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PTAの歴史や問題点を考えてみる会

 どうも、ゑんどう(@ryosuke_endo)です。

 2023年度、不登校の児童が所属する学年の学年委員長なる役割を「くじ引き」によって引き受けることとなり、新たな学年委員長をはじめとした面々に引き継ぎ(活動内容と資料を渡すだけですが…)を終えれば無事に任務完了となるところまで来ました。

 お役御免となるかと思いきや、今年度は次の幹事が誰も出てこなかったことを受けて会長から泣きの誘いを受けたこともあり、幹事としてPTAの執行部側になりました。

 入ってみたら入ってみたで世間で言われているようなネガティブなイメージというより、ネガティブな運用体制や仕組みの問題であることがわかった一年でしたが、なんというか、面倒なんですよね。色々と

 で、誘われたとはいえ、せっかくやるのであればネガティブなイメージを払拭できるようにはしたいなぁ…とおぼろげながら思う次第です。

 そこで、なんでそんなに面倒な体制や仕組みになってるんだっけ…ってなことを探る意味でPTAの歴史的な成り立ちなどを調べつつ、多くのPTAで問題となっているであろう点を明確にしていくことに挑戦してみます。

PTAの歴史

 まず、「そもそもPTAって、どういった経緯でできたの?」ってところから行きます。

 みなさん、ご存知ないかもしれませんが、「公益社団法人 日本PTA全国協議会」なるものがあるんですよ。ここに誕生と発展と題したページがありまして、ここを軸に、他にもネット上や文献等から参照してみたところザッと以下のような経緯だろうと思われます。

  1. 明治期〜大正デモクラシー期
    学校の設立や運営に地域住民が関与する「学校委員会」のような組織が各地で作られ、学校と保護者・地域の連携の原型に。1918年に奈良女子高等師範学校附属小で「父兄会」が作られるなど、保護者と学校の関係を考える動きが出てきたとされています。

  2. 戦時中〜戦後
    1940年に「大日本学徒鍛錬振興会」が発足し、中等学校で親師会的組織が広がるのですが、名前の通り国家による教育の統制色が強いものとなっていました。戦後、焼け野原となった日本に占領軍(GHQ)がPTA発足の足がかりになる啓蒙活動を行ったそう。教育の民主化を目指すなかで1946年に京都で初のPTAが発足。47年の学校教育法で学校単位のPTA設置が推奨され全国に広まることとなり、アメリカのPTAを参考に、社会教育法(1949)にもPTAに関する規定が置かれました。

  3. 1950年代〜1970年代(高度経済成長期)
    PTAの組織率が上がっていき、各県のPTA団体も結成されたことから54年に日本PTA全国協議会(日P)が発足し、PTAは学校と家庭・地域を結ぶ重要な役割を担うようになり、学校への要求が多様化するなかでPTA活動も拡大。高度経済成長期で家計の担い手の中心が男性だったこともあり、PTA=女性の仕事というイメージが固定化されることに。

  4. 1980年代以降〜現在
    少子化や共働き家庭の増加等を背景に、PTA離れの傾向が指摘されるようになる。活動内容や運営方法をめぐる問題も表面化し、多様化・複雑化する学校の課題解決や、開かれた学校づくりに向けて、PTAの役割が改めて問い直されているのが現在、と。

 ザッとした内容ですが、Wikipediaなども参照しているので粗いところもたくさんあるでしょうが、なんとなく、こういった経緯で成り立っているんだなってことがわかればいいのではないでしょうか。

 特にポイントだと思っているのは高度経済成長期に急速に発展し、一般化したところ。次は、この急速発展したところから負の遺産化し、現代のネガティブなイメージにつながっている点を見ていきます。

