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他人のために動くことと、自分のために動くこと

ここ数年、メルマガから始まったコミュニティ文化が一層際立ってきたように感じている。

2010年や2011年頃、日本はメルマガのブームと言えたし、いまだにその火は消えていない。

有名なのはホリエモンこと堀江貴文氏のメルマガだが、彼のメルマガには情報がたくさん詰まっている。時事ニュースに対する彼の捉え方や見方、彼の週間的な行動履歴と、それに対する意図や意見。極め付けは、メルマガに届く質問に対しての全回答。

この情報を欲しいと思う人は、月額で864円を支払えば、それに触れることができる上に、自らの質問に回答をもらえる機会を提供される。

年間で約1万円(864×12=10,368円)以上を支払う価値があるのかないのかは、そん情報を欲している人によるのだろうけれど、かなり濃密で深い考察がテキストで読めることは、ぼくとしては価値が高いと思っている。

そこから派生し、2014年頃からオンラインサロンが流行し、いまだに各所でそれなりに知名度を持ち、実行動にも移せるような人たちが、目に見える形でクローズドなコミュニティを形成し始めた。

オンラインサロンがコミュニティを可視化した

プラットフォームとして、Facebookやチャットツールが世の中でインフラ化してきていることが基盤になり、その勢い速く、そして大きく広がっていき、今となっては一体どのサロンに自分が入ったらいいのかを決めきれないような状態にすらなっている。

これだけコミュニティオーナーが多い状態では、最終的に「スキ/ キライ」でしかないのだが、似たようなサロンが存在していることもあり、ここを他との違いを明確にできていないところは大きなコミュニティにはなっていない。ハナから大きなコミュニティにする気がないところもあるだろうけれど。

有料メルマガで求められていたのは、「その人らしさのある文章」で、オンラインサロンで求められるものも本質的には変わらない。「その人がつくる”らしい”コミュニティのあり方」に対して、所属することに対しての「優越感」やクローズドなコミュニティだから少しだけ「独占感」を得られる。

ただ、気をつけなければならないのは、悪い言い方をすれば「属す側」と「属させる側」とでは圧倒的な差があり、属す側から族させる側に対して、強く、大きく存在を認めさせるには、相応の性質や努力といった、かなり泥臭いことが求められるし、それができなければ自然と退会したり、フェードアウトする形で月会費だけ支払う会員となってしまう。

コミュニティの運営者は、いわゆるROM専化するユーザーにまで気を使い、テキスト情報の発信をするかどうかも含めてコミュニティ運営をする必要があるものの、それはオンラインサロンんの前身であるメルマガがきちんと発信できるような運営者であれば、何も問題はないだろう。

そのテキストにさらなる付加価値を載せて、きっちり媒体として機能させられるだけのテキスト発行が可能なのであれば、尚よしだ。

いずれにしても、SNSが台頭し、普及したことによって、個人の行動はあらゆる面で可視化されたし、集団での活動となれば尚更、人目に触れる機会が増えたことが、各種のコミュニティを可視化させてきたのは、すでにぼくたちは実感していることで、今となっては何の違和感もない当然のことだと思う。

自らの帰属意識はどこにあるのか

その中で、SNSのプロフィール欄に「〇〇サロン所属」などの文言が書かれることも増えたし、目にする機会が増えてきた。

いくら所属するコミュニティが可視化されてきたからと言って、個人の氏名権までは可視化されているわけではないため、依然として個人名では匿名を維持しながら、所属するサロンのみが公開されてることも珍しくない。

それを見ていて、ぼくはふと思った。

個人の帰属意識は、結局「何が好きかって言う表明に過ぎないんだな」と。所属している会社が好きなのであれば、会社名を表記するんだろうし、自分が手掛けたサービスが好きなのであればそのサービス名と関わり方を書くのだろうし、属するコミュニティが好きなのであれば、そのコミュニティ名を書くのだろう。

別に難しい話でもなんでもない。ただ、「スキ/ キライ」の表明なだけなんだ。

それを育めるのかどうかは、「中の人たち」との関わり方次第だし、その中の人たちとの関係性によるんだろう。

オフ会と称し、実際に顔を合わせては他愛のない話から深い悩み話までを語り合えば、プロジェクトで互いのスキルや技能を遺憾なく発揮しながら、成功にまで導こうと切磋したり。

たとえ、プロジェクトが失敗(定義の仕方による)に終わったとしても、次なるプロジェクトに向けての切磋がすぐに始まる上に、運営者や熟達者がそれに対してのフィードバックを行っており、それによって成長のサイクルが回り始める。

手を挙げたもの、手をあげやすい性格の人が成長を加速させるための装置としても機能しており、それらの情報がSNSを通じて拡散されているため、似たような「体験」を求め、人気サロンには人が殺到する。

結局は所属じゃなくて、どう生きたいのか

今後、会社のあり方ではなく、組織のあり方が多様化していき、閉じられたコミュニティの中でプロジェクトごとに人が組織化され、成長する機会を与えられては社会に能力を還元する機会を提供することが当然になっていくような気がしていて、「あれ?それって会社じゃん」となる。

結局は会社のあり方もそうで、本来的にはビジョンや、代表の人となりに魅力なりなんなりを感じている人たちが集まり、応募し、採用され、各プロジェクトごとに役割を与えられては評価される。

いつの間にか、それが書面場の条件や、字面だけ立派な理想に対して、中身の整備が追いついてなかったがために、人を酷使するような状態になってしまい、どんどんと追い詰められるのは真面目な人たちだけ…なんて悲しいことになっているのだろうと思う。

ぼくは決してできる人間でも、立派な人間でもないのだけど、新潟が好きだし、新潟って地名がなくなってほしくはないから、新潟をもっとより良くしたいって思ってる。

だから、イベントやら機会の提供やら…をやりたいと思ってるし、やる必要があると思ってるから、動いてる。

別にカッコよくなくていいんだけど、それを「子どもに誇れる仕事」って言えるようにしたい。それだけ。

(以下、宣伝)

11/29 (金)にフラーの渋谷さんと、オールユアーズの木村さんを呼んで、#お金のあつめ方 と題したイベントを三条ものづくり学校で開催します。


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