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誰よりもサッカーを愛した教祖 − サッカーを通じた青少年交流(イスラエル・パレスチナ)旧統一教会

(※ この記事のタイトルは『誰よりも日本を愛した人』に倣いました。)

平和を愛する世界人として - 文鮮明自叙伝

第七章 韓国の未来、世界の未来

文化事業として実践する創造のみ業

(前略)

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)と共に、アフリカのリベリアで青少年サッカー大会を開いたりもしました。リベリアは、15年以上続いた部族間の紛争(内戦)によって、人々の暮らしがとても苦しい所です。たびたび起こる内戦によって人口が急減したために国連の特別保護を受けているその国の子供たちと青少年が、一緒に集まってサッカーをしながら平和を謳歌しました。ボールを蹴りながら楽しんでいる間に、部族間で互いに融和する精神を自然と身に付けるのです。

私たちが精魂込めて準備していることがもう一つあります。他でもなく、イスラエルとパレスチナの居住地域の真ん中に立派なサッカー場を造ることです。二つの国の子供たちを相手に、ヨーロッパの有名なコーチを呼んでサッカーアカデミーも開く計画です。このような活動を通して、大人たちは互いに銃口を向け合っていたとしても、子供たちはサッカー場に集まってボールを蹴るようにしようと思うのです。多くの人が非現実的だと首を横に振りますが、私たちは必ずやり遂げます。今もイスラエルの長官はサッカー場をイスラエルの地域に造らなければならないと言い、パレスチナの長官は自分たちの地域に造らなければならないと言い張っていますが、私は必ず二つの地をつなぐ所に造ります。私は周囲の圧迫に押されて夢をあきらめる人ではなく、頑固一徹の意志で夢を成し遂げる人です。

(後略)


本日付で社名を変更したジャニーズ事務所とは異なり、往生際のわるい統一教会は、昨日も法務局長さん(東京大学農学部卒)

とヤメ検(各地の地検検事・法務省局付検事)弁護士さん(東京大学法学部卒)

が前回の記者会見

から5週間ぶりに国民の大半を敵に回していました。

一方、地球を俯瞰すると、昨年2月から続くロシアによるウクライナ侵攻に続いて、イエス(ユダヤ人)がイスラエル(パレスチナ)の荒涼とした大地を歩まれた頃、あるいは(古代)イスラエル王国の成立まで起源を遡る紛争の拡大が世界を揺るがしています。

(イスラエルに居住する約600万人を併せて)1,500万人余りいると言われるユダヤ人ですが、その1/3はアメリカで暮らしています。無宗教のユダヤ人(例えば、フロイトやマルクス)や、他宗教に改宗したユダヤ人もいるようですが

世界各地へ離散してから十数世紀・数十世代を経ても、言語、宗教、伝統、慣習、他が守られています。

20世紀初め、当時はロシア領土であったウクライナの架空の町アナテフカ(原作のショーレム・アレイヘム作『牛乳屋テヴィエ』ではボヤベリク)を舞台とする作品ですが、物語の終盤、テヴィエ一家は、ユダヤ人排斥の難を逃れ、アメリカ(原作ではイスラエル)へ向かいます。

19世紀末、当時はロシア領土であったウクライナ北東部にあるショストカで暮らすマウスクビッツ一家は、(ロシア)コサックの猫の大群に襲われ、棲家を焼かれます。一家はハンブルクを経由してアメリカを目指します。

芸術(文学や音楽や美術や演劇や(ハリウッドを含む)映画)に秀で、自然科学や人文科学でも目覚ましい業績をあげ

アメリカやヨーロッパの財界や政界の中枢で権勢を誇り

最先端のIT産業をも牽引する

ユダヤ人に、(20万人ほどのキリスト教徒を含む)400万人弱のパレスチナ人は、第二次世界大戦の終戦以降、ずっと押され続けてきましたが、長年に渡る血で血を洗う争いを理解する上で(推計)人口の推移が一助となるかもしれません。


Demography in Israel / Palestine: Trends, Prospects, Policy Implications
(Sergio DellaPergola, August 2001)

日本の幕末頃まではイスラエル・パレスチナに居住する人口の大半はアラブ人であり、ユダヤ人は極めて少数派でした。

(前略)

