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「自分は優秀である」が幻想である一方で「自分は愚劣である」も妄想である

どうも、ゑんどう(@ryosuke_endo)です。

特に理由もなくタイトルをつけてしまったのですが、何も考えていないわけではありません。

残念ながら、今回のお話は何かしらの根拠を提示しながら進めることができず、ぼくの独断と偏見を持って話を進めていくものとなりますので、それでも付き合ってもいいよって物好きな方以外はご退場いただいた方がいいかもしれません。

読み進めた結果、不快な思いをされたとしても責任は取れませんよ、というわけです。

よく、「〇〇さんは優秀」と褒め称えるべき人がいることを発声して周知する人がいます。

大抵、その褒め称えられる人は「いえいえ…」と謙遜をすることがほとんどですが、中には「まぁ、はい。」みたいに傲慢ではないのだけど遠慮もしない態度をとってくる人も目にしたことがあります。

反面、「〇〇は本当にダメだな」と罵られながらも必死に食らいついて仕事をしようとする人もいれば、「はぁ…すいません」と悪びれている風を装っているだけで、その実、なんの反省もしていないといった態度を取る人もいるわけです。

自分に期待をすることがダメだと言いたいわけでもなければ、自分を卑下することがダメだと言いたいわけでもありません。平均値と探そうぜって話をしたいのです。

自分は優秀であるとする思考

自らを「優秀である」と尊大な態度をとってくる人とは、可能な限り近づきたくはありませんが、少なくとも、かなりの自信をお持ちなのであろうことを痛感させてくれる発言を担う人がいることはたしかです。

また、自分に自信がある人は、これまでに自らが経てきた人生という名の過程で存分に努力をしてきた、闘ってきたとといった強い自負があるからこそ、自分を信じることができるのでしょう。

自分に自信がある人は、どこか魅力があります。

自分に自信があるからこそ、他人に向けてもしっかりとした視線と姿勢を持って接することができ、その視線と姿勢に惹かれることにつながっていくわけです。

何を持って成功者なのかはわかりませんが、少なくとも年収が1,200万を超えるような人は人生における成功者の一人でしょう。日本人の平均年収は420万円前後で30年以上が推移していることを考えれば、そこから3倍もの年収を稼ぎ出すだけの力を保有している人物は、しっかりとした成功者です。

その自覚があるからこそ、自らを優秀な部類であると認識していることでしょうし、平均からの乖離度合いが大きいところに年収区分では到達できているのだから、自信を持って当然だといえます。

しかし、それが自分の努力が成した結果であると認識しているのだとしたら傲慢ではないか。そんな風に指摘したくなりますが、それはぼくが無能派閥の人間だからでしょうか。

自分は愚劣であるとする思考

自らを優秀であると認識・自覚している人がいる反面、自らがダメ人間であると自覚している人もいます。

何をするにしても失敗ばかりで、うまくできることも見当たらず、上手にできることを探す方が大変だと言わざるを得ない人も、虚構の物語上にいる存在なのではなく実在するのかもしれません。

過去、風の噂ではあるものの、とある職場で何をしても筋違い、方向違いの行動をとってしまい、最終的には「考えて行動するな。全部聞け。間違えるんだから」と叱責を受け続けていた人物がいるそうで、その人物は、いま、この文章を書いています。

…。

自己嫌悪や自己受容もしたくないほどに、何もかもが失敗する方向で流れていってしまう状況に嫌気が指すのでしょう。

自らが愚劣であると思考する人は、自分では何もできない。自分だけでは物事が完結することもなければ解決することもない。そんなことができるのは優秀な人たちだけであり、それができないから自分は愚劣なのであると思考しています。

事実、人間として社会生活を送るためには何かしらの困ったことや課題を乗り越えていく術を身につける必要があり、それを柔軟かつ丁寧に実践できる人たちがいるからこそ、世の中は便利になってきましたし、これからもなっていくことでしょう。

一方で、その状況を享受する他にない、ぼくみたいな人間がいることも世の中の真理であり、事実なのです。

重要なのは平均値がどこなのかを把握すること

標準偏差ってご存知ですか。

相対的に5段階評価をつけるとしたら、3となる人たちが最も多く、それ以上でも以下でも少なくなっていく、いわゆるベルカーブ状態になります。この、平均値である3からの散らばり具合を表す指標のことを、標準偏差といいます。

絶対的な評価をした場合、たとえば年収だとかってお金だけを見れば、優秀な人は高額をもらっていることになるでしょうし、需要の高い産業や企業で働くことができるなどのタイミング等も影響してくるかもしれませんが、基本的に金額といった価値は変わりません。高級をはらむことができる人は優秀な人だといって過言ではないでしょう。

一方、その人が聖人君子なのかというと話は別です。

本当にどうしようもないほどにクソ野郎なのかも知れません。

約束は反故にするし、いったことはやらないし、信用のおけない人物だったりする可能性だってあります。

要は、個人にとっての平均値と全体で見たときの平均値を知りたいよねって話なのです。

上で標準偏差の話をしましたが、平均値ど真ん中の3だといっても3.00001もいれば、3.999997を取りながらも評価としては3となるわけで、ずいぶんと開きがあるように見えますが、同じ3なのです。

つまり、優秀か愚劣かを分けるのも、案外、この程度のことなのかも知れません。

数値を変えましょう。

50が平均値だとしたら、前後の±15ほどが上でいう評価の3となりますから、35から65までが3というわけです。

ほら、案外振れ幅があるけど、同じ3だって聞くと、なんだか安心しませんか。安心してください。割と優秀だなぁ…!って思える人でも、65程度しかないのかも知れませんし、愚劣だなぁ…って思うような人でも35程度なんだとしたら、相対的に見れば同じ3なんですよ。

一つの物差しで40しか評価が取れなかったとしても、別の面で60取れていたら平均で50じゃないですか。ね。いいでしょ。

おわりに

最終的に、自分が何を言いたかったのかさっぱりわからなくなってしまったのですが、ひとまず満足した帰結になったことにします。

最後までお付き合いいただいたのにも関わらず、何が言いたいのかさっぱり分からない内容にお付き合いくださったこと、本当に感謝します。感謝しかありません。あなたは感謝です。

ではでは。
ゑんどう(@ryosuke_endo)


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