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ハイラインの特集を読んで

なんか気付いた話

昨日、海外のランドスケープ関連の特集を読み漁っていたときに、ふと、都会のオアシス的なニュアンスでランドスケープが紹介されている例が多い気がして違和感を感じました。NYや東京都内の屋外の緑地空間は日常生活における箸休め的な役割で、消費される存在な気がします。でも、それに嫌な感じを覚えたのは山と建物が一体の景観を作っている京都盆地の景色に憧れを感じていたからだと思います。関西に住んで居た頃は見渡せば遠くに必ず山が見えました。山をよく見て育った人と、建物と人に囲まれて育った人とでは公園や緑地の捉え方は変わるんだろうなとも感じました。自然と聞くと自分は神秘的と思ったり、林間学校のときの夜の暗くて怖い森を想像しますが、一方で都内の緑地空間は皇居や神社など適切に管理がされ、安全が約束された場所しか存在せず、それらが「自然の代表例」でしょう。そうした対象地域による自然の影響力の違いは、ランドスケープという学問でも意識されるべきで、同じアプローチで扱ってはいけないなと自分は思いました。
とりあえず、なにか著書を読むときにはreal estateなのかnatureの話をしているのか分けて読もうという気付きを得ました。




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