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ミュージカル「アルジャーノンに花束を」を観てきたんだな


ミュージカル「アルジャーノンに花束を」

を観て参りました。


オフィシャルサイトから


今までに日本でもドラマ化されたり、海外で映画化されているけれど、こんなにも舞台化されているのは知らなかった。
それもミュージカルに。ロンドンでもミュージカル化されているようだが、この舞台は日本オリジナル版のようだ。それにも驚いた。


今回の日本版ミュージカルでの最大の魅力は、やはり主人公の

浦井健治

さんの演技だろう。

ワタクシは、彼のことを全く知らない。


素晴らしい出演リストなのだけれど、なぜかワタクシの好みを全て外している。
(ワタクシの好みなどどうでも良いのだけれど。)

そして、本作に関して言えば、9年前の舞台で日本の演劇界における大きな賞を2つも受賞している。

素晴らしかった!


オフィシャルサイトから



6歳の知能しかない主人公・チャーリィの手術前と手術後、そしてどんどんと知能が高まる様子の演技分けは圧巻だった。

勿論、本作はミュージカルなので歌が上手いのは当たり前なのだが、

声の出し分け方は素晴らしかった。

ワタクシは、彼のチャーリィを観られたのは、本当に幸せだと思っている。

あと少し東京大阪で公演があるらしい。
多くの人に観てほしい。

東京:  
2023年4月27日(木)~5月7日(日)

大阪:
2023年5月13日(土)~5月14日(日)


原作の小説「アルジャーノンに花束を」は、

1959年に中編小説[注釈 1]として発表され、翌年ヒューゴー賞短編小説部門を受賞[1]。1966年に長編小説として改作され、ネビュラ賞を受賞した。

Wikipediaから



さすがに、発売当初は知らないが、何年か毎に「アルジャーノン」ブームのようなものが来ていて、ワタクシも遥か昔に読んだ記憶がある。

キイスは、社会問題となっている「いじめ」「虐待行為」などの「暴力と精神崩壊」の原因について考え、「知能」が人間に与えられた最高の資質の一つであるにもかかわらず、その知識を求める心が、愛情を求める心を排除してしまうことが多い点に気づき、「愛情を与えたり受け入れたりする能力がなければ、知能というものは精神的道徳的な崩壊をもたらし、神経症ないしは精神病すらひきおこす」こと、「自己中心的な目的でそれ自体に吸収されて、それ自体に関与するだけの心、人間関係の排除へと向かう心というものは、暴力と苦痛にしかつながらないということ」を作品のモチーフに据えた[7]。

Wikipediaから


まさに、ポイントはそこだろう

主人公のチャーリィは子供の頃からずっと愛情を求めているのだ。

最大なものは母の愛であり、
大きくなったらアリスからの愛
そして
友からの愛

しかし、彼は

天才になっても得られていない。



彼は様々な人に助けられている
。しかし、彼は高い知能を得るにつれ、その現実が見えなくなっている

得られている愛情は、
彼が欲しているものではない…。


そんな時、
先輩であるネズミのアルジャーノンに異変が起こる。

そして、
その異変は彼にも起こる…。

絶望
怒り


負の感情ばかり出てくると思いきや、
彼は本来の自分を取り戻す。

優しさを。


原作は

主人公・チャーリイ・ゴードン自身の視点による一人称で書かれており、主に「経過報告」として綴られる。

Wikipediaから


そして、最後に追伸として

「どーかついでがあったらうらにわのアルジャーノンのおはかに花束をそなえてやてください」
“P.S. please if you get a chanse put some flowrs on Algernons grave in the bak yard.”

と書かれている。

彼にはわかっていた。
僅かに残っている天才の時の記憶すらいずれは消えてしまうことを。そして、自分自身も。

それを最後に、報告書として教授たちに残している。誤字脱字しか書けない状態ですら。

コレを読んだ時、ワタクシの涙腺は決壊した。今もだ。

手術前の状態の優しい彼は知能が6歳ぐらいしかない。
母親からは愛されず、同僚からは下に見られている。
それでも、彼の周りには笑顔があった。
彼にも笑顔があった。
彼は愛情を得られたと感じた時はあったのだろうか?
あったと切に願うのだ。
こんなにも他人を思いやれる彼なのだから…。

今回の舞台はそんな原作で得た感想を充分に体感させてくれるものだった。

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