TVをみなくなったのは...というお話

TVってみてますか?

いや、言い方に語弊がある。みたいTV番組ってありますか?

ふと、思うと、自分が子どもの頃と比較して、自分がTVをみなくなったなぁって感じる。

それは自分が年齢を重ね、仕事をし、家庭をもったから必然的に『自分だけの没入できる時間』がなくなったという現実的な話で片付けるには惜しい。

もうちょっと考えてみよう。

ぼくが小学校の頃『めちゃ2イケてるッ!』、通称『めちゃイケ』が土曜日の8:00という時間帯にスタートした。

周りの友達はみんな見ていた。

それ以外にも、アニメ番組もそうだし、朝の番組を誰がどこの番組を見ているのかということが"気になった"。

ぼくが自分のことを子どもだと認識している年齢の頃、TV番組は王様で、新聞は年老いた適齢期を過ぎた人たちが読むものだと捉えてたり...

いま考えると、それぞれはただの媒体、つまり手段であり方法でしかないから、属性を意味しているわけではないことは容易に理解できますけど、当時はそんなことは微塵もわかっていなかったので、そう感じてた。


そんなぼくが年齢と重ねるにつれてTVと距離を置くようになっていて、見る番組も限られてきた。

割とぼくの周りでは『ウッチャンナンチャンの気分は上々』とか『内村プロデュース』とか好きな人たちがいて、中でもぼくは南原清隆と柳沢慎吾の二人旅をする企画が好きだった。

あとは原チャリでひたすら旅をする企画も好きで、後ろで流れる田園に笑いながらも興奮していた。

月9というTV番組の時間枠を耳にするようになったのは小学生の頃だけど、それが「土日と出かけていた人たちが落ち着いてTVの前に座る(であろう)時間」と想定されている言葉だということを知ったのは10年もあとだ。

実際、そうだったのだろう。

いわゆる月9といえば、男女関係のもつれを描くTVドラマが多く、実際に視聴率も良かったらしい。山口智子と木村拓哉のロングバケーションには小学生だったぼくも見入ってしまっていた。

まだネットが普及していない世の中では、そうやって仮想的にTVの前にいる視聴者像を掘り下げて、そこに対してウケる番組は何かを必死に考えていたのだと思う。

ネットの普及でTVはいまだに影響力を堅持している部分はあるものの、広告費などは抜かれたりして、ぼくが小学校の頃に思い描いていた『王様』ではなくなってきた。

結局、TV番組というコミュニティの話になるのかもしれない。

いま、ぼくたちはネットの恩恵を受けているために、どこでも誰とでも実質的に繋がることができる。

LINEやメッセンジャーなど、非同期型のコミュニケーションツールが発展したこともあり、同じ話題を時間差があったとしても同期することは可能になった。

ぼくが経験してきたネットが普及する前までは、TV番組をその時間に見ていないといけなかった。もちろん、いけないことはないんだけど、話題に乗れなくなることが嫌だった。

ということは、TV番組はコミュニティだったんだ。

それを見る人たちの集まりで、それを話題にあーでもないこーでもないと話をすることができる話題づくりの場としてのコンテンツが『番組』なんだ。

昔のTVは面白かった、というけれど、その「昔のTV」というのがいつの時代なのかはわからない。そんなことを言うおじさんの年齢から推察するしかないんだけど、おそらく1980年代や90年代のことなんだろうな。

けど、それは違うんじゃないか。

いま、ネットの恩恵を預かれる人たちは、自分の好きなコミュニティに属すことができる。コミュニティを自由に選択できる状況にいる。

それができなかった時代、つまり、ネットもなく、コミュニティといえば学校のクラスメイトぐらいしかいなかった田舎に住むぼくはTVという無機質なモノに縛られることを甘んじて受け入れるしかない。

というか、選択肢がないんだから甘んじるも何もないのだけれど。

仕事をし、家庭を持ったからといって、自分の属すコミュニティをなくせるわけではないし、無くすべきでもない。

自由に選択できる状況になっていて、取捨選択をしているだけなんだ。


TV番組を見なければならない状況ではなく、それを見なくても別の手段で代替できる方法を持っているということだ。

いまは可処分時間の奪い合いだ、ということは当然わかっていて、その中でもTVを見なくなったのは何故なのかを考える機会を設けることはなかった。

なぜなら「TVがつまらないから」という短絡的な回答を持っていたから。

実際はそうではなくて、ぼくはぼく自身のコミュニティを自分で選べるし、選んでいるから「TV」を選ばなくなったというだけ。

そう考えると、いま、我が家の息子たちと同じ映画だったり、コンテンツをネット上から探し、見ているのは家族というカテゴリではないコミュニティの中で共有することが重要だと思うコンテンツだからなんだ。

自由に選べる中で選ばれるのはすごく大変なことで、そもそもそれは提供する側からすれば自由競争というのは響きのいい地獄だからだ。

選ぶ方はいい。好き勝手に選べばいいだけだから。

ネット社会だから、そこに絡めた企画だとかオリジナルコンテンツだとかファンの醸成だとかを一斉に考えなければならない。けど、選ばれるかどうかはわからない。

選ばれる努力は不断に求められるけど、その努力が身を結ぶとはいえない。

TVって結構しんどいですね。

それも一つのコミュニティだと考えたら仕方ないことなのかもしれない。

コミュニティは、中に入ってる人たちが「どうしたら自分たちが満足できるか」を考えながら話題に乗り遅れることのないよう、色々と考えて運営している。

そう考えると、TV番組ってのは、その必死になっている様をコンテンツって形で返してるだけで、やってることは変わらないんだ。

だからコミュニティの運営は大変だし、骨が折れるんだな。けど、やりがいがあるからやめないんだろうな。

ぼくたちは自由にコミュニティを選択できるようになったからTVを観なくてよくなっただけであり、それが面白いか面白くないかは別の問題だなっていうお話でした。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。 お読みいただき、それについてコメントつきで各SNSへ投稿していただけたら即座に反応の上でお礼を申し上げます!