまりです。あの約束はなんだったのでしょう。僕は息子に合う環境がないか、情報がほしかっただけなのに。
聞くと、大学の体験練習会はどこも終わっているというではありませんか。誠意のない高校の対応に失望すると同時に、人任せにした自分の甘さを呪いました。
さあ、どうする? マイナスからの進路探し。
ここまで3000字超、長くなったので今回はここまで。
次回、僕と息子の〝逆襲〟が始まります。
チームの名誉のために、ひとつ。
事件が起きるまでの半年、病状が改善したのはコーチの方たちが話し合いに応じてくれて、病気について改めて選手たちへと周知してくれたことが大きいです。
動いてくれたことはもちろん、そもそも息子のような選手を入部させてくれたことには感謝しています。
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