山形県沖で地震_新潟で震度6強_津波注意報を解除_-_ウェザーニュース

地震・津波の発生から「避難指示」を受け、「避難指示解除」で自宅に戻るまで

昨夜(2019年06月18日)、山形県沖を震源とする新潟県で震度6強を観測する地震が発生しました。

22:22なんて時間帯だったため、我が家では子どもたちを寝かしつけながら夫婦揃って寝落ちいていたものの、地震の到来を告げるけたたましいサイレン音に飛び起きたのもつかの間、非常に大きな揺れが発生。

我々が住む新潟市は震度4。
体感値としてはもっと大きいだろうと思っていたものの、寝ていたのも関係があるかもしれませんが、久しぶりの震度3以上は大きく感じたものです。

自然災害の特徴といえば突然。
頭の回転が追いつくまでに少し時間が必要だったものの、とにかく何が起こっているのかを情報収集しなければなりません。
山形県沖を震源としていること。新潟県村上で震度6強の大きな地震だと理解するまでに時間はかかりませんでした。

「大きな地震だったね」なんて妻さんと話をしていると緊急地震速報とは別の音が鳴り響き、「新潟市からの避難指示」が書かれているiPhoneを手に取る形に。

災害発生時に行政が発信する避難に対する指示は3通り。
「避難準備」「避難勧告」「避難指示」の順で切迫度が高くなるそう(初めて知りました...)。
今回、我々が住む新潟市は日本海に面していることもあり、津波の被害が想定されることから「避難指示」、つまり行政としては避難勧告よりも緊急度の高い避難を市民に要請する状態となったのです。

【追記】
2019年に避難をした際には「避難指示」の下に「避難勧告」がありましたが、現在では「避難勧告」は廃止されました。

【内閣府】避難情報に関するガイドラインの改定(令和3年5月)

【追記終わり】

この段階で妻とぼくは寝床から起き上がり「どうしようか…」と。

どうしようも何も避難指示が出ているのだから避難を開始しなければならないのですが、妻さんは「どうしよう」を連呼し明らかに狼狽しています。

「避難指示」という状況について彼女に話した時点で時計は22:45。
津波の到着予定時間が23:00となっていたのもあり、猶予がありません。残り15分となって時点で、ようやく「逃げよう」へと変わりました。

車のエンジンを始動させ、長男から順番に車へと乗せては必要最低限のものだけ持ち出し車を走らせました。

この段階で同じアパートに住む人たちは誰一人として外に出ている人はおらず、顔をあわせる機会もありませんでしたが、隣に住む方が我々の姿を確認するなり、何かを決意したような表情を見せたのが非常に印象深かかったのでした。

逃げ出したはいいものの、どこへ行こうかというのもありません。

地震の震度が4だったため、避難所自体は開設は緊急で行われないことがわかりました。
「避難指示が出された=避難所が開設される」
と思い込んでいたのですが、新潟市では震度6強以上で避難所の緊急開設を行うとのこと。

この情報も車を走らせる中で初めて知りました。

しかし、地震の震度が4だったとはいえ、津波が来る危険性があるからこその「避難指示」。我々夫婦だけでなく、まだ幼い子どもたちがいる以上は無視できません。とにかく高いところを目指し、車を走らせます。

今回の津波予想は1m。沿岸部から離れ、なおかつ一定程度高い場所を考えるとすぐに思いついたのは高速道路。東京方面の経路を選択し、津波の到着予想時間を走りながら待つことに。

途中、いろんな人から連絡を頂戴しまして、本当にありがたい気持ちでいっぱいでした。まだ面識のない方や、10年以上も連絡をとってなかった友人からも連絡をもらったりと、決して喜んでいい状況ではないものの、思わず喜んでしまいました。

結果として津波は淡島へ10cmほどの微弱なものが到達しただけ。新潟市にも到達したのを確認したところで、改めて情報を整理しながら自宅へ戻ることに。

干潮だったからか、勢力の弱い微弱な津波でしたが、満潮を迎える時間帯に波が起こっていた場合、比にならない状況だったわけで運がよかったのかもしれません。

海が津波でよし寄せて来るってことは間違いなく川も氾濫します。
新潟市はそこかしこが海に面していますし、そこから派生する川も多くあります。川のそばだって十分に危険地帯な訳です。

避難と称したドライブをすることになったわけですが、助手席に座った長男くんは「大丈夫かなぁ」「怖いよ」「ねぇ、どうしよう」と不安をずっと口にしておりました。

いい機会なのかどうかはわからないのですが、もし、保育園へ通っている最中に地震が起こったらどこに避難するのか、誰と避難するのか、その避難した場所で待っている、といったことを約束する機会にしました。

しっかり者の怖がり屋さんなので、兄弟を守りつつ、約束を守ってくれるものと思います。

そんなこんなで01:00を超え、津波注意報が解除されたのを機に自宅へ戻って改めて寝ることにしました。そこで余震があり「あぁ、こうやって地震の時には不安を募らせるんだな」と実感する機会にも…。

幸いなことに長男や次男はすんなりと寝てくれたのですが、三男くんがなかなか寝付けず、心の震度が6弱になったのは言うまでもありません

いずれにしても、準備をしてなかったのは言うまでもなく、即座に行動に移せるだけの余裕なんてあるわけではないのですね、よくわかりました。

今回は被害を被ることはありませんでしたが、これを契機に少し準備をしなければならないなぁ、と思った次第です。

繰り返しになりますが、コンタクトを取ってくださった皆さん、本当にありがとうございました!

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。 お読みいただき、それについてコメントつきで各SNSへ投稿していただけたら即座に反応の上でお礼を申し上げます!