見出し画像

吉田松陰がやったこと

幕末で今でも人気の方に吉田松陰がいます。吉田松陰が具体的に何をやった人なのか、どういう方なのか、ご存知でしょうか?

ちなみに、僕はほとんど詳しく知らなかったので、本を読んだり調べてみました。

▼ 20歳頃から5年程、諸国を遊学した

幕末とはいえ江戸時代当時ではそう簡単に他国(現在で言う他都道府県)に出てはいけないと定められていました。現在でも、外国に入出国するときはパスポートに入出国記録すると思いますが、当時は日本国内における各藩の出入りでさえ関所で記録していました。

吉田松陰は、生まれの長州藩(現在の中国地方の山口県)から、近いところの九州はもちろん、江戸(現在の東京)や東北など各地へ遊学していました。

現在でも、若い人が各国へ留学に行くのに似ていますね。

また、吉田松陰は、結局は捕まって失敗してしまいましたが、ペリーが乗ってきた黒船に乗り込み、密航しようともしました。

▼ 26歳から 2年4ヶ月、松下村塾を主宰

全国を遊学していた吉田松陰でしたが、許可なく脱藩したり(今で言うパスポートに判を押さずに勝手に密入国など)、何度か牢屋に投獄されています。

その後、仮釈放されて謹慎中の家で近所の人相手に講義を始めます。それが有名な松下村塾です。

元々は、吉田松陰の叔父の玉木文之進が松本村(現在の山口県萩市)の自宅で開いた八畳一間の私塾で、のちに吉田松陰が主宰として引き継ぎました。

改めて、当時の吉田松陰の年齢や、実際に松下村塾を主宰していた期間を考えると、あまりの若さや短さに驚きを隠せませんが、26歳から 2年4ヶ月、松下村塾を主宰しました。

▼ 29歳の時、安政の大獄で処刑される

その後、日本の政治状況に怒り、幕府の老中(政権中枢のお偉いさん)を暗殺しようとして捕まりました。そして、幕府に批判的な勢力を一掃・粛清するために井伊直弼がおこなった大弾圧である安政の大獄で処刑されました。

吉田松陰自体は、29歳という若さで亡くなっていますが、吉田松陰と共に松下村塾で学んだ人に、幕末〜明治時代の日本を創る久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋などそうそうたる方々がいます。

幕末〜明治時代の日本を主導した人材を多く輩出したとして、吉田松陰が明治日本の基礎をつくることに繋がったと言われています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?