就職活動に親が巻き込まれ、企業側の採用コストはさらに増加する見込み...
どうも、ゑんどう(@ryosuke_endo)です。
最近の就職活動には保護者まで巻き込まれるんだって知ってましたか。
「マイナビ」の調査で、保護者の52.4%が企業が学生に内定を出す際に保護者の確認を取る「オヤカク」を経験していると答えているだけでなく、他にも子供が入社する企業についてどのような特徴があると良いかとの設問で最も回答が多かったのは「経営が安定している」(48.6%)です。
ぼくみたいな昭和生まれのおじさんでありながら子どもたちと暮らす親の役割を担う人間からすると、正直に言えば到底共感することのできない現象と結果です。
上記、NHKの記事では少子高齢化による新卒採用の人材獲得競争の激化や親子関係の変化があるとして解説していますが、さらに驚くのは保護者向けのオリエンテーション「オヤオリ」の実施や、保護者向けパンフレットの作成依頼が増えていることなど企業が保護者へのアプローチを強化している、なんて点。
この話って、中堅から大手といったそれなりに規模を有する企業の話であると同時に、その中でも強烈な熱愛を持って応募してくる人たちから選ばれる企業ではなく、他の企業との人材獲得を必死にやらなければならない企業の中で起こさざるを得ない行動なのだろうとは理解しながらも、こんなことをやっている暇があるのなら事業活動に専念したいと思っているのだろうなぁ…とかわいそうに思えてきます。
繰り返しますが、親の確認をとるような就職活動の当事者である学生自身もそうですが、それを必要だと感じている親にも、その親に向けてアプローチしなければならないと行動する企業にも、全方位的に賛同もできなければ共感することはできません。
この現象について、昭和生まれで令和の親をやっているおじさんなりの考察をしてみようというのが、本記事の目的です。
世代間で起こる価値観の違い
ぼくは昭和生まれの平成育ちで、ギリギリ悪名高き「ゆとり世代」にも分類されない何の特徴もない時代背景を持つ人物だと思ってください。
就職氷河期を経験しているわけではありませんが、就職が学生に有利な時期を経験しているわけでもない上に、自分自身はまともな就職活動をしたこともありません。
よって、ここで記述することには何の信憑性も信頼性もなく、もちろん権威生なんかは0以下ですし、何なら新卒の立場でフリーランスとなったことを踏まえて、就職ができなかった勢としての意見となる旨も含んでお読みください。
まず、昭和から平成世代の就職活動は個人の自立と決断が重視されていました。
ぼくら世代の前なんかは就職氷河期世代と呼ばれ就職すること自体が困難だった世代でもあり、非正規雇用のまま40代の後半を迎えている人たちがいる現状を踏まえても、親の意見がどうこうだなんて言ってられるような時代ではなかったのです。
その時代感はぼくの世代にも少なからず影響を与えてましたが、2006年以降で有効求人倍率が1を超えたことから氷河期から逃れた世代です。2005年までは就職氷河期と呼ばれておったわけですが、2024年卒の有効求人倍率がは1.71であることから雲泥の差だと言え、まったく異なる世界観が展開されていることになります。
昭和の終わりから平成20年ごろにかけてのバブルが弾けて以降の就職戦線と、令和時代における就職戦線は異なるものであり、当時のギスギスした空気感を知っている30代後半以上のおじさんたちは現在の新卒学生たちの行動を受け取るだけの余白を持ち得てなどいません。
昭和から平成にかけての就職活動とは個人の自立が前提であったことはすでに書きましたが、それは時代背景からも「そうせざるを得なかった」と言え、親に相談したところで解決などできない閉塞感の中で就職先を見出し、合格を勝ち取らなければいけなかったのです。
ところが現在の令和世代では親子で情報を共有し、共に意思決定を行う傾向があるようだと冒頭の記事で紹介されています。この変化は、昭和生まれの世代からすると到底信じられないことであると同時に、情報過多の社会において親が子どもをサポートする形が強まっている、時代の変化なのだと理解するものの納得はしがたいのが正直なところです。
親としての役割を考える
一人の社会人おじさんとしては上記した通りの認識なのですが、そうは言いながらも三名の子どもたちと暮らす親でもあります。
ぼく時代やその少し前の世代は親として子どもの自立を促すこと、そうして接することが親の本義であるかのように認識されていたことは実体験としても認識していますし、現在でもそれが根幹となっているような気がしないでもありません。
