政治や行政に期待しなきゃならないこと

先日、新潟市長選挙が行われることに対する率直なイチ市民目線の抱いている気持ちを書かせていただきました。

読んでいただいて、Twitterでお読みいただいた方々やFacebookで個人的にやり取りをさせていただいた方々の反応はそれぞれなのですが、改めて「政治・行政に期待しなければならないこと」というのは何なのかを考える必要があるんだな、と。

下記リンクは地元新聞社の記事リンクなのですが、記事を読むと候補者の演説予定が遅れ、それに対して支援者の方が語気を強めただとか、聞きに来た高齢者が帰っていっただとか書いてあるんです。

そこはどうしても伝えなければならないことなのかと言われたら、別にそんなこともないと思いますし、それを書くことによって「今回の新潟市長選挙を良い方向へ導くこと」を促すことにはならないと思ってしまいます。

それってメディア側も書くことに困ってるんじゃないか、と感じてしまったのと、実はメディアとしても期待できること、期待したいことがないんじゃないのではないかと思うわけです。

そう考えると既に政治や行政に期待できることの最低限度の水準を満たすことができているということの証左なのではないかと思うわけで、そうなると政治や行政に期待できることは多くないのではないかと。

政治や行政は利益の再分配システム

そもそも僕たちが日本という国に住み、どこかしこの都道府県に住み、仕事をし、国や自治体に納税していることの本義は利益の再分配です。

儲けられる人がいるのであれば、それなりの金額を納税してもらって、故あって儲けられない人に対し、日本国憲法第25条第1項の条文に定められる「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」ことを遵守します。

金銭的に余裕のある人は、何がしかの理由があってそうではない人に対して多く税金という名のお布施を国や自治体にしてもらうことによって、皆が"ある程度"一律に健康で文化的な最低限度の生活を営めるようにしましょう、ということです。

過去、戦争を終え、「復興」という大義面分の名の下に経済を上向かせなければならない、もっと言えば、世界経済の中で抜きん出る企業を生み出し、日本自体を引き上げて行く必要がありました、と。

そのためにある程度、国自体が主導し、一枚岩となって立ち向かって行く必要があったのでしょう。

ただ、当時と今とでは状況が異なりますし、何より国は経済をどうこうできる立場というよりも、活力を持って経済を動かせる人材たちの邪魔をしないことに気を配るべきです。

僕が住む新潟は東北よりもはるかに早く、新幹線が通った土地でもあります。誰を持って言おうか、田中角栄という大政治家のおかげだということは新潟県民であれば誰しもがわかるものです。

じゃ、同じようにするべきなのか、してもらいたいのかといえば、細かい点を挙げていけば「ここに舗装された道路ができれば...」とか「公共交通機関が通れば..」とかあると思いますがキリがありません。

そして、その政治や行政が使うお金というのは、経済がもたらすものであり、多くを稼ぐことができた人たちから、それなりの負担をしてもらうことによって救われているという事実があります。

僕だって地方都市に住むイチ会社員ですから、消費税や住民税といった最低限支払う義務のある税金ぐらいは支払っていますが、多くを稼ぐことができている人たちの恩恵にすがっているという認識は常に持っています。

別に卑屈になるとかって意味ではなく、そういう認識を持っている、ということが大切なのではないかということであり、政治や行政のシステムはそうである、ということを学校教育の中で学んできているはずです。

コストは気にし出したらキリがない

例えば、暮らしにおける安心だとか安全を政治や行政に求めるというのは最低限必要だとは思います。ただ、厳罰化したからといって犯罪は減るかもしれませんがなくなるわけではありません。

合理的に行動できる人であれば、犯罪をするということがリスクしかないという認識になりますが、そもそも犯罪を犯す人はそんなことを考えられません。

災害対策についても同様です。

ここ最近は異常気象などもあり、空港に取り残されたり、土砂災害が起こったりと、決して見過ごすことのできないことが起こるようになってきました。

ですが、いくらルールを厳しくしたところで最終的に守るかどうかの判断をするのは個人です。

台風で飛行機が飛ぶかどうかわからない状況にも関わらず、空港に行き、結果的に閉じ込められてしまうのも、土砂災害の危険性があるにも関わらず、その土地に住むことを決めたのも個人が判断したものです。

だから人命が失われることは仕方がない、といっているのではありません。

けど、それを決めたのは個人である以上、政治や行政がいくら対策を講じたところで、そもそもその基準や規則に対してどう判断するのか、といったところまで制御できるわけではありません。

だから、僕は個人が少しずつでも動き続けることで空気を作るしかないと思うのです。

地震が発生したのに会社に行く

津波が起こりそうなところに住む

台風が直撃しているのに外出する

これらは自らの命を危険に晒す行為なのにも関わらず、自らの判断で行動しているからこそ起こることです。

そんなことをしないようにする、ということも結局は空気感を作って行くしかないのかもしれません。

別に高尚なことを言いたいのではなく、個人がイキイキと生きていくことができるようになるには、他人の人生を生きるのではなく、自分の人生を自らの意思で生きていくしかないという、ただそれだけです。

だから、下手に政治や行政に期待するのではなく、個人でできることを繰り返し、楽しい人生を過ごせるようになりましょう。

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