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アナクロニズムに陥りたくない

どうも、遠藤(@ryosuke_endo)です。

アナクロニズムという言葉をご存知ですか?

デジタルの対義語としてアナログという言葉がありますが、あまりにも古臭いことを述べる人を嘲笑するような時に「アナログな...」という表現を用いたりしますよね。

調べてみると、こんな意味なんですって。

時代の風潮に会わないで、時世に逆行していること。時代錯誤。

デジタルに対する対義語ではないのですが、現代はデジタル化が前提していることもあり、それに対してあまりにも時代錯誤な行動や言動、行為を目にした際に出てくるような言葉になります。

例えば、今後、ますます技術的にドンドンと発展していく中で人と人と交信手段も、今よりも早く、手軽に、気軽に、距離なんか関係なく触れ合えるような時代になったとします。

そんな時代の中だとしたら、あえて人とのコミュニケーションを紙に対し筆を取り、墨でしたためるような行為は、アナクロな行為、となります。

なぜ僕は今回、この言葉を扱い、わざわざ記事にしているのかといえば、そうなりたいとは思いません、ということなだけです。

別に懐古主義を否定する訳でもありませんし、そこに確かな思い出があり、その思い出を大切にしていきたいと思う人の気持ちを否定はしませんし、大事にしてもらいたいと思います。

では、昔の時代が悪いのか。今の時代が悪いのか。

別にそういうところが問題なのではなく、その時代に即した生き方があり、その生き方を知り、やってみた上で、そうではないアナクロな在り方を選ぶのか。やらずにそうではないアナクロな在り方を選ぶのか、は圧倒的な差があります。

なぜなら、体験知には強みと凄みがあるから。

僕は知っています。

イチローの言葉には圧倒的な重みがあることを。

アスリート"イチロー"の凄みは、徹底した自己管理だとか、準備だとか、諸々あげられますが、僕はそんなことは表層的なものだと思っていて、その言語化能力だと思っています。

彼のすごいところはわかりづらそうでわかりやすい言葉を使っているところにあって、その言葉選びは本当に上手だな、と感心というか感動を繰り返すばかりです。


イチローのやり方を真似できないというのは間違いで、真似はできます。その基準をどこに置くのかによって、その人なりのやり方が決まってきます。

例えば、体型の管理にしても、体脂肪率を何%に設定し、それを上回るような生活を送らない、という大枠を決めたとして、あとはそれに対してタスクを決めるだけです。

何をやるのか、やらないのか。やるのであれば、いつ、どうやるのか。

それを徹底して取り組んでいるのがイチローという選手のあり方ですし、それは野球の中でいうとイチローが特別なのかもしれませんが、他競技のアスリートの中にだって、同じようにストイックにやっている選手はいます。

この話がどうやってアナクロの話に結びつくなのかといえば、アナクロかどうかというのは、時代に即したやり方ではない方法のことなのか、それとも、その時代に即すことをあえて選ばないのかは全く違う、ということです。

イチローはいわゆる"筋トレ"というひたすら筋肉量を増やすようなトレーニングは行わないことは有名です。

言ってしまえば、今の時代はパフォーマンスの前提条件を構築する上で不可欠な要素として考えられているような節がありますが、あえてそれを選ばない。

逆にそれを多くしてしまうことの方が自らのパフォーマンスを崩してしまうことを知っていると言えるのかもしれません。

そういう意味でいうと、イチローのトレーニングの選択でいえばアナクロな雰囲気が出てきます。しかし、決してそうではなくて、あえてそれを選択しないということでより高度な次元を目指しているわけです。

僕はここにヒントがあるような気がしていて、これからの時代はより複雑により高度になっていく中で多様性を認めることが前提になってきますが、その中で自らのアイデンティティを保とうとする際に重要になるのは確固たる自信になるはずです。

そこで必要なのは、あえて選ばないという行動を取れるだけの経験"知"なはずで、とりあえずやってみる、経験してみる、というのはすごく重要なことだと感じております、という話でした。

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