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視点の自由研究No.141「視点_質量を伴わない仕事」

先日、本の中古をネットで購入する機会がありました。中古本、しかもネットで購入。探していくと欲しかった本は1円の値になっていました。中古市場で流通の資本主義に沿えば、需要と供給で値段が決まるのは間違いありませんが、本という媒体としての価値を改めて考える機会にもなりました。
今回は、本から紐解き、情報を提供することで対価を得るタイプの仕事を考えてみようと思います。思いの外、映像制作も情報を売る商売なのかもしれない。

「対価」

労働を考えたときに、その対価はいかにして払われるか?は大切なことだと思います。飲食業なら当然食べ物を提供すること、建築なら建物を建てること、映像制作なら映像を納品すること。ほとんどの仕事では、何かしらの納品物を生み出すことで対価を得ています。
それぞれの仕事において、納品までにかかる費用を見積として計上するわけですが、その見積内には、納品物に関わる検証、資材調達、リサーチなど実は見積では書きづらい質量を伴わない労働というものが存在します。
例えば飲食業では、価格の大きな分岐点で食材がありますが、実はその食材を仕込んでいる時間など準備する仕事への対価というものを実は考えてみてもいいかもしれません。

映像制作では、スタッフが一堂に会する撮影などわかりやすく質量的なイベントがあり、また編集においても編集スタジオなどでの作業など所謂お金を払う価値がわかりやすい事象があります。
しかし、その源流まで遡るとアイデアを考えるという脳内の活動にまで戻ることになります。広告業はここに対価を求める仕事で、先人たちは自分たちが紡ぎ出すコピーという言葉や脳内のイメージを表象させるデザインで、こうした質量が伴わない仕事の価値を上げてきてくれました。

「情報に対価」

冒頭の本の話では、こうした情報を集積したメディアとして捉えることもできるなと考えています。情報商材は、完成形に至るまでの脳内作業というものに仕事としての対価があるとも言えます。
さてもう一度、映像制作に話を戻しましょう。映像制作においてクライアントとの打合せ、スタッフの調整、実現可能かの映像ギミックの検証など、制作部の仕事は多岐にわたりますが、この仕事あまり対価としては認られにくい。
プロジェクトマネージメントをしている方ならわかりやすいだろうと思いますが、スタッフを集め、それぞれと対話し、適切な仕事として分担させていく、その仕事自体の対価がなかなか質量を伴った仕事として認識しづらいからでしょう。
ですが、この仕事、相当に重要な役割を担っていると思っています。自分がやっているということを抜きにしても、こうした裏方がいないとプロジェクトというものは円滑に進まないものです。
これ以上書くと、ちょっと愚痴ぽくもなるのでやめておきますが、実はこうした質量を伴わない仕事というものにもちゃんと価値があると思うのです。
映像制作以外にもこうした情報を生業としている仕事はたくさんあります。コンサルなどは、こうした仕事を高価な対価として転嫁できた例でしょうが、世の中の仕事を円滑に進めている裏方で今日も質量が伴わない仕事が行われている。
仕事と対価という関係性を見つめたとき、そこには当人でしか感じられないこともあるということ。これもまた仕事の面白さの一つなのかもしれません。


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