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『あかり。』(第2部)#59 夢のあとさき・相米慎二監督の思い出譚

更新が少し遠ざかってしまった。
原因はなんとなく自分でわかっている。
そろそろ第四コーナーに差し掛かったからだ。
ここから先、ゴールはわかっている。エンディングもわかっている。
ハッピーエンドじゃない最後を書くのが辛いのだ。
だけど、誰に頼まれて始めたわけじゃないこのnote。
最後まで書き終えないわけにはいかない。

今はなぜか春を待つ端境期みたいで、夜中になると足元が冷えてたまらない。
時々、監督が出てくる夢をみる。
この前は、なぜか監督が、件の相米組・名助監督であった榎戸監督と祭りを仕切っていて、なぜかその前を自転車で通りがかる夢だった。

「あれ、なにしてるんですか?監督」
「お、いいから手伝えよ。大変なんだよ」
榎戸さんが汗だくで通行人を捌いていた。二人とも半被を着ている。なんだかすごく楽しそうだった。
「いやあ、これから犬と散歩なんですよ」
僕は自転車のカゴに愛犬を乗せていた。
「じゃあ、仕方ないか」
監督は、何故かにやけながら言った。
「すいません……」
僕は頭を下げて、下北沢小学校の前の道を通り抜けた。
そんな夢だった。
目が覚めて、枕元の水を飲み、また眠りに戻った。
もう夢は別の夢に変わっていた。


その頃、僕がよく依頼を受けたタイプのCMは、
「映画っぽい感じで……」
「映画みたいなトーンで……」
みたいな内容をよく注文されたものだ。
相米監督の下についている酔狂なCMディレクターという肩書きは人知れず業界に知られていたようだった。
僕もそれを隠してはいなかったし、むしろ誇りに思っていた。

しかし、そういう注文を受けるたびに、僕は少しずつ消耗していった。
注文されるのはあくまで広告の一環であるCMだ。
ネガティブな感情を描くのはご法度で、表面的なものが求められている。
それはそれで構わないのだが、自分が演出していてまったく監督のレベルに届かないのがもどかしかった。
監督の時と同じスタッフで組んでいると、いつも振る舞いを比較されているようで、自意識過剰になり苦しかった。

出来栄えを気に入られても、嬉しくもなく、むしろ虚しくて、居場所だと一瞬思った広告界はやがて居心地の悪いものになっていった。まあ、向いていなかったのだろうと思う。
それでも自分なりに足掻いてもみたが、例えば俳優事務所に重宝がられたりすると、金の無心をされているようで内心いじけていた。彼らはマスメディアに登場する機会と破格のギャラを出してくれるCMに興味があるわけで、僕が演出することに興味があるわけではないだろうと卑下していた。

しかし、それは誰に言うこともできず、自分の中の葛藤として日々澱のように溜まっていった。

また、翌年のポッキーのシリーズが始まると広尾のEプロダクションから連絡があった。春だった。
その年も、相米監督が引き受けるとのことだった。

僕はまた広尾に通うことになった。

打ち合わせが始まり、前年と同じキャストだった。そして、スタッフも同じメンバーを揃えてもらえることになった。

企画打ち合わせが始まり、僕は張り切ってコンテを描いた。キャストの出方がわかっているので、前年より当て書きに近いものにした。
なるべく、キャストが跳ねるように。なるべく監督の演出の幅があるように。
心がけていたのは、そのことだけで、クライアント受けがどうこうとはあまり考えずに描いていたように思う。

今、思えばプレゼンする広告代理店が、うまいこと通してくれていたのだと思う。
なんだかんだ、相米監督が撮るだけで免罪符みたいなものはあった。

しかし、裏で別のプロジェクトが動いていたことは知らなかった。
それを知ったのは、企画コンテのプレゼンが通って、少ししてからのことだ。

ある日、打ち合わせの前か後かに、Eプロダクションの別フロアに呼ばれた。
そこには映画やテレビを作る部署(別会社)のプロデューサーといつものCMプロデューサーと相米監督がいた……。少しだけいつもと違う雰囲気だったのはなぜなんだろう。


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