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「今日のありがとう」がある生活

いくつもの講演で話すたび、ネットラジオを通して話すたび、いつも誰かの生活や今の時間が少しでもいいものになったらいいなと思い、「言葉」を伝えています。もちろん、少しだけ気持ちが穏やかになるだけでも。「日常に溢れるもの」を改めて言葉にしながら、誰かの生活をコーディネートしていく提案型のエッセイです。

少し更新が空いてしまいましたが
今日も一日お疲れ様でした、頑張りました、自分。
そんな風に思えるのも、その日に少しでもいいことがあったり、感謝することがあったり、ポジティブな時に思えたりします。
皆さんは、今日の自分にどんな言葉をかけてあげますか?

なぜ、今日の感謝なのか?

間もなく一児の母になる私は、だいぶお腹が大きくなりました。
胎動を感じる度に、生命の神秘さを感じ、自分の中で1つの生命が育まれていることの不思議と偉大さ、そして尊さを日々感じています。
毎日、体力や体調との勝負。お腹をさすりながら家事や仕事をする日々をいざ自分が過ごすと、世の中の「女性」の強さに本当に敬服します。

そんな日常でも特に大変なのが電車での移動。
朝晩の満員電車は、体調に関わらず誰もが辛いもの…
そんな状況でも、お腹が大きくなってから、席を譲ってもらえることが日々多くなってきました。
特に、10・20代前半の若い女性、若いサラリーマン、母親世代の女性の皆さんに席を譲っていただけます。
今日たまたま乗ったこの時間のこの電車で出逢っただけかもしれないけど、明日は会えないかもしれない優しくしてくれたあの方への感謝。
そんな日は、1日中その優しさに気持ちが助けられるのです。

譲ってもらった、その時間。

わたしは席を譲ってもらった後、その時間をどう過ごすか、少し戸惑ってしまいます。
通常ならスマホでニュースや記事を読む時間にすることが多いですが、わざわざ席を譲ってくれた方が満員の窮屈な中で立っている。
何も出来ない時間と引き換えに、席を譲ってくれる…わたしはスマホを触って過ごすのは失礼ではないかと思ったりします。
そして、次の駅、次の駅…と人がどんどん乗車していく中で長時間立ったままの時は本当に申し訳なくなり、早い段階で降車された時は負担が無くて良かったと心で安心しています。笑

とても心に残る出来事は、小学生の女の子が席を譲ってくれた時。
マスクをしながら言った「ありがとうございます」は、きっと目しか見えてなくて怖かったかもしれない。
ちゃんとマスクを取って目線を合わせて、笑顔で御礼を伝えれば良かったと今でも心残りです。

さいごに

日々の生活でこんなに席を譲ってもらうことは、なかなか無い。
たくさんの人に支えてもらって生活していると実感することも、なかなか無い。
お腹に命がある奇跡に併せて、今だから感じる人の優しさや出来事も、また貴重な体験なのだと改めて思いました。
人の気持ちが分かると自分もできることもあるけれど、どんなライフステージでも、あの日の小学生のように「どうぞ」って一言を…
素直に行動できる人でありたいと思うのでした。
いつも席を譲ってくださる皆さん、本当にありがとうございます。

※ 文中に出てくる企業・組織・番組名等は著者と関係ありません。
※ あくまで私見であり、個人的感想です。

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