見出し画像

言語化することは「言葉の整理」だ

枕にかえて

 どうも、えんどう @ryosuke_endo です。

 転職相談やキャリアメンタリングなんて言葉が徐々に一般化してきており、新しもの好きな人たちや新規開拓が好きな人たちだけでなく、ネットとの接点も程々の人たちにも普及してきている印象だ。

 ただ、普及してくるにつれて感じることは「自身を言語化すること」において、苦手意識を持っている人の数が増えていることである。得手不得手の話でもあるが、同時に機会を作ってこなかったであろうことも露呈している。

 しかし改善できないのかというと決してそうではない。むしろ、繰り返すことによって自身の幸福度を引き上げることすら可能になる「言語化」について、書いていくことにする。

▶︎ 言語化=言葉や文字の整理をすること

 言語化と書くとなんだか仰々しいだろうが、なんのことはない。自身が感じた事柄を文字で説明したことのない事柄を、自分以外の誰かに説明するために文字や文章、言葉に変換してあげることだ。

 自分から誰かに向けた翻訳とも言える。

 「言葉が足りない」と自覚をしていたり他人から指摘を受けたことがある人もいれば、反対に「言いすぎ」などの反応を受けた人もいるだろう。それらも言語化ができていないからこそ起こるものだといえる。

 言語化することは、文字や言葉を整理することと同義だ。

 言い方や表現が上手ではない人と上手な人を比べてみると圧倒的に語彙や比喩などの表現に差があるが、それ以上に「自分で納得した言葉」を使っているかどうかに大きな差が生じる。

 自分の主観や感想を言葉として連ねる上で、誰かから引っ張ってきた語句や文字、言葉に置き換えるだけでは体温と重心が乗った言葉にはならないし、それは自分自身も納得した文章なり言葉にはなっていないはずだ。

 つまり、落とし込みが足りないのである。

▷ 何を落とし込むのか

 では、何を落とし込むのか。

 「言語化すること=言葉や文字を整理すること」と説明したが、言葉や文字を整理するためには自分自身の主観や感想を「理解」しなければならない。

 たとえば、夕飯にカレーライスを食べたとして「おいしい」と感じた理由は何か。友人から誕生日プレゼントをもらって「うれしかった」理由は何か。反対に、「おいしくなかった」り「うれしくなかった」とする理由は何か。

 「おいしい」や「うれしい」は主観を表現する言葉だが、その言葉を使った理由まで考えることで自分の感情を言葉に落とし込むことができる。

 「おいしい」は表現として大味なのだ。誰でも使うことができる反面、汎用性が高い分だけ詳細な説明には至らない。

 詳細な説明をしようとすれば、カレールーがおいしいのか、お米がおいしいのか、具材がおいしいのか。それとも、それらの掛け合わせて口に入れた際の風味がよかったのか。

 このように自分の主観と感想が何に基づいて発せられた、感じられたものであるのかを詳細に自らが持っている言葉を利用して整理することにより、この理由探しと整理の過程こそが言語化である。

▷ 箇条書きと文章

 これを文章から文章に変えたり、話し言葉から話し言葉に変えたりすることは非常に難易度が高い。

 400文字の原稿用紙に読書感想文を書けと言われて書き終わったものの、それを再び書き直そうとするのは非常に面倒だ。文章から文章を変えようとするのは、その面倒なことを率先してやろうとする態度である。

 まず取り組むべきは「箇条書きにすること」だ。

 上のカレーライスをおいしいと感じた理由を箇条書きにすることで、何がおいしいのかを短文で書き出すことができる。

  • ご飯が炊き立てだった

  • にんじんの大きさがちょうどよかった

  • じゃがいもが大きく切ってあり食べ応えがあった

  • カレールーを初めて〇〇〇〇にしてみたが香りがよかった

  • おまけに香辛料を追加したことで辛味が増した

 このような形で、自分が「おいしい」と感じた理由や条件を書き連ねていくのだ。あとはこれらを並べることで文章として成立するし、並べ方を工夫すれば文章自体を変えることも可能だ。

 転職活動における職務経歴を書く際にも同様である。

 どんな状況や環境のもとで、どんな問題や課題を解決するために具体的にどんな行動を取り、結果どうだったのか。

 そんなことを書くためには自分自身で要素を明確に把握できていなければならない。自分のことだから説明できるとは思わない方がいい。

 自分のことを他人がわかるほど丁寧に説明できる人材は多数派ではないし、多くの人ができるのであれば、文章や面接で優劣がつくことなどない。

▷ 言語化は幸福度にも影響

 また、言語化するかどうかは人生の幸福度にも影響を与えるものであると僕は考えている。

 「うまい」「やばい」などと簡易的に表現できる言葉は便利ではあるものの、その分だけ表現の幅を狭めることにつながってしまう。

 つまり、自分のことを表現したいのに表現しきれないことになるのだ。

 僕たちは言葉を話せるが、その言葉を簡略化することと表現を怠ることは同義ではない。簡略化、簡素化することができる、もしくはしていいのは、その言葉を選んだ理由を明確に説明できる人間だけだ。

 理由を明確に説明できない状態とは、自分が何を持って意見や主張として述べようとしているのかを自分自身で把握できてないことの証左でもある。

 それは自分の言葉に責任を持っていないともいえ、自分の人生にも責任を持っていないとも言える。

 言語化することは決して簡単なことではない。しかし、簡単なことではないからといって逃げていいわけでもない。

 自分が何が好きで、その理由はどうしてなのか。

 そんな簡単に思えることも、丁寧に言葉を整理してから文章にしてみると、かなり詳細な部分まで言葉で説明しなければならないことを実感するだろう。

 しかし、だからこそ、自己理解になる。また、それらを繰り返すことで、自分自身のことを理解することにつながるし、他人に説明することにもつながっていくのだ。

 「好き」や「嫌い」だけで済ませるのではなく、理由まで考えてみることから始めてみるといい。

 かなりオススメだ。

 ではでは。

 えんどう

▶︎ おまけ

▷ 紹介したいnote

自分なりに辞書をつくっていこうと提案されているが、僕もいい方法だと思う。僕はNotion内に自分辞書「ことばの定義」をDB化している。わからない言葉や表現に迷うことがあればそこに放り込んで調べるのだ。これだけでも語彙が増えていく。

するすると読み進められるうえに、聞いたことのない土屋さんの声が聞こえるようでもある。それだけ丁寧に言葉が選ばれているからであり、使っている言葉に責任を持って理由づけがされているからだろう。

自分の言葉で自分自身の方法則をノウハウとして定義しよう。そんな風に考える機会は決して多くなかったが、マニュアル化もその一種だ。自分専用でも他人に向けてでも構わないが、マニュアルを作ることは言語化の繰り返しなのである。

▷ 本noteに関連する紹介したい書籍

図で考えることは、具体と抽象を行ったり来たりする行為でもある。図で考えることができることは、いろいろな領域で強みになる。難しい説明をパッと図にしてくれる人は重宝するだろう。言語化もそれである。

武器としての図で考える習慣: 「抽象化思考」のレッスン

▷ 著者のTwitterアカウント

僕の主な生息SNSはTwitterで、日々、意識ひくい系の投稿を繰り返している。気になる人はぜひ以下から覗いてみて欲しい。何ならフォローしてくれると毎日書いているnoteの更新情報をお届けする。

リンクを踏むと僕のTwitterアカウントへ飛びます


最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。 お読みいただき、それについてコメントつきで各SNSへ投稿していただけたら即座に反応の上でお礼を申し上げます!