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なんだか、こう、元気が出ました

タイムラインからある記事が

僕は過去にアップルスポーツカレッジという新潟にあるスポーツ総合的専門学校でスポーツビジネス学科で、マネジメント系コースを担当していたことがありました。

特段、思い出すことはなかったのですが、先日Twitterのタイムラインに以下の記事が流れてきたので思わずみてビックリ。当時、みたことが...というか毎日顔を合わせていた懐かしい表情が誇らしげに写ってるじゃないですか。

彼女の名前は「中村もと」。

たった数年しかない僕の専門学校勤務時代の学生だった彼女は「BCリーグ(チーム)で働きたい」という希望を旨に、いや、希望というよりも目標で、しかもノルマ的な意味合いが強かったな。

そんな気持ちを抱きながら学校に入学をしてきてくれました。

ちなみに僕はというと、それまでのスポーツトレーナーやらトレーニングからの世界に片足を突っ込みながら、「スポーツのビジネス化」について真剣に考える場とアウトプットの場が欲しいと考え、方向転換をした初年度でした。

難しいですよね。教育現場というのは。特に専門学校というのは教壇に立つ上で学士や修士、博士が必要なものでもありませんし、一つの職業としてみたときには働き手側に選択の自由度があります。

自らが希望すれば全てが叶うわけではありませんが、その組織内で一定の評価と、ポジションの空きがあればやれる・やらせてもらえる、という状況でもあります。

僕はスポーツトレーナーというポジションに(自分自身の)限界を感じてしまったのと同時に、スポーツの「一般ビジネス化」をすることや、その行動を起こすことこそがスポーツの価値を引き上げるための有効な手はずだ、と当時は考え方針転換できる機会を伺っていた状況。

そこでスポーツビジネス系学科への移籍を希望したのと同時に、ポジションが空くということも重なった結果、然るべくポジションに着くこととなりました。

ちなみに、そのポジションを空けたのは小池光徳さんという09月23日のイベントでも仲間として大変お世話になった方で、今でも現役バリバリに専門学校生と日々向き合っています。

僕は結局やってることが変わらない

なぜ、小池さんの名前を出したのかといえば「中村もと」という学生は、小池光徳という人から学科に関しての説明を受けていたんですね。

だから、学校に入学すれば小池という男の下で、自分の目指すBCリーグ内部への突入も叶うのではないかという、それこそ希望を抱いて入ってきたわけです。

それにもかかわらず、いざ、入学してみると、僕なわけですから「聞いてないよ〜」となりますよね。僕もその立場に似合うだけの知識や経験を持っていないわけですから、志を共有するしかありません。

できることと言ったらポジションを活かしてクラブやチームの中の人と話をし、実際に困っていることや悩んでいることをヒアリングし、その解決策とは言わずとも投資的な意味合いで「数年後には解決できるようになる人材」として登用してもらう方向に学生たちを向かわせることぐらいしかありません。

そんな中で小池時代から引き続き助け舟を出してもらったのが福田拓哉さんで、京都サンガ⇒福岡ソフトバンクホークス、とJクラブとNPBの現場に入っていた稀有な経験を持って教鞭を執っている人間を頼らない方がおかしい。

僕だけでは不足している部分を、然るべくポジションに然るべき人材にお願いをすること、それとともに僕自身が志を持ってスポーツの未来を語っていくということを繰り返すしかありませんでした。

もちろん、福田さんだけではなく、他の多くの多才な方々からの力を借りながら中村をはじめとした学生たちと「っぽく」向き合うような仕事をしていたのです。

そこから福田拓哉さんをはじめとした新潟の中でスポーツビジネスをどうにか盛り立てていきたい、というメンバーを集めて飲み会を始めたことが09月23日の足場になっていることを考えると感慨深いものがあります。

しかし、こうやって振り返ると僕は当時とやってることが変わりませんね...。それが日々の生活費を得ることととして取り組んでいることなのか、そうではないのか、という違いはありますが

彼女の姿勢から元気をもらう

話を中村もとに戻します 笑

そんな僕と彼女の付き合いは2年ほどでしたが、彼女のひたむきなまでの野球、そして選手が好き、という気持ちは一切ぶれることなく、彼女の立派なアイデンティティとして確立されていました。

割と男気のあるというか、頑固なところや一本気な性格なので、譲れない・譲りたくない部分については「どうしたらできるのか」と詰められる事もしばしばありました。

彼女の気持ちが少しもブレる事なく、そこに向かって邁進していこうとする姿勢には少しだけ怖い部分もありました。それは「叶わない状況」になったときに大きく崩れてしまうのではないか、という不安から。

18、19歳ですから、「自分のやりたい事」というのが本当に見つかっているのかどうかは本人はもちろん、周りにもわかりません。いまだにフラフラしている僕がいうんだから間違いありません 笑

そして「やりたい事」「できる事」「身銭を稼ぐ事」という三者が全て満足のいく状態を作り出すことは容易ではありませんし、それができることが理想ではありますが容易ではない。

そんな風に心配をするオジさんを余所に、彼女は「叶えるためにやる」という態度を徹底してくれました。その姿勢には感服しましたし、現在もそれが継続されているんだということを知り、嬉しくなりました。

文末にはこうあります。

広報担当として、これが正解ではないのかもしれませんが、選手第一というよりは、「ファンの人や地域の人に喜んでほしい」「選手を好きになってほしい」「野球好きになってほしい」と思って働いています。
そうすると、ファンや地域の人が選手を大切にしてくれて、それが選手を輝かせることになるのではないでしょうか。

これを読んで「あぁ、中村もとはこうだよな」と安心するとともに、それが嘘偽りのない、というかその言葉しか出てこないだろうな、という気持ちになり、大変は大変なんだろうけど充実した様子を感じ取りました。

彼女に話を聞けば分かるかと思いますが、当時の僕は何もしてませんから、彼女が頑張るしかなかったんだと思います。親父がだらしないと子どもがしっかりする、みたいな感じですかね。(息子たちよ、すまん!)

けど、本当に元気もらいました。

ありがと、もと。

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