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『あかり。』#34 さよなら、チベット。そして四川・相米慎二監督の思い出譚

あっという間のチベット滞在が終わろうとしていた。
身体がようやく高地に慣れて、食べ物にも慣れて、町の地図が何となく頭に入ったのに。少し残念だった。


でもそれは、どんな旅でもきっと一緒だろう。
我々はもう自由な存在ではない。
旅をすること自体が、目的ではいられなくなっていたのだから。

チベットの印象は、いまだに記憶に刻まれている。
すごい国だった……。


もし、誰かが行く機会があるのなら、最低一週間くらいはラサにいるといいと思う。もちろん、許すならそれ以上だっていい。悠久の時間に身を委すことができる人なら。

チベットの素晴らしさ……多分それは、普遍性があるからだと思う。
変わらないものや大切にしているものの基準が、人々のDNAに染み付いている。

今風に言えば『リテラシーが共有されている国であり人々』なんだと思う。

だから、それは案外、相米慎二監督と相性がいいのじゃないかと思っている。
監督の持っている人としての器が、チベットと親和性があるとうか、何というか。

しかし、ここでキャメラを構え、映画を撮る、役者が芝居する、となると…一体どれほどの苦労が、困難があるのだろうか。ラサを離れる際には、それを考えるだけで身震いがした。

僕たちは荷物をまとめ、そしてまたオンボロバスに乗って空港へ向かった。次の目的地は、四川省の成都である。

四川省と聞いてどんなイメージがあるだろうか。

あまりに暑いから、辛い物を食べる、それだけ知っていた。僕には麻婆豆腐と火鍋くらいしかない。そんな拙い情報だけで向かった。

飛行機で数時間、四川省の空港に着くなり、ねっとりとした空気がいきなり肺に入ってきた。

ここの標高は500m、ラサから一気に下山したようなものだ。
さっきまで薄くて思い切り吸わないと入ってこなかった空気は、何だか重いものになっていた。
空気が重いとは変な表現だが、これは気分的な話ではなく、物理的な意味でだ。本当に重い。それと湿気。熱に浮かされたような暑さ。日本の梅雨時のひどい時みたいだ。いや、もっとひどい。
カラッとしたチベットとは、えらい違いで、これが妙に身体に堪えた。

相米監督は、高山病にはならなかったが、逆に低山病になってしまった。
宿に入ると「少し休むわ」とベッドに寝そべっていた。
ごく稀に、高地から降りると身体が順応できなくて、頭痛・吐き気・倦怠感…と高山病の症状の逆パターンが起きる人がいるらしい。これも薬はなく、慣れるしかないのだ。

それが何だかちょっとおかしくて、僕たちはニヤニヤしてしまった。
「相米さんも人の子ね」と、同行のNさんが笑った。
「うるせえよ」と、監督は言い「美味いもん、探しとけよな」と渋い顔をした。

四川・成都の街は、都会といえば都会だし、そうじゃないとも言える。
人口の多さという点では、ちょっと驚くくらいの人出である。街を人が埋め尽くしているのだ。

夜ともなると、もっとそうで、なんでも家にいると暑いから、外に出るらしい。ただ目的もなくぶらぶらしているだけの人が何と多いことか。人酔いしそうだった。

一晩寝ると「まだ頭が重い」と言いながらも、監督は起き上がり街を歩いた。
成都の表通りは先ほど書いたように人がすごい。
「本屋、のぞいてみますか」
「おう」
日本で言えば、新宿の紀伊国屋書店のような大型書店に入った。

この中がすごかった。ものすごい数の人が真剣な顔で立ち読みしているのだ。
その熱心さに圧倒される。優秀な人を多く輩出する国のことだけはある。

一階は、ほぼ英語の本で埋め尽くされている。それをまた若い人から、そうでない人まで立ち読みしている。
「なんかすごい迫力ですね」と言うと
「ああ。こいつら一つの方向に向くとすごいからな」と監督は渋い顔で言った。

一つの方向に向かう中国人か……。

その晩は、火鍋を食べた。
路地裏の空き地というのか、駐車場というのか、そこら、というのか。
火鍋を囲む人々が溢れていて活気がすごい。路地裏は、火鍋天国なのだ。
明らかに何組も使い回ししてるだろう、と突っ込みたくなる真っ赤な鍋がコークスの上に置かれる。グツグツとした湯気まで赤く感じる。

裸電球が唐辛子を怪しく照らす。注文は紙に書く。串カツ田中方式をイメージして欲しい。ただ、漢字がよくわからないくらい小さい。

僕は途中から面倒になって上から全部適当に印をつけて店員に渡した。
気前のいい客に、店主も店員も笑顔だった。

串に刺さった具材を鍋に突き立てるようにして煮込む。
グツグツ…グツグツ…しばし待つ。そして喰らう。旨い。辛い。ビールで追いかける。それを繰り返すと、もう汗が止まらない。喰らうのも止まらない。この安っぽい、庶民そのものの火鍋、相当なB級グルメであった。
それに、路地裏の怪しい店というのが、なんだか身体に馴染むのだ。


それにしてもあらゆる具材があった。牛・豚・鳥・蛙・兎・なんとか魚、その他漢字の読めない動物……その各部位が串に刺さっている。兎の耳まであった。

ゲテモノ好きの監督は禿げた頭に汗をダラダラ流しながら口に放り込んでいた。きっとこういう元気が出る食べ物のおかげで、低山病は吹き飛んだのだろう。

翌日、ちゃんとした店で火鍋を食べたのだけど、僕はこっちの路地裏の方が好きだった。

白と赤のスープではなく、ただ唐辛子やらなんやらで真っ赤の鍋。あらゆる具材でドロドロになった出汁。そこにスープをどぼどぼと継ぎ足しては、また具材を煮込み……夜な夜な続く火鍋のスパイラル。

ああ、これが成都の味なんだなあと、しみじみ感じた。舌の先が痺れて仕方なかったけど、それがチベットから生還できた…というリアリティを僕たちに与えてくれたのだ。



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