根強く残っている「PTA=母親」のイメージ

 高度経済成長期に急速な発展を遂げ、一般化したことから日本PTA全国協議会を組織されたわけですが、そこまでしなければ統制が取れなかったとみるべきでしょう。

 この時期(1950年代から70年代にかけて)は高度経済成長期で、多くの世帯が「サラリーマン+専業主婦」の性別役割分業モデルが一般化した時期とも重なります。つまり、夫が仕事、妻が家事・育児を担当するといったステレオタイプな家族像が形成された時代ともいえます。

 そんな社会状況下で、多くの母親たちがPTA活動の担い手となるわけですが、その理由は執行部も自宅で家事・育児を担当する母親だったことから、各会議や委員会活動は平日の日中に開かれることが主となり、連鎖的にそういう機会へ参加できるのが家にいる専業主婦だって構図が出来上がってしまいます。

 ただ、それは負の側面ばかりではありません。会社組織に属すことのなかった女性たちにとってPTAは数少ない社会参加の機会でもあり、きちんとした組織図の中で役割を全うすることで組織の一員として活動する経験や機会を得るだけでなく、その役割の中で与えられる地域社会とのつながりや、母親同士の交流の場は貴重なものだったといえます。

 一方で、PTAが「母親の仕事」とみなされるようになったことで、性別役割分業意識が強化された面があることも否定できないでしょう。1970年代以降、女性の社会進出が徐々に多くなってくるにつれ、母親への過度の負担や、父親の関与の少なさが問題視されるようになり出します。

 時を経て2024年現在、共働き世帯の増加しただけでなく、家族構成自体が変化しています。専業主婦を前提としたPTAのあり方は、PTAに対するネガティブなイメージを抱かせる大きな要因となっているだけでなく、運用体制や仕組みにまで影響を及ぼす負の遺産となってしまっている、というのがぼくの意見です。

【内閣府】女性活躍・男女共同参画の現状と課題_p21

共働きの中で持続可能な組織とするには

 何が問題かって、急速発展してきた流れをいまだに踏襲している点で、デジタル化やIT化などを推進しようにも「そういった機器を使えない世帯も参加すること」を前提に物事を組み立てようとします。

 デジタル庁の「誰一人取り残されない、人に優しいデジタル化を。」が想起されますが、そもそもデジタル化やIT化などは誰かを取り残さないと進められません。

 というか、「できない人」に合わせるようにしていると、いつまでも「できる人」たちの足かせとなって不便な状態が維持され続けることになります。

 できる/できないと表現していますが、仕事のできる/できないとかそういった意味ではなく、多数派と少数派とでもいえばいいでしょうか。少数派が悪いとかって意味でもありません。

 「楽をするための仕組み」を整えようと思ったら、これまでのことを踏まえて情報を整理する必要があります。いつまでも紙の資料を大量に次年度の担当に紙袋いっぱいになるまで保管しておき、それを処分するかどうかも判断せずに渡すようなことはやめるべきです。

 なぜ、そんなことが起こるのかといえば「責任を取りたくないから」でしょう。自分が破棄したことによって前例踏襲の流れが崩れてしまったり、その責任を問われることが嫌だから、大量の見もしない紙の資料を次年度の担当者に渡し続けるなどといった愚行が繰り返されることになります。

 みんな忙しいんですよ。だったら楽にしましょうよ。なんでみんな揃って苦しい思いをしながら歴史と伝統みたいな文言に引っ張られるような姿勢を貫くのか。

 データをUSBで個人管理なんかさせたらダメでしょうよ。

 なんのツールを使うのかよりも、以下にしてスムーズかつ負担の少ない形で運営できるのかの方が重要であり、健全な体制なはずなのに、それを目指さないってのは、あまりにもマゾスティックが過ぎるでしょう。

 楽しましょうよ。

おわりに

 そんなわけで、これから以下にして楽な組織にしていくのかを担うこととなりましたので、逐次、報告がてらnoteで記事にしていこうと思いますので、興味がある方は覗きにきてください。

 ではでは。

 ゑんどう(@ryosuke_endo)


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