では、親の役割を与えられたいま、ぼくや妻さんには子どもの選択を共に考え、サポートすることが求められていることを実感しています。そこから逃げるつもりもなければ、懸命に子どもたちの相談には乗りたいと前のめりな姿勢になってもいます。
実際、我が家にはASD(自閉スペクトラム症)気質を抱えるがために不登校状態となった長男くんやLD(学習障害)によって学習に課題がある次男くんもおり、彼らの「生きづらさ」を解消するために悩み、共に考えながら生活をしています。
決して子どもたちに自立してもらいたいからといって、すべてを丸投げにするつもりもありませんし、可能な限りのバックアップ体制や支援の姿勢を見せていくつもりでもいます。
ただ、だからといって、「経営が安定している企業にいってほしい」などと子どもたちが決めた進路に自分の意見を反映させることなどしたくありませんし、してほしいとも思いません。ましてや、親への同意書や確認書など見たくもありません。
むしろ、「そういった書類を親に求めてくるような会社にはいってほしくない」といった意見を持ってしまいそうです。というか、むしろ、もうすでにそうなっています。
大学卒業は現役で入学した場合には22歳でしょ。高校卒業と同時に就職する場合にしても18歳なわけで、もう当事者同士でやってくれよ!と。
そりゃ、超絶ブラックな企業に就職して大変な思いをしてもらいたいとは思いませんが、その経験が無駄になるとは思いません。むしろ、ブラックとは何かを判断するためには経験則が必要になることは言うまでもなく、その経験がビジネス総合値における血肉になるわけですから否定するつもりもありません。
「自分が安心したいから」といった自分本位な理由で子どもの人生に干渉することはしたくないのです。
企業の採用戦略上におけるコスト増加
企業側の視点でも考えてみましょう。ここは感情的な面からでなく、ビジネス的な観点から。
親に向けてアプローチをするってことはですよ。その分、企業が行う採用活動のコストが増加していることを意味します。つまり、企業が企画・販売する製品やサービスなどの価格に、そういった親へのアプローチ費用が経費として計上されるってことです。
無駄じゃないですか。
冒頭でも記載しましたが、きっとオヤカクをしなければならない企業は中堅から大手の中でも圧倒的な業界シェアを獲得している、勝手に優秀な人材が応募してくるような企業ではなく、どちらかというと二番手や三番手、さらに下にいるような企業なのだろうと予想します。
そういった企業はできる限り優秀な人材を確保するため、学生だけでなくその家族にもアプローチする戦略を取り入れているのだと思われますが、その分だけ採用におけるコストが高くなるため、さらに市場競争における劣位に立たされることになります。
パッと思いつくだけでも親への確認といった過程が入り込むことによって採用プロセスが延伸しますから、それまでに学生を採用するために要していた時間に加えて時間を確保する必要が出てきます。無駄。
さらに、親へのオリエンテーションや説明会、説明資料の作成やチラシにパンフレットの作成など、企業と就職する当人との間だけで済んでいた頃には不要だった製作費用が嵩むことになります。圧倒的に無駄。
会場を抑える必要もあるでしょうし、何かしらを制作するにはデザイン費用などもかかってくるはずで、それらは周りまわって製品やサービスの経費として計上されるわけですから、必然的に製品やサービスの値段が高額化します。
業界の二番手ならまだしも三番手以降の企業であれば、明らかに競争劣位に立たされることになります。これ、誰にとって得なんですか…。
おわりに
企業が採用に向けて行動することはコストがかかります。
そのコストは製品やサービスの価格に経費として計上されるものですから、そこに親っていう正直にいえば余計なコストが計上されることは一消費者としては嬉しくも何ともないわけです。
むしろ、そこに労力をかけるような無駄なコストを計上することを許してしまうような経営をする企業に、自分の子どもたちが進みたいと言われた際には上記のようなことを述べて少し反対すらするかもしれません。
つまりですよ。
親が子どもたちの内定企業から便宜を図られることは、その企業に向けて無駄なコストを支払わせているってことを認識する必要があるってことです。その認識すら持っていないのに、何が「安定した企業へ…」だって話であって、その安定を崩そうとしているのが自分だってことを自覚するところから出直すべきでしょう。
ではでは。
ゑんどう(@ryosuke_endo)
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