ウマイヤ朝がアラブ帝国の統治権を奪ってシリアのダマスクスに遷都したのは661年であったが、これに反対する勢力は683年に対抗ハリーファを立ててマッカとマディーナを693年まで支配した。

この間、2大聖地(マッカとマディーナ)を失ったウマイヤ朝はそれに匹敵する聖地をパレスチナのイェルサレムに求めた。そこはイスラームが兄弟宗教であると認めたユダヤ教とキリスト教にとっての最大の聖地であったし、また、『クルアーン』には預言者ムハンマドがマッカから「夜の旅」(イスラー)をして「遠隔のモスク」(イェルサレム)に至ったと記されている。さらに、『預言者伝』などでは大天使ガブリエル(アラビア語ではジブリール)に導かれて、そこから「昇天」(ミウラージュ)して神に対面してきたという伝説も記されている。しかも、最初期のイスラームでは信者はマッカでなくイェルサレムに向かって礼拝していたほどだから、ここをマッカに代わる枢要な巡礼地とすることには十分意味があった。

(後略)


1947年に起きたエクソダス号事件に基づいたレオン・ユリス作『エクソダス』を原作に、イスラエル建国を目指すユダヤ人達と彼等を支援する人々の苦難が描かれています。


それが百数十年のうちに様変わりしたわけですから、争いが容易に終息するはずはありません。

さて、旧統一教会の創設から最晩年まで大風呂敷を広げ続けた文鮮明教祖が釣りバカに加えて様々なスポーツを、中でもサッカーを愛好したことは以前の記事『ペレを広告塔として利用した旧統一教会』『ソウルでワールドカップが開かれたときは3台のテレビを並べておいて中継される全部の競技を見ました』でもふれましたが、サッカーを伝道・布教に利用する意図はあったとしても

自叙伝の中の下記に引用した文章は評価に値するかもしれません。

平和を愛する世界人として - 文鮮明自叙伝

第七章 韓国の未来、世界の未来

文化事業として実践する創造のみ業

(前略)

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)と共に、アフリカのリベリアで青少年サッカー大会を開いたりもしました。リベリアは、15年以上続いた部族間の紛争(内戦)によって、人々の暮らしがとても苦しい所です。たびたび起こる内戦によって人口が急減したために国連の特別保護を受けているその国の子供たちと青少年が、一緒に集まってサッカーをしながら平和を謳歌しました。ボールを蹴りながら楽しんでいる間に、部族間で互いに融和する精神を自然と身に付けるのです。

私たちが精魂込めて準備していることがもう一つあります。他でもなく、イスラエルとパレスチナの居住地域の真ん中に立派なサッカー場を造ることです。二つの国の子供たちを相手に、ヨーロッパの有名なコーチを呼んでサッカーアカデミーも開く計画です。このような活動を通して、大人たちは互いに銃口を向け合っていたとしても、子供たちはサッカー場に集まってボールを蹴るようにしようと思うのです。多くの人が非現実的だと首を横に振りますが、私たちは必ずやり遂げます。今もイスラエルの長官はサッカー場をイスラエルの地域に造らなければならないと言い、パレスチナの長官は自分たちの地域に造らなければならないと言い張っていますが、私は必ず二つの地をつなぐ所に造ります。私は周囲の圧迫に押されて夢をあきらめる人ではなく、頑固一徹の意志で夢を成し遂げる人です。

(後略)

10年余り前に教祖が逝去(聖和)したこともあって、この構想が実現することはありませんでしたが、教団が韓国とブラジルのプロサッカーチームを手放した後も、旧統一教会の友好団体や関連団体は青少年向けにサッカーを通じた交流イベントを開催していたようです。(現在でも続けている地域もあるようです。)

https://www.tparents.org/library/unification/publications/smm-org/works_sports.html

https://www.flickr.com/photos/143069133@N05/albums/72177720302106924

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https://www.flickr.com/photos/143069133@N05/albums/72157710900674387


高額献金や霊感商法を通じて日本国内で掻き集められた資金の一部が、おそらく、このような活動にも振り向けられてきたことを末尾に書き留めます。




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